てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › 首里のほそ道

2007年11月18日

首里のほそ道(19)


末吉宮(すえよしぐう)と万寿寺(まんじゅでら)
末吉宮は、かつての琉球八社の一つで、尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持・鶴翁和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。本殿は三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で 継いでいる。なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。末吉宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる遍照寺(万寿寺)の跡がある。寺には尚泰久王が寄進した釣鐘がかけられ、組踊『執心鐘入』のモデルとなったといわれる。体力に自信のない方は大名参道口から上がるとよい。

        大名参道口、木の鳥居

首里のほそ道(完)〜次回「上り口説を往く」  

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2007年11月17日

首里のほそ道(18)


弁ケ岳(べんがだけ)
首里高校校歌に歌われる「仰げば高し弁ケ岳」は那覇市で最も高い丘(165m)にある。「神仙が降りきて遊ぶ聖地である。聞得大君や神仏がお遊び(共宴)するところ」といわれた。「琉球国の諸峰に冠するので、冕嶽(べんだき)と号す」という。冕は冠のことである。創建は尚真王代の1519年。石造門の拝殿で、神殿はなく裏山がご神体である。戦災で破壊され、昭和29年にコンクリート造りの門にかわった。この小嶽から昔も今も、久高島・斎場御嶽を遥拝する。  

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2007年11月17日

首里のほそ道(17)

  
 一中健児之塔への道
1945年3月27日、軍命によって五年生から一年生までの254人が戦場に動員された。状況はどうであれ誰も志願して戦場に行った学徒はいないはずである。したがって「軍命によって」である。上級生は鉄血勤皇隊、下級生は通信隊を組織して、各部隊に配属され正規軍人同様の任務を果たし、教職員と共に学業半ばの年端もゆかぬ二百有余の学徒兵が犠牲になった。戦前に養秀寮が建設されたゆかりの地に、一中健児之塔を建立し、教職員と共に生徒を追慕する。 場所は玉陵の裏側に位置する。  

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2007年11月16日

首里のほそ道(16)


 御嶽内に六本のアカギがある。樹高15m以上樹齢300年といわれる老木。

 
  西側のアカギの根元は拝所になっている。  

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2007年11月15日

金城町から


 秋の日、金城町から那覇を見ると、唐船も薩摩船も米軍艦もなかった。
 平和だった。ありがたいことです。 来週末の満月は やんばる いこか!
 沖縄の昼は26度ですごしやすい。札幌は初雪だって。  

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2007年11月15日

首里のほそ道(15)


石畳道から東にそれると、金城町の大アカギの拝所に出る。二つの御嶽があり、東側のものを「内金城の大嶽」といい、神名は「カネノ御イベ」、またの名を「モジョルキョノ大神」と称す。西側のほうを「内金城の小嶽」神名は「イベヅカサ御セジ」という。両方とも石積みの門で、木格子の扉の前に香炉がある。小嶽のほうは人喰い鬼の妹の拝所という。妹が女性器を見せて兄鬼を食う口だと言うと、兄鬼が驚いて崖下に転落死したという鬼餅伝説の御嶽がある。写真は「内金城の大嶽(ウチカネグシクヌウフタキ)」。  

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2007年11月14日

首里のほそ道(14)


NHK「ちゅらさん」では古波蔵家として外観だけ活用された。家の中の撮影は東京のスタジオ。家は石畳道の上の方、首里高校(ドラマでは那覇北高)の裏門まで徒歩10分の距離。高校時代の恵里(国仲涼子)は、学校へ行くのに石畳道の階段を自転車で上がり、なぜか10キロ先の「とよみ大橋」を通って那覇の国際通りに出没して、首里高校の表門から入っていくという不自然な通学をしていた、というどうでもいい話。  

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2007年11月13日

首里のほそ道(13)


金城町の石畳道は、16世紀に首里から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として造られた「真珠道(まだまみち)」の一部。琉球石灰岩による石畳道で、当時は総延長約10kmにも及んだ道だったが、現在では、金城町に約300mの石畳が残るのみとなる。周辺には赤瓦家が並び、琉球王国時代の歴史を感じながら、散策を楽しんでいるのはたいてい沖縄は初めての観光客。歴史的美観が優先なので、段差が多いのに手すりはつけずバリアフリーには程遠い。雨の日はたいへん滑りやすい。緊急自動車の侵入や車椅子の使用は困難。「生活弱者に厳しい道100選」があれば上位にくる。歴史的美観の保全とバリアフリーの融合はできるはず。  

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2007年11月12日

首里のほそ道(12)


真珠道(まだまみち)は、1985年8月に「日本の道100選」に選定された首里城下町の絶好の散策路。1522年に当時の琉球王府によって整備された公道「宿道」として、首里城「守礼の門」を起点に本島南部(島尻方面)を結ぶ交通の要路として、また、首里城と王家の別邸である識名園とを結ぶ重要な道。現在、朝夕は子どもたちの通学路だが、昼は観光客専用道路と化す。那覇空港みたいに歩道が動いてくれたら年寄りは楽さぁねえぇ。  

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2007年11月11日

首里のほそ道(11)


儀間真常(1557〜1644)の墓は、首里崎山町の城南小学校隣・キリスト教会の駐車場南階段下方にある。儀間真常は、甘藷や木綿、黒糖などの産業の発展に多大な貢献をした人物。現地案内板によると、墓はもともと那覇の住吉町にあったが、アメリカ軍の軍港として接収されたため、1959年にこの場所に移転され、現在の墓は1993年に建て替えられたとのこと。
本日、沖縄の地域産業に貢献した若手起業家の告別式 (合掌)  

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2007年11月10日

首里のほそ道(10)


雨乞い御嶽
大かんばつ時に、神女を従えた琉球国王自らによる雨乞いの儀礼が行われた御嶽だが、小さな祠がちょこんとあるだけ。新しく整備された崎山公園の遊歩道の奥にあり、一帯は眺望のすばしらしさでも知られる。1960年代〜東京タワーを小さくしたような「首里のテレビ塔」が建っていたがいつのまにか撤去された。

雨乞いの古謡の一節
 雨ほしやに
 水ほしやに
 雨おろちへたまふれ
 いぶおろちへたまふれ  

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2007年11月08日

首里のほそ道(9)


ヒジガービラ
ヒジガービラは首里城から識名園を経て島尻地方につながる幹線道路の一つとして16世紀頃整備されたという。琉球石灰岩の石畳が階段状に敷きつめられていて、現・金城ダムの敷地内にはヒゲ(ヒジ)のように湧き水(カー)が流れ落ちたと言われる「ヒジガー」の跡がある。ビラは坂。坂の上は崎山町の住宅、下は金城ダム通り東方に出入り口がある。一歩足を踏み入れると400年前にタイムスリップする。  

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2007年11月08日

首里のほそ道(8)


滝見橋付近:儀保町民会館下から末吉公園に入る。滝見橋付近は「安謝川をきれいにする住民の会」が、月一回の「クリーン作戦」で掃除をしている。活動は1995年からだから12年になる。都市部でヤンバルのような森体験ができるのはその地道な活動のおかげ。本当に頭が下がる。  
タグ :沖縄 首里

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2007年11月07日

首里のほそ道(7)


盛光寺
明治後期に久米村から現在地の儀保に移建され、儀保の寺ともよばれている。2004年12月に建て替えられた。ウカチミ(守り本尊)は大日如来(未・申)である。大日如来は太陽を象徴し、宇宙の根本仏とされている。一切の万象が大日如来に内蔵される。臨済宗妙心寺派、本尊は大日如来。首里観音堂(慈眼院)、安国寺(首里高裏)、達磨寺(西来院)、盛光寺(儀保寺)の四カ寺は十二支の守り本尊を祀ってあり、自身の生まれ年にあわせて、守り本尊のある寺に参詣する。
子:  千手観音 :首里観音堂(慈眼院)
丑/寅:虚空蔵菩薩 :首里観音堂(慈眼院)
卯: 文殊菩薩 :達磨寺(西来院)
辰/巳:普賢菩薩 :首里観音堂(慈眼院)
午:  勢至菩薩 :首里観音堂(慈眼院)
未/申: 大日如来 :盛光寺(儀保寺)
酉: 不動明王 :安国寺
戌/亥:阿弥陀如来 :達磨寺(西来院)
 
私事 東京時代からお世話になった先輩の訃報を知る
51歳 残念でなりません ご冥福を祈ります (合掌)  

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2007年11月07日

首里のほそ道(6)


首里のほそ道(6)
アース予備校裏手。以前は儀保の「のー饅頭」が近くあって、家まで我慢できずにこのあたりでほおばった。路地右手には亀川盛武(かめがわせいぶ・尚泰王代の三司官。琉球処分で明治政府に抵抗したいわゆる頑固党のリーダー)の生家がある。なお「のー饅頭」は現在首里りうぼう北側の路地に移転。儀保は昔から浦添〜普天間街道へ繋がる交通の要所。  

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2007年11月06日

首里のほそ道(5)


ほそ道の奥(5)
真嘉比川、弁ケ岳ふもとの上流より儀保住宅地を経由してグランドキャッスル北側・真嘉比遊水池方面に流れゆく。のちに松川で安里川と合流して姫百合通りを横切り那覇へ出る。ときおり国際通りで氾濫する経歴を持つ。前島辺りから久茂地川と名前を変え泊、若狭、泉崎の三方向に分かれて海へ落ちる。  

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2007年11月06日

首里のほそ道(4)


首里のほそ道の奥(4)
赤平百貨店(勝手に名づけた。住居表示は儀保かもしれない)
過剰な包装品など無駄なモノは置かない環境にやさしいお店。
毎日、島豆腐に旬の野菜各種、牛乳とパンもあればいい。
たまに泡盛4合瓶にらっきょうなど。この上ない品揃え。  

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2007年11月05日

首里のほそ道(3)


       玉那覇味噌醤油の工場裏手(首里大中町)  

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2007年11月04日

首里のほそ道(2)


     琉球国指定余計?文化財「首里劇場」
     那覇に行かなくても映画が見れる時代に対応してきた
     歴史と伝統のある由緒ただしい映画館。

     いまこの時代、若者向けのライブハウスや
     バンド育成、音楽発表会だけでは採算とれないか?  

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2007年11月04日

首里のほそ道(1)

首里のほそ道(1)

池端〜りゅうたん通り
(首里高校前)に出る近道  

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