› 黄金の林住期は50から… › 甲子園2008年08月17日
感動をありがとう
浦商、決勝進出はできなかったけど
感動の夏をありがとう!ワクワクしました。
福岡、千葉、東京、神奈川、静岡といった
日本の大都市圏代表相手に見事な試合でした。
4勝1敗全国ベスト4は立派な成績です。
1番の赤い優勝旗は県内各高校の後輩たちへ託された。
課題は2番手投手の出来や調整法などいろいろあると思う。
野球は2アウトから。過剰なガッツポーズなど油断は危険。
直後にガツンとやられるのはよくあるケース。(反省点)
浦商のみなさんは秋の国体では必ず優勝してください!
伊波君も山城君もプロ目指すなら明日から練習じゃ!!
しかし、これからの沖縄代表は、春全国制覇の沖尚、
夏ベスト4の浦商をさらに上回る好チームが
続々出てきそう。各校にいい選手が育っていると聞く。
大阪や神奈川のように沖縄もすでに
常勝強豪県の仲間入りをしたと思います。
きっと第100回大会までには春夏連覇、
2年連続優勝もけっして夢ではありません!
めざせスポーツ王国!
日本のキューバみたいな沖縄県!
浦添商業のみなさん堂々とお帰りなさい!
感動をありがとう!
感動の夏をありがとう!ワクワクしました。
福岡、千葉、東京、神奈川、静岡といった
日本の大都市圏代表相手に見事な試合でした。
4勝1敗全国ベスト4は立派な成績です。
1番の赤い優勝旗は県内各高校の後輩たちへ託された。
課題は2番手投手の出来や調整法などいろいろあると思う。
野球は2アウトから。過剰なガッツポーズなど油断は危険。
直後にガツンとやられるのはよくあるケース。(反省点)
浦商のみなさんは秋の国体では必ず優勝してください!
伊波君も山城君もプロ目指すなら明日から練習じゃ!!
しかし、これからの沖縄代表は、春全国制覇の沖尚、
夏ベスト4の浦商をさらに上回る好チームが
続々出てきそう。各校にいい選手が育っていると聞く。
大阪や神奈川のように沖縄もすでに
常勝強豪県の仲間入りをしたと思います。
きっと第100回大会までには春夏連覇、
2年連続優勝もけっして夢ではありません!
めざせスポーツ王国!
日本のキューバみたいな沖縄県!
浦添商業のみなさん堂々とお帰りなさい!
感動をありがとう!
2008年08月17日
きょう準決勝
きょうは浦添商業の準決勝、早朝から掃除して仏壇にお茶あげててんぷら焼く準備して昼前の試合開始を待っている。浦商野球部BBCマネージャーブログを経由して関西在住の宮古系ウチナ〜ンチュであろうか「ぴゅ〜」さん(http://piw.cocolog-nifty.com/piw/)のブログに出会いに朝から感動し共感するものがあった。ぴゅ〜さんは高校野球の監督や解説者以上に鋭い指摘と個々の選手の把握がある、と思う。なによりも戦後おそらく沖縄から本土に移り住んだ方らしく日本の中の沖縄、その歴史やおかれている状況や立場を沖縄にいる誰よりも持っておられる。
きょうの準決勝の予測については…
【さて、投手じゃが、わしゃ~ここは伊波君の先発を希望するじょ。そして、5点を目処に打線の援護を待つんじゃ~。5点差がついた時点で、時正君に換わるんじゃ~。もろチン、伊波君を引っ込めてはおえん。時正君が崩れた場合に、再登板も充分考えておかねばおえん。無論、そのような状況にはせんことが前提じゃが、時正君の奮起次第じゃのぉ。「甲子園を楽しむ。」等と言う、後から取って着けた腐った戯言は、もぉ2度と口にしてはおえん。凸(`_';)無様さを誤魔化すため、自分以外の必死の人間の気持ちを無視したことは言ってはおえんのじゃ~。1球1球、「打てるものなら打ってみろ!」との気合を込め、山城君の指示する所に渾身の力で投げ込むんじゃ~。場合によっては、島根君の登板もあるじゃろぉ。柳の下にドジョウは2匹おらんのは知っちょる。ほいじゃが、それは努力をせんかった場合の話じゃ。島根君の努力と気迫で、慶応との試合以上の投球をも期待できるっちゅ~もんじゃ。】
と独特な言い回しで痛快である。
たしかに「甲子園を楽しむ。」は、沖縄代表だけは違和感がある。旅費だけでも数千万円を各界からの寄付などでかき集めただけでなく、なによりも戦後63年、首里高校がパスポートを手に甲子園に出場してからの50年は、たんに「ハイスクールのクラブ活動の一環」では収まらないものがあるからだ。ちょうど北京五輪に出ている野球のキューバや韓国の選手、彼らには試合でミスしようものなら国外追放されかねないそのプレッシャーにすでに打ち勝っている。彼らには「オリンピックを楽しむ」なんてとても言えない。沖縄の高校生にそこまでは要求してはいけないのは分かる。そもそもスポーツ競技に関係のない重たい歴史や政治的なものを押し付けるのは教育的ではない。でも我々沖縄の野球バカは他県以上に一生懸命、必死でやってほしい気持ちには変わりない。
最後にぴゅ〜さんの意見を転載する。
【わしら沖縄の野球バカは、必死の心一杯の応援をし続けるじょ。戦争で、全てが灰塵と化した沖縄の地で、子供達が棒切れと紙を丸めた球で、アメリカ〜に習って始めた娯楽の野球。娯楽の少ない、許されない沖縄でわしらの心を和ませ、巨大な圧力にともすれば屈っしそうになった心を奮い立たせてくれた野球。その野球にこれからも一喜一憂し、感謝し、自らも挑戦する一端の沖縄のおじ〜になれるように頑張るじょ。】
ちばりよ〜浦添商業野球部と沖縄の野球ぶら〜(野球アホ)!
きょうの準決勝の予測については…
【さて、投手じゃが、わしゃ~ここは伊波君の先発を希望するじょ。そして、5点を目処に打線の援護を待つんじゃ~。5点差がついた時点で、時正君に換わるんじゃ~。もろチン、伊波君を引っ込めてはおえん。時正君が崩れた場合に、再登板も充分考えておかねばおえん。無論、そのような状況にはせんことが前提じゃが、時正君の奮起次第じゃのぉ。「甲子園を楽しむ。」等と言う、後から取って着けた腐った戯言は、もぉ2度と口にしてはおえん。凸(`_';)無様さを誤魔化すため、自分以外の必死の人間の気持ちを無視したことは言ってはおえんのじゃ~。1球1球、「打てるものなら打ってみろ!」との気合を込め、山城君の指示する所に渾身の力で投げ込むんじゃ~。場合によっては、島根君の登板もあるじゃろぉ。柳の下にドジョウは2匹おらんのは知っちょる。ほいじゃが、それは努力をせんかった場合の話じゃ。島根君の努力と気迫で、慶応との試合以上の投球をも期待できるっちゅ~もんじゃ。】
と独特な言い回しで痛快である。
たしかに「甲子園を楽しむ。」は、沖縄代表だけは違和感がある。旅費だけでも数千万円を各界からの寄付などでかき集めただけでなく、なによりも戦後63年、首里高校がパスポートを手に甲子園に出場してからの50年は、たんに「ハイスクールのクラブ活動の一環」では収まらないものがあるからだ。ちょうど北京五輪に出ている野球のキューバや韓国の選手、彼らには試合でミスしようものなら国外追放されかねないそのプレッシャーにすでに打ち勝っている。彼らには「オリンピックを楽しむ」なんてとても言えない。沖縄の高校生にそこまでは要求してはいけないのは分かる。そもそもスポーツ競技に関係のない重たい歴史や政治的なものを押し付けるのは教育的ではない。でも我々沖縄の野球バカは他県以上に一生懸命、必死でやってほしい気持ちには変わりない。
最後にぴゅ〜さんの意見を転載する。
【わしら沖縄の野球バカは、必死の心一杯の応援をし続けるじょ。戦争で、全てが灰塵と化した沖縄の地で、子供達が棒切れと紙を丸めた球で、アメリカ〜に習って始めた娯楽の野球。娯楽の少ない、許されない沖縄でわしらの心を和ませ、巨大な圧力にともすれば屈っしそうになった心を奮い立たせてくれた野球。その野球にこれからも一喜一憂し、感謝し、自らも挑戦する一端の沖縄のおじ〜になれるように頑張るじょ。】
ちばりよ〜浦添商業野球部と沖縄の野球ぶら〜(野球アホ)!
2008年08月15日
浦商ベスト4へ
沖縄浦添商業、ベスト4進出!
陸の王者慶応を沈める!
グッドナイトウークイです。
ありがとう!野球の神様ご先祖様!

延長10回1死三塁、上地俊樹のスクイズで仲里がかえり勝ち越し点をあげ決勝点となる

陸の王者慶応を沈める!

グッドナイトウークイです。

ありがとう!野球の神様ご先祖様!


延長10回1死三塁、上地俊樹のスクイズで仲里がかえり勝ち越し点をあげ決勝点となる
2008年08月13日
甲子園初出場記念
首里高校甲子園初出場記念
沖縄県立首里高校の校庭「ロマンの森」に「甲子園初出場記念」と書かれた石碑があります。
その下には友愛という文字の下に野球場のダイヤモンドが描かれ
甲子園の土で作られたという石が埋め込まれています。

戦後、沖縄高校野球の道のりは苦難の連続だったようです。1958年(昭和33年)は私の生まれた年でもありますが、首里高校が沖縄代表として初めて甲子園大会に出場することになります。夏の沖縄大会を制した福原朝悦監督率いる首里高校が、 故・佐伯達夫日本高校野球連盟福会長(当時) の計らいで、 第40回全国高校野球選手権記念大会へ招待されのです。「鉄の暴風」といわれた沖縄戦から13年目の夏の出来事です。
ちなみにこの年の夏の沖縄大会の準決勝は首里:糸満が激突し、身体能力では首里高ナインを上回る「海人魂」の糸満高校の2年生の主砲・栽弘義が、当時としてはめったにみられないホームランをかっ飛ばしたそうです。パワーで勝っても試合では負ける糸満高校の栽選手は「野球は力だけじゃない」と言ったかどうか知りませんが、後日談で「教員免許をもった野球部監督が常駐指導している首里高校にかなうはずはない」と悟ったのは事実のようです。自ら野球の指導者としての道を歩むきっかけになったということです。
あれから50年。すでに栽選手(監督)はこの世にいませんが、沖縄の高校野球のレベルを飛躍的に高めた実績は誰もが認めるところです。ほかにも多くの方の十分に必要だったと思われる汗と涙の数を重ねて今日の沖縄の高校野球の目覚ましい発展があるのです。
ところで50年前の甲子園で首里高校は大観衆に迎えられ、高校野球はいち早く「本土復帰」を果たすことになりました。試合は敦賀(福井)に0:3で惜敗したが、懸命なプレーはアルプススタンドに感動を呼び、負けてもさわやかな首里高校ナインは甲子園の土をあらかじめ準備していたビニルにつめてバックにしまい甲子園球場を去りました。
その後に「米軍統治下の沖縄」を象徴する「事件」が沖縄で待っていたのです。那覇の港に接岸し上陸を始めたところ「待った」がかかります。琉球政府の「植物防疫法」が立ちはだかり、土の持ち込みを阻んだのです。熱戦の感動と汗を含んだ土が海へ捨てられることになりました。
理不尽な処置に、首里高校ナインは二度目の涙を流します。同時に、この出来事がニュースとなり全国へ波紋を広げ、野球ファンの同情を誘うことになる。後に日航のスチュワーデスが小石をプレゼントしたが、沖縄の置かれていた時代状況はその後も久しく変わることはなかったのです。現在もその小石は同校の記念碑に埋め込まれています。
以下、2008年08月02日付、沖縄タイムス夕刊より
【50年ぶり甲子園に「万感」/
高校野球90回イベント 元首里高の仲宗根さん
一握りの土、袋に詰め

(甲子園取材班)今年で九十回を迎えた夏の甲子園大会。十一年ぶりに県代表の座をつかんだ浦添商業ナインと同じくらい、二日の開会式を心待ちにしていた元球児がいる。一九五八年、 春夏通して県勢初の甲子園出場を果たした首里高校の元主将、仲宗根弘さん(68)。開会式前のイベントに昔のユニホーム姿で登場、半世紀ぶりに甲子園のグラウンドを踏みしめ、「甲子園の思い出は何ものにも代え難い財産。またユニホームで立てて、光栄に思う」と万感に浸った。仲宗根さんは五十年前の第四十回大会、選手宣誓の大役を果たした。首里は0―3と惜敗。持ち帰った甲子園の土は、検疫の関係で海に捨てなければならなかった。 今回、一握りの土を手でかき集めビニール袋に詰めた。 「沖縄に持ち帰りたいと思っていた。いい記念になりました」としみじみと喜びをかみしめた。「甲子園レジェンズ」と銘打った記念イベントでは、 PL学園エースとして一時代をつくった桑田真澄さん(40)、 ドカベンの愛称で親しまれた香川伸行さん(46)ら往年の名選手が、元球児の親子と一緒に キャッチボールを楽しんだ。 数々のドラマを生み出した選手たちの懐かしい姿に、スタンドから大きな拍手が送られた。仲宗根さんも 「SHURI」と入った背番号6の復刻版ユニホームで怪童と呼ばれた中西太さん(75)とキャッチボールを満喫した。 今年の県代表の浦添商には深紅の優勝旗の期待もかかる。仲宗根さんは「技術では他校にひけを取らない。日ごろの練習の成果を出して、一戦一戦頑張ってほしい」と期待した。】
一握りの土…仲宗根先輩も控えめでしたね。ある人に言わせれば50年分の想いを込めて重機いっぱいの土を搬出してもよかったのではと。頼めば球場の外でトラックを横付けして沖縄行きに船積みしたのに、と言われました。さすがにそのときは球場関係者から返還要求されるでしょうね。
かつて甲子園のファンから同情の声援を受けていた沖縄高校野球も、 今では夏の頂点を目指せる力量を備えてきました。ここまで来れたのは過去から現在に至る沖縄野球人達の計り知れない努力と涙はもちろんのこと、 全国の高校野球ファンの方々ら 常に暖かい声を送り続けてきた本土の沖縄球児に対する心があったからこそです。
私たちは沖縄の高校野球ファン、そしてすべての沖縄球児はそのことを決して忘れません。 首里高校ロマンの森に建立された「友愛の碑」は、沖縄球児の「甲子園」に対する思いと、 甲子園を通じて架けられた沖縄と本土の心の交流の原点です。
第90回全国高校野球大会に出場している浦添商業には今回は一度も負けてほしくない大会となりました。さわやかに最後まで全力を尽くしてほしいと思います。
沖縄県立首里高校の校庭「ロマンの森」に「甲子園初出場記念」と書かれた石碑があります。
その下には友愛という文字の下に野球場のダイヤモンドが描かれ
甲子園の土で作られたという石が埋め込まれています。

戦後、沖縄高校野球の道のりは苦難の連続だったようです。1958年(昭和33年)は私の生まれた年でもありますが、首里高校が沖縄代表として初めて甲子園大会に出場することになります。夏の沖縄大会を制した福原朝悦監督率いる首里高校が、 故・佐伯達夫日本高校野球連盟福会長(当時) の計らいで、 第40回全国高校野球選手権記念大会へ招待されのです。「鉄の暴風」といわれた沖縄戦から13年目の夏の出来事です。
ちなみにこの年の夏の沖縄大会の準決勝は首里:糸満が激突し、身体能力では首里高ナインを上回る「海人魂」の糸満高校の2年生の主砲・栽弘義が、当時としてはめったにみられないホームランをかっ飛ばしたそうです。パワーで勝っても試合では負ける糸満高校の栽選手は「野球は力だけじゃない」と言ったかどうか知りませんが、後日談で「教員免許をもった野球部監督が常駐指導している首里高校にかなうはずはない」と悟ったのは事実のようです。自ら野球の指導者としての道を歩むきっかけになったということです。
あれから50年。すでに栽選手(監督)はこの世にいませんが、沖縄の高校野球のレベルを飛躍的に高めた実績は誰もが認めるところです。ほかにも多くの方の十分に必要だったと思われる汗と涙の数を重ねて今日の沖縄の高校野球の目覚ましい発展があるのです。
ところで50年前の甲子園で首里高校は大観衆に迎えられ、高校野球はいち早く「本土復帰」を果たすことになりました。試合は敦賀(福井)に0:3で惜敗したが、懸命なプレーはアルプススタンドに感動を呼び、負けてもさわやかな首里高校ナインは甲子園の土をあらかじめ準備していたビニルにつめてバックにしまい甲子園球場を去りました。
その後に「米軍統治下の沖縄」を象徴する「事件」が沖縄で待っていたのです。那覇の港に接岸し上陸を始めたところ「待った」がかかります。琉球政府の「植物防疫法」が立ちはだかり、土の持ち込みを阻んだのです。熱戦の感動と汗を含んだ土が海へ捨てられることになりました。
理不尽な処置に、首里高校ナインは二度目の涙を流します。同時に、この出来事がニュースとなり全国へ波紋を広げ、野球ファンの同情を誘うことになる。後に日航のスチュワーデスが小石をプレゼントしたが、沖縄の置かれていた時代状況はその後も久しく変わることはなかったのです。現在もその小石は同校の記念碑に埋め込まれています。
以下、2008年08月02日付、沖縄タイムス夕刊より
【50年ぶり甲子園に「万感」/
高校野球90回イベント 元首里高の仲宗根さん
一握りの土、袋に詰め

(甲子園取材班)今年で九十回を迎えた夏の甲子園大会。十一年ぶりに県代表の座をつかんだ浦添商業ナインと同じくらい、二日の開会式を心待ちにしていた元球児がいる。一九五八年、 春夏通して県勢初の甲子園出場を果たした首里高校の元主将、仲宗根弘さん(68)。開会式前のイベントに昔のユニホーム姿で登場、半世紀ぶりに甲子園のグラウンドを踏みしめ、「甲子園の思い出は何ものにも代え難い財産。またユニホームで立てて、光栄に思う」と万感に浸った。仲宗根さんは五十年前の第四十回大会、選手宣誓の大役を果たした。首里は0―3と惜敗。持ち帰った甲子園の土は、検疫の関係で海に捨てなければならなかった。 今回、一握りの土を手でかき集めビニール袋に詰めた。 「沖縄に持ち帰りたいと思っていた。いい記念になりました」としみじみと喜びをかみしめた。「甲子園レジェンズ」と銘打った記念イベントでは、 PL学園エースとして一時代をつくった桑田真澄さん(40)、 ドカベンの愛称で親しまれた香川伸行さん(46)ら往年の名選手が、元球児の親子と一緒に キャッチボールを楽しんだ。 数々のドラマを生み出した選手たちの懐かしい姿に、スタンドから大きな拍手が送られた。仲宗根さんも 「SHURI」と入った背番号6の復刻版ユニホームで怪童と呼ばれた中西太さん(75)とキャッチボールを満喫した。 今年の県代表の浦添商には深紅の優勝旗の期待もかかる。仲宗根さんは「技術では他校にひけを取らない。日ごろの練習の成果を出して、一戦一戦頑張ってほしい」と期待した。】
一握りの土…仲宗根先輩も控えめでしたね。ある人に言わせれば50年分の想いを込めて重機いっぱいの土を搬出してもよかったのではと。頼めば球場の外でトラックを横付けして沖縄行きに船積みしたのに、と言われました。さすがにそのときは球場関係者から返還要求されるでしょうね。
かつて甲子園のファンから同情の声援を受けていた沖縄高校野球も、 今では夏の頂点を目指せる力量を備えてきました。ここまで来れたのは過去から現在に至る沖縄野球人達の計り知れない努力と涙はもちろんのこと、 全国の高校野球ファンの方々ら 常に暖かい声を送り続けてきた本土の沖縄球児に対する心があったからこそです。
私たちは沖縄の高校野球ファン、そしてすべての沖縄球児はそのことを決して忘れません。 首里高校ロマンの森に建立された「友愛の碑」は、沖縄球児の「甲子園」に対する思いと、 甲子園を通じて架けられた沖縄と本土の心の交流の原点です。
第90回全国高校野球大会に出場している浦添商業には今回は一度も負けてほしくない大会となりました。さわやかに最後まで全力を尽くしてほしいと思います。
2008年08月12日
頑張れ浦添商業!

浦添商業、終盤冷や冷やしましたがなんとか勝ちましたね!浦添商業の伊波翔悟くんと千葉経大附属の斎藤くんの両校投手はプロも注目する好投手で1〜2点を争うロースコアの試合を予想していましたが、浦添商業は千葉経大附属の斎藤くんの立ち上がりを攻め相手のスキをつくなどでいきなり初回に大量5点をあげました。浦添商業の速(足)攻はひと月前の沖縄大会決勝戦でセンバツ大会の覇者沖縄尚学の東浜投手相手に初回で5点をもぎ取った状況を思いださせる試合展開でした。中盤までに10:2の8点差は誰が見ても楽勝のように思われます。7回で7点差は地方大会ではコールドゲームとなります。7点差のまま試合は7回へと進みました。
ところがそこは家賃も払わずに魔物が住んでいるという甲子園球場。これまで1試合で3点以上取られたことはないと思われる伊波翔悟くんから千葉経大附属は7回には3ランホームランを含む6点をもぎとり計9点、ついに1点差に攻め寄りました。ひと昔前の沖縄代表のチームは終盤の1点差はたいてい負けてばかりでした。ふと頭をよぎったのが1975年のセンバツ大会での3回戦、豊見城高校と東海大相模の試合でした。
1975年、昭和50年は沖縄海洋博覧会の開かれた年です。当時春夏初めての甲子園初出場の豊見城高校が栽監督(当時は部長登録)の指導の下、彗星の如く現れた好投手赤嶺賢勇を擁して1回戦でいきなり優勝候補の習志野を3:0で破り、二回戦では日大山形を4:2で退けました。3回戦は関東の雄・原辰徳(現巨人監督)らスター選手がズラリ揃った東海大相模高校相手に対し、豊見城村の漫湖のほとりの田舎チーム(当時)豊見城高校が挑んだ試合です。8回まで1:0豊見城リード、赤嶺投手に4安打11三振(原選手は2三振)無得点に抑え込まれていた東海大相模は9回2死走者なしからあと数センチでアウトになるきわどいヒットが続き、最後は一塁手のミットをかすめるポテンヒットで初陣豊見城高校はあと一歩、あと数センチのところでサヨナラ逆転負けを喫したのでした。
故・栽弘義監督は沖縄水産高校時代にも「あと数センチで栄冠!」が幾度かあったように思います。内地のマスコミから悲運の名将とまでいわれましたね。しかし今の沖縄のチームは先輩監督・選手らの学びをふまえて見違えるほどたくましくなりました。栽先生ら先輩方のたましいは生きています。どうか旧盆でゆったりと甲子園の野球を楽に見ていただきたいものです。
以来、年々力はついても数十年間僅差のプレッシャーに弱い沖縄チームのレッテルをなかなか拭えずにいました。ところが近年の沖縄のチームはミスしても浮き足立つことなく、すぐにみんなで取り返すような地力がついてきたように思います。浦添商業の試合から33年とだいぶ飛んでしまいまししたが、今回の試合は後半にとてつもない緊張感が味えたことは収穫だったように思います。甲子園のみならず野球はなにが起きるかわかりません。野球にかぎらず「〜道」につながる競技は相手をなめたり、また試合中に必要以上にガッツポーズをしてはいけないと思います。イチロー選手を見習いたいものです。
私の母校S高校は一昨年でしたか県予選で初回に4点を入れその後の着々と得点を重ねたので表情もゆるみ相手をなめてしまったのか、後半に主力メンバーを控え選手に入れ替えたこともあり終盤に大逆転を許して負けてしまったことがあります。人生にも共通するものではないでしょうか。S高校の選手はそれを学んだだけでもよかったと思います。逆転はいつどんなときにあるのかわかりません。人間として大事なことは畏怖の念、常に持つべきものは感謝の心と相手に対するマナーではないでしょうか。やや選挙演説みたいになってしまいました(笑)
野球の話を長々と書きました。明後日木曜日・旧盆(新盆)中日の朝の試合が楽しみです。ちょうど旧盆で島にいらしている沖縄の神様が応援するときっと信じられないパワーが発揮されるかもしれません。英祖王の居城・伊祖グスクの力も借りてチバリよー浦添商業!!
注)「千葉涼!うらぞえというメッセージです」などと妙な発音しないでくださいね。放送局のアナウンサーさま!
解説)頑張れ→気を張れ→きばれ→(東北地方の)ケッパレ!→(沖縄島ではカ行がタ行に変わって)チバレ→チバリ よー!と変化します。
追)昨夜遅く神奈川県三浦半島から浦添に電話をくれた大学時代の仲間のみなさん、ありがとうございます。うれしかったです。
お盆ウィークなので神謝です!!


2008年07月15日
県民一丸となって応援!

沖縄代表が甲子園出場して50年〜首里那覇沖縄興南真和志名護前原豊見城石川沖水沖尚那商読谷中工浦商中商八商工(過去の甲子園で負けたことがある高校…なにか違っていたらすみません!)すべての念が沖縄代表の浦添商業高校野球部へ託されました!県民一丸となって全国一大きなプレッシャーをかけましょう。試合当日は官庁も観光業も臨時休業、基地の中も外も外出禁止令くらいの勢いで。しかし、たかがハイスクールの部活動の一環にしかすぎない球技。なので選手たちはこの大きな重圧を逆に楽しんで甲子園で試合をやってほしい。深紅の大優勝旗…とは言いません。ただ、できれば最後まで一度も試合に負けないで甲子園から沖縄に帰ってきてほしい!チバリヨー浦添商業!!(自ら甲子園の土を那覇の海に捨てられるくらいの余裕を持ってね)
2007年08月12日
興南高校旋風再び!
第50回全国高校野球大会
興南高校が準決勝進出しました〜!
39年前、1968年(昭和43年)の夏の話。
本土では高度成長期の真っただ中、当時の沖縄は米軍の施政権下、
復帰運動が盛り上がる中、基地関係の事件事故が後を絶たなかった。
1958年(昭和33年)に沖縄代表・首里高校が
初めて甲子園に出場してから10年(仲宗根先輩ら)、
興南高校のベスト4進出は、まさに旋風だった。
(当時・我喜屋主将・写真左:現 興南高校野球部監督)
たかが野球 されど野球… 「興南旋風再び!」
ハイスクールの部活動の一つにしかすぎないけど、
こんなにも沖縄全体を熱くするスポーツ競技はほかにない。
興南高校、2回戦でもいい試合を!
(写真:「戦後50年の歩み』より)
2007年07月18日
興南高校、甲子園へ一番乗り!
興南高校、甲子園へ 浦添商業に2:0
第89回全国高校野球選手権大会は18日、北谷公園野球場で決勝再試合が行われ、興南が2−0で浦添商業を敗り、24年ぶり8度目の夏優勝を決めた。好投手が投げて打ってよく捕って、ファインプレーが多くナイスゲームでした! 興南は先発の1年生投手石川くんが堂々たるピッチングで7回途中まで踏ん張る。興南の我喜屋監督(58)は1968年、39年前の興南旋風の(甲子園ベスト4)の四番キャプテン、高校野球のオールドファンには懐かしい存在。よかったですね。
浦添商000 000 000 0
興 南001 000 01 × 2
↓ 9回表、最後の打者を打ち取った勝利の瞬間!
第89回全国高校野球選手権大会は18日、北谷公園野球場で決勝再試合が行われ、興南が2−0で浦添商業を敗り、24年ぶり8度目の夏優勝を決めた。好投手が投げて打ってよく捕って、ファインプレーが多くナイスゲームでした! 興南は先発の1年生投手石川くんが堂々たるピッチングで7回途中まで踏ん張る。興南の我喜屋監督(58)は1968年、39年前の興南旋風の(甲子園ベスト4)の四番キャプテン、高校野球のオールドファンには懐かしい存在。よかったですね。
浦添商000 000 000 0
興 南001 000 01 × 2
↓ 9回表、最後の打者を打ち取った勝利の瞬間!


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