› 黄金の林住期は50から… › おすすめ本の紹介2008年06月02日
ニライは地獄?
6月1日日曜日19時からのFM沖縄「下地勇のぴっチャージタイム」の番組の中で宮古口シンガーの下地勇さんが、あるリスナーからの「宮古ではニライカナイは口にしてはいけないほどの悪い言葉では?」とのお便りに戸惑っていました。下地さんは「ニライカナイ」という言葉自体もともと宮古にはないし、沖縄(本島)で使われている「ニライカナイ」の意味、「海の彼方の来訪神…」もその反対の意味も聞いたことがないということです。わたしも宮古にルーツがあるのですが、「ニライカナイ」については親親戚からも一度も聞いたことはありません。
3年ほど前に出会った北谷の長老・A氏から衝撃的な話を聞いたことがあります。
A氏独自の長年の研究により「ニライカナイの本来の意味は地獄に消える」と言っていました。A氏は嘉手納〜北谷地区の「ニライ消防署」の命名に最後まで一人反対し続けたらしいです。「ニライは地獄だぞ!」と言い続けたので周りの関係者からかなり迫害にあったということです。90歳近い現在でも「それでもニライカナイとは地獄に落ちる意味」だと頑に主張し続けています。
ニライカナイ〜「地獄に消える」と「海の彼方の極楽浄土」…は天国と地獄同様に紙一重のように思えます。ニライとはいろいろな文献を調べてみるとたしかに地底とか海の底とかそういう意味も含まれています。あの世の世界と同じようなポジションかと思われます。沖縄全体があの世に近い島だと言われています。あの世とこの世が盛んに交信している島だとも言います。
イメージだけはどんどん膨らんで浦島太郎の竜宮伝説にも飛躍しかねないいろいろな意味が含まれていそうです。古語、古典を超えて伝説の世界に足を踏み出しましのでハッキリとした答えは誰にもわからないと思います。
私的には、ニライカナイは「海の彼方の極楽浄土」と「地獄(海底)に消える」という相反する二つの意味があると思っています。異なる二つの意見に耳を傾けることも大切だと考えるからです。
たまたま昨日、下地勇さんのラジオ番組でちょっとした話題となっていましたので参考までに書いてみました。
……………………………………………………………………
3年近く前にA氏の出版に伴い生意気にも私が寄稿した文言を掲載します。

参考として引用
「沖縄口の根を探る」出版に寄せて
ニライカナイは「地獄に消える」という意味だという。
これまで別の意味で理解していた方にとって本書の解説はいささか衝撃的かもしれない。たしかに「ニライ」の意味は『沖縄古語大辞典』(角川書店)「東の国の楽土」と書かれている。「カナイ」はその対語表現だが、「ニライカナイ」で神々の住む楽土であるという意味が沖縄内外で一般に広まっている。
本書では著者安和守禮氏が『梵和大辞典』(講談社)や外国のサンスクリト辞典などを駆使しながら沖縄口に結びつく根を模索している。
例えば『梵和大辞典』三一二頁にに[niraya]という語があり、訳は地獄、音写は泥犁である。泥犁は漢音でニライ、呉音でニレイ。同じ三一二頁に[kanaya]という語がある。訳は「消える」である。読み方は右に準じてカナイ、カネーとなる。二語続けて ニライカナイ、あるいはニレーカネー。つまりニライカナイの意味は、梵和大辞典によると「地獄に消える」ということになる。その文献の権威等についても述べられている。
ところで琉球〜沖縄の歴史において、海の彼方から何がやってきたか。
一六〇九年にやってきたのは、火器を持たないウチナーンチュに襲いかかった薩摩の鉄砲隊であった。また一八七九年(明治十三年)、時の新政府から派遣された官軍は琉球処分を強行、王位は剥奪され、多くの士族が職を失った。一九四五年には世界最強の軍隊がおびただしい物量と火薬をもって海の彼方からやってきた。
数々の侵略はまた、言葉(沖縄口)にもあったようだ。
現実問題として海の彼方から幸せがもたらされたのは、琉球の大航海時代の他はあまりいいことはなかった。
近隣諸国や大国に翻弄されながらも、しっかりと自分の言葉(ウチナーグチ)を保ってきたウチナーンチュ。その貴重な言葉の意味を誤って広めてしまってはご先祖に申し訳ないし、子孫に大きな禍根を残してしまうというのが著者安和氏の意向のようである。
後半は以前から安和氏が趣味で書きためていた「試訳 沖縄口 般若心経」を編集し直した。氏が宇都宮高等農林時代に出会った「般若心経」だが、それを沖縄口に結びつけたのはサンスクリット語の原文であったという。「沖縄口の根を探る」同様、ユニークな「ウチナーグチ般若心経」も読んでいただければ幸いである。
2005年 師走 記す 編集者 S
ある言葉に対する一つの考察であり提言ですので「いや、絶対ありえない!」などと、迫害して異端児扱いをするなどいじめないでくださいね。
宮古島の場合、海の向こうからやってくるのは台風や大津波のほかに武器を持った支配者や税の取り立て役人などが来ることが多かったそうですし…。
まあ、あの世では天国と地獄は紙一重ということで… ものは考えよう、それぞれの心の中の問題かもしれませんね。
〜居酒屋の話題にでも… 失礼しました。
3年ほど前に出会った北谷の長老・A氏から衝撃的な話を聞いたことがあります。
A氏独自の長年の研究により「ニライカナイの本来の意味は地獄に消える」と言っていました。A氏は嘉手納〜北谷地区の「ニライ消防署」の命名に最後まで一人反対し続けたらしいです。「ニライは地獄だぞ!」と言い続けたので周りの関係者からかなり迫害にあったということです。90歳近い現在でも「それでもニライカナイとは地獄に落ちる意味」だと頑に主張し続けています。
ニライカナイ〜「地獄に消える」と「海の彼方の極楽浄土」…は天国と地獄同様に紙一重のように思えます。ニライとはいろいろな文献を調べてみるとたしかに地底とか海の底とかそういう意味も含まれています。あの世の世界と同じようなポジションかと思われます。沖縄全体があの世に近い島だと言われています。あの世とこの世が盛んに交信している島だとも言います。
イメージだけはどんどん膨らんで浦島太郎の竜宮伝説にも飛躍しかねないいろいろな意味が含まれていそうです。古語、古典を超えて伝説の世界に足を踏み出しましのでハッキリとした答えは誰にもわからないと思います。
私的には、ニライカナイは「海の彼方の極楽浄土」と「地獄(海底)に消える」という相反する二つの意味があると思っています。異なる二つの意見に耳を傾けることも大切だと考えるからです。
たまたま昨日、下地勇さんのラジオ番組でちょっとした話題となっていましたので参考までに書いてみました。
……………………………………………………………………
3年近く前にA氏の出版に伴い生意気にも私が寄稿した文言を掲載します。

参考として引用
「沖縄口の根を探る」出版に寄せて
ニライカナイは「地獄に消える」という意味だという。
これまで別の意味で理解していた方にとって本書の解説はいささか衝撃的かもしれない。たしかに「ニライ」の意味は『沖縄古語大辞典』(角川書店)「東の国の楽土」と書かれている。「カナイ」はその対語表現だが、「ニライカナイ」で神々の住む楽土であるという意味が沖縄内外で一般に広まっている。
本書では著者安和守禮氏が『梵和大辞典』(講談社)や外国のサンスクリト辞典などを駆使しながら沖縄口に結びつく根を模索している。
例えば『梵和大辞典』三一二頁にに[niraya]という語があり、訳は地獄、音写は泥犁である。泥犁は漢音でニライ、呉音でニレイ。同じ三一二頁に[kanaya]という語がある。訳は「消える」である。読み方は右に準じてカナイ、カネーとなる。二語続けて ニライカナイ、あるいはニレーカネー。つまりニライカナイの意味は、梵和大辞典によると「地獄に消える」ということになる。その文献の権威等についても述べられている。
ところで琉球〜沖縄の歴史において、海の彼方から何がやってきたか。
一六〇九年にやってきたのは、火器を持たないウチナーンチュに襲いかかった薩摩の鉄砲隊であった。また一八七九年(明治十三年)、時の新政府から派遣された官軍は琉球処分を強行、王位は剥奪され、多くの士族が職を失った。一九四五年には世界最強の軍隊がおびただしい物量と火薬をもって海の彼方からやってきた。
数々の侵略はまた、言葉(沖縄口)にもあったようだ。
現実問題として海の彼方から幸せがもたらされたのは、琉球の大航海時代の他はあまりいいことはなかった。
近隣諸国や大国に翻弄されながらも、しっかりと自分の言葉(ウチナーグチ)を保ってきたウチナーンチュ。その貴重な言葉の意味を誤って広めてしまってはご先祖に申し訳ないし、子孫に大きな禍根を残してしまうというのが著者安和氏の意向のようである。
後半は以前から安和氏が趣味で書きためていた「試訳 沖縄口 般若心経」を編集し直した。氏が宇都宮高等農林時代に出会った「般若心経」だが、それを沖縄口に結びつけたのはサンスクリット語の原文であったという。「沖縄口の根を探る」同様、ユニークな「ウチナーグチ般若心経」も読んでいただければ幸いである。
2005年 師走 記す 編集者 S
ある言葉に対する一つの考察であり提言ですので「いや、絶対ありえない!」などと、迫害して異端児扱いをするなどいじめないでくださいね。
宮古島の場合、海の向こうからやってくるのは台風や大津波のほかに武器を持った支配者や税の取り立て役人などが来ることが多かったそうですし…。
まあ、あの世では天国と地獄は紙一重ということで… ものは考えよう、それぞれの心の中の問題かもしれませんね。
〜居酒屋の話題にでも… 失礼しました。
2008年05月17日
立ち読みしたい2)
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の米兵相手のバーの女マリーと沖縄青年の物語
〜冒頭部分より〜
「まもなく那覇空港へ到着の予定です」というアナウンスの声も正照の耳には入らなかった。飛行機が沖縄の北部上空にさしかかったとき、乗客らの間に軽いざわめきが起こった。
座席から身を乗りだし窓に顔を寄せる客や席を立つ人がざわざわ動きだした。気の早い客は身支度をはじめた。正照もちょっと窓に顔を寄せたがすぐ座席に頭を戻し目を閉じた。
あれから何年ぶりであろうか、またそのことが頭を掠めた。羽田を発った時から幾度も指を折り数えたことである。
二十四、五年ぶり、ふとそう思うと大きな溜息が漏れた。
ますます気が重く心が塞がっていた。
具志川市には八十を過ぎていつポックリ逝くかもしれない両親と兄弟それに親戚知人も沢山いた。が彼らとは顔を合わせたくなかった。家を出たまま二十年余にもなる。その間両親や兄弟に一銭の仕送りもしてなかった。それどころか十七、八年前にハガキを二、三枚だしただけである。
その俺がひょっこり現れれば面喰らってしまうであろう。両親はともかく兄弟には不安で迷惑でしかない筈だ。またまったく忘れ去っていた人間が突然すがたを現せば親戚知人は驚き勝手な憶測をして悪い噂を広めるに違いない。その思いが頭の中に渦巻いて正照は息苦しくなっていた。
人目を避けてこっそり用事を済ませたい。
生きて故郷の土は踏めないと思いながらマリーの死を知って心が揺らぎ今度の帰郷となったのである。
正照もすでに五十歳、若いとはいえ老人の仲間に一歩つっこんでいた。今では綾瀬駅近くの六畳一間の木造アパートに息をひそめて暮らしていた。この辺は開発がすすみ次々マンションが建っていたが正照のアパート周辺だけは周囲と不調和な存在になっていた。
陽当たりが悪く土は湿って黒く何かのすえた臭いが漂っていた。五年前移ってきた当時はまだよかった。いつの頃か大家が手を加えなくなりアパートはさびれだした。
一人暮らしというのはとかく不摂生なものである。それのたたりか、それとも「歯、目、魔羅」の時節到来なのか四十四の時、急に歯が痛みだした。一週間程さんざん苦しめられた末、奥歯がポロポロ抜け落ちた。それからというのは体がガタガタになって俄に故障が多くなった。足の痛みが治ると肩や腕に故障が出るという具合で仕事を休む日が多くなった。そうなると家賃のことが不安になる。上野公園や神田あたりの露天宿泊者の姿が目にちらつき不安になってきた。それで引っ越したのがこの安アパートだった。
ここに移ってからは心細さが先にたち酒場やパチンコ屋にも足が向かなくなった。天涯孤独の心境で仕事にも慎重になった。病気すなわち死という観念に取り憑かれていた。生きていても仕様のない人間だが死ぬまでの時間が恐いのだ。そのため収入よりは楽を取りガードマンになった。何事にも慎重になり過ぎると身も心もちぢこまって暗い影がさす。
正照は仕事帰りに仲間と一杯飲るのを避けコソコソと焼酎の二合瓶とチェインストアで二、三品の菜を買って帰った。四〇ワットのうすぼんやりした裸電球の下でテレビを見ながらウーロン割りをチビチビ舐めた。
長い間の一人暮らしのためもあろうが、この頃妙に独り言を呟くのが目立ってきた。二合瓶が底をつく頃になると「ウオッ」とか「ワッ」とかいきなり獣のような叫び声をあげたりする。すると物音一つない隣部屋で人の動く気配がして「人をおどかすんじゃないよ、バカ」と仕切壁の隙間に片目をあてて老婆が怒鳴った。
隣は一人暮らしの老婆がいた。だいぶ齢をとっていたが耄碌もせず暮らしていた。役所の人以外は訪ねる人もいなかった。夏でも戸を閉め切っていてめったに顔を合わせたことがなかった。このアパートの住人は一人暮らしだけであった。
正照は老婆に怒鳴られてコソコソ寝床に入った。
パチンコや遊びごとから遠ざかるとやたら郷里のことを思いだすようになった。テレビに沖縄が映し出されると夢中になる。番組の中で民謡や舞踊があるとうっとりさせられた。若い頃は郷土芸能を小馬鹿にして見向きもしなかったものだ。家には三味線もあったが一度も手に取ったことがなかった。この齢で民謡一つ唄えないのもそのためだ。それでも郷土の民謡ほど心打つものはない。民謡は生まれながらにその土地の人間の血に染まるものなのか、正照はやはり俺は沖縄人だと思うようになった。
高円寺に「花笠」という居酒屋がある。この店は泡盛と沖縄料理が看板で二年前に知った。ガードマン仲間に泡盛好きがいて教えてくれた。彼は泡盛の銘柄を集めるのが趣味でその店に通っていた。この店は度々沖縄の民謡の大家を招いているということであった。
いじけて消極的になっている正照もこの話には心が動いた。そして知らず知らず「花笠」への期待が胸の中で膨らんでいきぜひ行きたいと思うようになった。
土曜日はいつになく表情が明るく張り切っていた。仕事が終わると急いで帰り久しぶりの外出着で高円寺に出掛けた。
店は駅の近くですぐに分かった。意外と大きく三、四十人は入れそうである。早い時間で客はまだ二、三名だった。店内を見廻すとすっかり忘れていた料理の名が並んでいる。
ゴーヤーチャンプル、耳皮刺身、沖縄そば、はてはサーターアンダギー(砂糖天ぷら)まで献立がぐるり壁に貼ってあった。
画面の大きなビデオには、石垣で囲まれた赤瓦の屋根、ブーゲンビレアの真紅の花の咲いている向こうに透明な南国の海の風景が映し出されて民謡が流れていた。
なかなか感じのいい店だった。ひと渡り店内を見廻したあとカウンターに腰掛けた。坐り心地も悪くなかった。通いなれた店のような安らぎがあった。
マスターは三十前であろう。沖縄訛りまるだしで感じのいい男だった。同郷人のなつかしさから正照は二十年ぶりに方言で話した。
聞けばこの店は十数年前からの営業だという。こういう店が東京には沢山あるとも言った。だが正照は一軒も知らなかった。それも仕方のないことでつい四、五年前までは同郷人を避けていたのだ。
ウーロン割りを飲みながらとりとめもない話をマスターと交わした。それが大変楽しく心がはずんだ。次第に饒舌になり忙しいマスターの迷惑など気にも止めず機関銃のようにしゃべりまくった。久しぶりに気持よく酔っ払いアパートに帰った。
高円寺を知ってから仕事仲間が訝しむほどの変わりようだった。とにかく明るい。仲間づき合いもするようになったが土曜日だけは「花笠」に行くため急いで帰る。
土曜日の度に顔を出すので何時の間にか顔馴染みになり冗談を言う間柄になった。
正照が「花笠」に通いだしてからかれこれ七カ月が過ぎていた。
何時ものように指定席のカウンターに腰掛けウーロン割りを飲んでいた。七時半頃で客の少ない時である。
マスターはカウンターの端のレジを前に伝票を整理していた。そこへ四十過ぎのセールスマン風の男が来た。男はマスターと向かい合って坐りしきりに話し込んでいた。
………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。短編ですが衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内大型書店で発売中、好評になるはずです!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
携帯090−4981−8723
戦後沖縄の米兵相手のバーの女マリーと沖縄青年の物語
〜冒頭部分より〜
「まもなく那覇空港へ到着の予定です」というアナウンスの声も正照の耳には入らなかった。飛行機が沖縄の北部上空にさしかかったとき、乗客らの間に軽いざわめきが起こった。
座席から身を乗りだし窓に顔を寄せる客や席を立つ人がざわざわ動きだした。気の早い客は身支度をはじめた。正照もちょっと窓に顔を寄せたがすぐ座席に頭を戻し目を閉じた。
あれから何年ぶりであろうか、またそのことが頭を掠めた。羽田を発った時から幾度も指を折り数えたことである。
二十四、五年ぶり、ふとそう思うと大きな溜息が漏れた。
ますます気が重く心が塞がっていた。
具志川市には八十を過ぎていつポックリ逝くかもしれない両親と兄弟それに親戚知人も沢山いた。が彼らとは顔を合わせたくなかった。家を出たまま二十年余にもなる。その間両親や兄弟に一銭の仕送りもしてなかった。それどころか十七、八年前にハガキを二、三枚だしただけである。
その俺がひょっこり現れれば面喰らってしまうであろう。両親はともかく兄弟には不安で迷惑でしかない筈だ。またまったく忘れ去っていた人間が突然すがたを現せば親戚知人は驚き勝手な憶測をして悪い噂を広めるに違いない。その思いが頭の中に渦巻いて正照は息苦しくなっていた。
人目を避けてこっそり用事を済ませたい。
生きて故郷の土は踏めないと思いながらマリーの死を知って心が揺らぎ今度の帰郷となったのである。
正照もすでに五十歳、若いとはいえ老人の仲間に一歩つっこんでいた。今では綾瀬駅近くの六畳一間の木造アパートに息をひそめて暮らしていた。この辺は開発がすすみ次々マンションが建っていたが正照のアパート周辺だけは周囲と不調和な存在になっていた。
陽当たりが悪く土は湿って黒く何かのすえた臭いが漂っていた。五年前移ってきた当時はまだよかった。いつの頃か大家が手を加えなくなりアパートはさびれだした。
一人暮らしというのはとかく不摂生なものである。それのたたりか、それとも「歯、目、魔羅」の時節到来なのか四十四の時、急に歯が痛みだした。一週間程さんざん苦しめられた末、奥歯がポロポロ抜け落ちた。それからというのは体がガタガタになって俄に故障が多くなった。足の痛みが治ると肩や腕に故障が出るという具合で仕事を休む日が多くなった。そうなると家賃のことが不安になる。上野公園や神田あたりの露天宿泊者の姿が目にちらつき不安になってきた。それで引っ越したのがこの安アパートだった。
ここに移ってからは心細さが先にたち酒場やパチンコ屋にも足が向かなくなった。天涯孤独の心境で仕事にも慎重になった。病気すなわち死という観念に取り憑かれていた。生きていても仕様のない人間だが死ぬまでの時間が恐いのだ。そのため収入よりは楽を取りガードマンになった。何事にも慎重になり過ぎると身も心もちぢこまって暗い影がさす。
正照は仕事帰りに仲間と一杯飲るのを避けコソコソと焼酎の二合瓶とチェインストアで二、三品の菜を買って帰った。四〇ワットのうすぼんやりした裸電球の下でテレビを見ながらウーロン割りをチビチビ舐めた。
長い間の一人暮らしのためもあろうが、この頃妙に独り言を呟くのが目立ってきた。二合瓶が底をつく頃になると「ウオッ」とか「ワッ」とかいきなり獣のような叫び声をあげたりする。すると物音一つない隣部屋で人の動く気配がして「人をおどかすんじゃないよ、バカ」と仕切壁の隙間に片目をあてて老婆が怒鳴った。
隣は一人暮らしの老婆がいた。だいぶ齢をとっていたが耄碌もせず暮らしていた。役所の人以外は訪ねる人もいなかった。夏でも戸を閉め切っていてめったに顔を合わせたことがなかった。このアパートの住人は一人暮らしだけであった。
正照は老婆に怒鳴られてコソコソ寝床に入った。
パチンコや遊びごとから遠ざかるとやたら郷里のことを思いだすようになった。テレビに沖縄が映し出されると夢中になる。番組の中で民謡や舞踊があるとうっとりさせられた。若い頃は郷土芸能を小馬鹿にして見向きもしなかったものだ。家には三味線もあったが一度も手に取ったことがなかった。この齢で民謡一つ唄えないのもそのためだ。それでも郷土の民謡ほど心打つものはない。民謡は生まれながらにその土地の人間の血に染まるものなのか、正照はやはり俺は沖縄人だと思うようになった。
高円寺に「花笠」という居酒屋がある。この店は泡盛と沖縄料理が看板で二年前に知った。ガードマン仲間に泡盛好きがいて教えてくれた。彼は泡盛の銘柄を集めるのが趣味でその店に通っていた。この店は度々沖縄の民謡の大家を招いているということであった。
いじけて消極的になっている正照もこの話には心が動いた。そして知らず知らず「花笠」への期待が胸の中で膨らんでいきぜひ行きたいと思うようになった。
土曜日はいつになく表情が明るく張り切っていた。仕事が終わると急いで帰り久しぶりの外出着で高円寺に出掛けた。
店は駅の近くですぐに分かった。意外と大きく三、四十人は入れそうである。早い時間で客はまだ二、三名だった。店内を見廻すとすっかり忘れていた料理の名が並んでいる。
ゴーヤーチャンプル、耳皮刺身、沖縄そば、はてはサーターアンダギー(砂糖天ぷら)まで献立がぐるり壁に貼ってあった。
画面の大きなビデオには、石垣で囲まれた赤瓦の屋根、ブーゲンビレアの真紅の花の咲いている向こうに透明な南国の海の風景が映し出されて民謡が流れていた。
なかなか感じのいい店だった。ひと渡り店内を見廻したあとカウンターに腰掛けた。坐り心地も悪くなかった。通いなれた店のような安らぎがあった。
マスターは三十前であろう。沖縄訛りまるだしで感じのいい男だった。同郷人のなつかしさから正照は二十年ぶりに方言で話した。
聞けばこの店は十数年前からの営業だという。こういう店が東京には沢山あるとも言った。だが正照は一軒も知らなかった。それも仕方のないことでつい四、五年前までは同郷人を避けていたのだ。
ウーロン割りを飲みながらとりとめもない話をマスターと交わした。それが大変楽しく心がはずんだ。次第に饒舌になり忙しいマスターの迷惑など気にも止めず機関銃のようにしゃべりまくった。久しぶりに気持よく酔っ払いアパートに帰った。
高円寺を知ってから仕事仲間が訝しむほどの変わりようだった。とにかく明るい。仲間づき合いもするようになったが土曜日だけは「花笠」に行くため急いで帰る。
土曜日の度に顔を出すので何時の間にか顔馴染みになり冗談を言う間柄になった。
正照が「花笠」に通いだしてからかれこれ七カ月が過ぎていた。
何時ものように指定席のカウンターに腰掛けウーロン割りを飲んでいた。七時半頃で客の少ない時である。
マスターはカウンターの端のレジを前に伝票を整理していた。そこへ四十過ぎのセールスマン風の男が来た。男はマスターと向かい合って坐りしきりに話し込んでいた。
………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。短編ですが衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内大型書店で発売中、好評になるはずです!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
携帯090−4981−8723
2008年05月14日
立ち読みしたい!
ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
〜冒頭部分より〜
今朝になって風向きはすっかり変わっていた。昨日まで空はカラッと晴れて明るく海上を吹き渡る空もさわやかに肌に心地よかった。それが今朝になってみると空気は重たく湿っていた。吹き下ろすような北風である。船の前方を見つめる万次郎の顔が湿った冷たい風に吹かれて赤くなっていた。
船の針路が西から北西に変わっていた。
万次郎はアメリカの捕鯨船に乗ってこの太平洋上で数年間過ごしてきた。その航海の経験から沖縄島が間近になっていることを感じた。いよいよ島に近づいたかと思うと胸に迫ってくるものがある。と同時に名状しがたい動揺も拡がっていった。
十年間のアメリカでの生活、はたして親兄弟は元のままでいるのであろうか……。あるいは大凶変や何かがあったのではないかという不安な思いが去来していた。アメリカにいた時は一日だって家族のことを忘れたことはなかった。だがなんということであろう、沖縄島が近づくにつれて後ずさりしたいような怯えに体は震えていた。捕鯨船に乗ってコツコツ貯め、カルフォルニアの金鉱掘りがお金になると聞けばカルフォルニアに行き、やっと六百ドルを貯めた。これだけあればなんとか四人一緒に日本に帰れると思ってハワイに渡った。ハワイには今でも寅右衛門が一人だけ残っていた。その寅右衛門の顔が万次郎の目に浮かんで消える。
万次郎等五人が無人島に漂着しているのをアメリカの捕鯨船に救助され、半年間航海のあと五人はハワイに上陸した。しかし万次郎だけは四人と別れて救助されたホイットフィルド船長に連れられアメリカに渡った。
万次郎が再びハワイに渡ったのは六年後の二十一歳の時だった。
捕鯨船に乗って航海の途中ハワイに寄港した時のことだった。
伝蔵、重助、五右衛門の三兄弟と寅右衛門がハワイに残っていたが、再会を楽しみに訪ねてみると重助はすでにハワイの土になっていた。数回を共に過ごし四人一緒に帰国の約束をして万次郎は再び航海に出た。
それから数年後、万次郎は六百ドルをたずさえてハワイに渡った。
そして帰国の相談をした。ところが寅右衛門の様子が以前とは変わっていた。今さら郷里に帰っても仕方がない。第一親兄弟が生きているかどうかもわからない。それより住み馴れたハワイに残りたいと三人の誘いを断った。
仕方なく三人だけ帰ることになった。
当時アメリカの捕鯨船は太平洋上で活躍していた。ホノルルの港はそれらの補給基地で港は帆船の帆柱が林立して埋まっていた。
万次郎は捕鯨船に乗っている時、日本まで行ったが上陸することができなかった。一人なら捕鯨船に便乗することもできるが三人ともなれば無理であった。それで貨物船を利用することにした。上海や広東あたりへ行く船が燃料や食料補給のため寄港するからである。相談がまとまると伝蔵と五右衛門は身辺の整理をはじめた。十年もハワイで暮らしているので一日二日で片付くものではなかった。
その間、万次郎は毎日港に出掛けて船の出入りを調べていた。三年六カ月も捕鯨船で生活してきた万次郎にとって港は飽きることのない場所であった。捕鯨船のあの独特な匂いが海風に乗って来る。なつかしい香りだった。昼食は水夫達が出入りするスナックバーで彼等の話を聞きながらサンドウィッチを食べた。
その日もスナックバーでサンドウィッチとコーヒーを注文した。
そして水夫達の話に耳をそば立てていると思わぬニュースが入った。
メキシコから上海へ行くサラリボイド号という船の水夫達が話をしていた。
万次郎は小躍りした。食べかけのサンドウィッチも喉を通らなくなった。サンドウィッチを食べ残して万次郎は店を出た。そして小走りに伝蔵の所へ行った。ちょうど昼食時なので伝蔵と五右衛門はいた。
サラリボイド号の話をすると彼等も食事を投げだしそわそわしはじめた。突然の話にただ落ちつきを失うばかりであった。
とにかく船長に会ってみよう。万事それからのことだと言って三人は出かけた。
サラリボイド号はすぐに分かった。甲板では水夫達がロープの手入れをしていた。
「船長に会いたい」万次郎が声をかけた。
「食料の補給で丘に上がっている。明日の午前中に来い」水夫の一人がそう答えた。
翌日頃合いを見て行くと昨日の水夫がいてすぐに船長室へ案内してくれた。
船長は三人に椅子をすすめ「貴君等のことは昨日聞いた」とまず口をひらいた。
三人の中では万次郎の英語が流暢である。彼はアメリカの学校で正式に勉強していた。それだけに訛もなく一般のアメリカ人よりも発音や言葉遣いが丁寧で美しかった………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
〜冒頭部分より〜
今朝になって風向きはすっかり変わっていた。昨日まで空はカラッと晴れて明るく海上を吹き渡る空もさわやかに肌に心地よかった。それが今朝になってみると空気は重たく湿っていた。吹き下ろすような北風である。船の前方を見つめる万次郎の顔が湿った冷たい風に吹かれて赤くなっていた。
船の針路が西から北西に変わっていた。
万次郎はアメリカの捕鯨船に乗ってこの太平洋上で数年間過ごしてきた。その航海の経験から沖縄島が間近になっていることを感じた。いよいよ島に近づいたかと思うと胸に迫ってくるものがある。と同時に名状しがたい動揺も拡がっていった。
十年間のアメリカでの生活、はたして親兄弟は元のままでいるのであろうか……。あるいは大凶変や何かがあったのではないかという不安な思いが去来していた。アメリカにいた時は一日だって家族のことを忘れたことはなかった。だがなんということであろう、沖縄島が近づくにつれて後ずさりしたいような怯えに体は震えていた。捕鯨船に乗ってコツコツ貯め、カルフォルニアの金鉱掘りがお金になると聞けばカルフォルニアに行き、やっと六百ドルを貯めた。これだけあればなんとか四人一緒に日本に帰れると思ってハワイに渡った。ハワイには今でも寅右衛門が一人だけ残っていた。その寅右衛門の顔が万次郎の目に浮かんで消える。
万次郎等五人が無人島に漂着しているのをアメリカの捕鯨船に救助され、半年間航海のあと五人はハワイに上陸した。しかし万次郎だけは四人と別れて救助されたホイットフィルド船長に連れられアメリカに渡った。
万次郎が再びハワイに渡ったのは六年後の二十一歳の時だった。
捕鯨船に乗って航海の途中ハワイに寄港した時のことだった。
伝蔵、重助、五右衛門の三兄弟と寅右衛門がハワイに残っていたが、再会を楽しみに訪ねてみると重助はすでにハワイの土になっていた。数回を共に過ごし四人一緒に帰国の約束をして万次郎は再び航海に出た。
それから数年後、万次郎は六百ドルをたずさえてハワイに渡った。
そして帰国の相談をした。ところが寅右衛門の様子が以前とは変わっていた。今さら郷里に帰っても仕方がない。第一親兄弟が生きているかどうかもわからない。それより住み馴れたハワイに残りたいと三人の誘いを断った。
仕方なく三人だけ帰ることになった。
当時アメリカの捕鯨船は太平洋上で活躍していた。ホノルルの港はそれらの補給基地で港は帆船の帆柱が林立して埋まっていた。
万次郎は捕鯨船に乗っている時、日本まで行ったが上陸することができなかった。一人なら捕鯨船に便乗することもできるが三人ともなれば無理であった。それで貨物船を利用することにした。上海や広東あたりへ行く船が燃料や食料補給のため寄港するからである。相談がまとまると伝蔵と五右衛門は身辺の整理をはじめた。十年もハワイで暮らしているので一日二日で片付くものではなかった。
その間、万次郎は毎日港に出掛けて船の出入りを調べていた。三年六カ月も捕鯨船で生活してきた万次郎にとって港は飽きることのない場所であった。捕鯨船のあの独特な匂いが海風に乗って来る。なつかしい香りだった。昼食は水夫達が出入りするスナックバーで彼等の話を聞きながらサンドウィッチを食べた。
その日もスナックバーでサンドウィッチとコーヒーを注文した。
そして水夫達の話に耳をそば立てていると思わぬニュースが入った。
メキシコから上海へ行くサラリボイド号という船の水夫達が話をしていた。
万次郎は小躍りした。食べかけのサンドウィッチも喉を通らなくなった。サンドウィッチを食べ残して万次郎は店を出た。そして小走りに伝蔵の所へ行った。ちょうど昼食時なので伝蔵と五右衛門はいた。
サラリボイド号の話をすると彼等も食事を投げだしそわそわしはじめた。突然の話にただ落ちつきを失うばかりであった。
とにかく船長に会ってみよう。万事それからのことだと言って三人は出かけた。
サラリボイド号はすぐに分かった。甲板では水夫達がロープの手入れをしていた。
「船長に会いたい」万次郎が声をかけた。
「食料の補給で丘に上がっている。明日の午前中に来い」水夫の一人がそう答えた。
翌日頃合いを見て行くと昨日の水夫がいてすぐに船長室へ案内してくれた。
船長は三人に椅子をすすめ「貴君等のことは昨日聞いた」とまず口をひらいた。
三人の中では万次郎の英語が流暢である。彼はアメリカの学校で正式に勉強していた。それだけに訛もなく一般のアメリカ人よりも発音や言葉遣いが丁寧で美しかった………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
2008年05月08日
護佐丸は徳の高いすばらしい人物
このところひたすら外での書店廻りです。
『ジョン万次郎と牧志朝忠』配本しています。小中学校への印刷納品物の配布もやってます。けっこう多忙ですが即売上に反映されるわけではありません。そのチャンスが多くなったとはいえます。
『護佐丸伝』新垣正男著(大正11年生)中城伊集の方が書かれています。読めば読むほど護佐丸が他の英雄よりも人間的にすぐれていることが理解できます。同時に中城城跡の遺跡などの写真・図版などたいへん資料性の高い本です。終始「護佐丸を称えた本」だから当然といえば当然ですが、それでも護佐丸はホントに琉球の行く末を案じた素晴らしいリーダーだったと思います。沖縄にとって大切な人だったのです。それは戦乱の最中にわずかに生き延びた子孫がのちに繁栄して、現在どの門中よりも数的に多いことからも伺い知れます。本は売るだけたくさんあります。

『護佐丸伝』
人物・業績に関する新しい評価〜新垣正男著
A5判上製本520頁(本体2800円)
護佐丸は、
沖縄人でもっともすぐれた人物かもしれない
沖縄人ですぐれた人物 といえば…
5/8は、復帰後の沖縄でもっとも有名な人物の一周忌です。
大胆細心
甲子園通算29勝〜強い沖縄を全前に出してくれました。
栽弘義さん
いまは私たち県民の心の監督です。
参考までに仲間のブログ↓
http://tomi11.ti-da.net/
『ジョン万次郎と牧志朝忠』配本しています。小中学校への印刷納品物の配布もやってます。けっこう多忙ですが即売上に反映されるわけではありません。そのチャンスが多くなったとはいえます。
『護佐丸伝』新垣正男著(大正11年生)中城伊集の方が書かれています。読めば読むほど護佐丸が他の英雄よりも人間的にすぐれていることが理解できます。同時に中城城跡の遺跡などの写真・図版などたいへん資料性の高い本です。終始「護佐丸を称えた本」だから当然といえば当然ですが、それでも護佐丸はホントに琉球の行く末を案じた素晴らしいリーダーだったと思います。沖縄にとって大切な人だったのです。それは戦乱の最中にわずかに生き延びた子孫がのちに繁栄して、現在どの門中よりも数的に多いことからも伺い知れます。本は売るだけたくさんあります。
『護佐丸伝』
人物・業績に関する新しい評価〜新垣正男著
A5判上製本520頁(本体2800円)
護佐丸は、
沖縄人でもっともすぐれた人物かもしれない
沖縄人ですぐれた人物 といえば…
5/8は、復帰後の沖縄でもっとも有名な人物の一周忌です。
大胆細心
甲子園通算29勝〜強い沖縄を全前に出してくれました。
栽弘義さん
いまは私たち県民の心の監督です。
参考までに仲間のブログ↓
http://tomi11.ti-da.net/
2008年05月04日
おきなわ堂
沖縄病患者に特効薬!!
那覇空港に着いたらおきなわ堂からが先にいこう!(先島風言葉)
普通の本屋さんには置いてない沖縄の本を中心に三線やいろいろグッズ、
お菓子まで沖縄関係の物ならたいていはあります。イベント情報も!!
郷土書専門店
おきなわ堂
(合資会社 いしだ文栄堂直営店)
那覇市首里石嶺町4−317(098)884-5181
首里石嶺と浦添前田の間(モノレールいつの日か開通予定!)
儀保交差点から西原入口向け1879m(琉球処分)くらい
昨日からそこに置いてます↓↓↓↓ぜひ1冊以上お買い求めくださいませ。

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月3日より遊びにもいかないで県内主な書店等で営業開始!なお、作者の地元・石川の大城書店を皮切りに、宮脇書店浦添店、戸田書店浦添前田店など配本中、ほか宮脇さん県内全店、田園書房・いしだ文栄堂・BOOKきょうはん各店、上江洲書店、ほか…まもなく置きます置かせていただきとうございます(汗)。。。
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画 砂川090-4981-8723
夜は北名城ビーチにいますが本は積んでアルイテます。
那覇空港に着いたらおきなわ堂からが先にいこう!(先島風言葉)
普通の本屋さんには置いてない沖縄の本を中心に三線やいろいろグッズ、
お菓子まで沖縄関係の物ならたいていはあります。イベント情報も!!
郷土書専門店
おきなわ堂
(合資会社 いしだ文栄堂直営店)
那覇市首里石嶺町4−317(098)884-5181
首里石嶺と浦添前田の間(モノレールいつの日か開通予定!)
儀保交差点から西原入口向け1879m(琉球処分)くらい
昨日からそこに置いてます↓↓↓↓ぜひ1冊以上お買い求めくださいませ。

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月3日より遊びにもいかないで県内主な書店等で営業開始!なお、作者の地元・石川の大城書店を皮切りに、宮脇書店浦添店、戸田書店浦添前田店など配本中、ほか宮脇さん県内全店、田園書房・いしだ文栄堂・BOOKきょうはん各店、上江洲書店、ほか…まもなく置きます置かせていただきとうございます(汗)。。。
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画 砂川090-4981-8723
夜は北名城ビーチにいますが本は積んでアルイテます。
2008年04月30日
ジョン万次郎と牧志朝忠
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球の持つ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。それでも衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内主な書店等で発売開始!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球の持つ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。それでも衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内主な書店等で発売開始!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
2008年01月30日
琉球語は古代日本語のタイムカプセル
おすすめ本
琉球語は古代日本語のタイムカプセル

沖縄本島北部・崎本部の一方言少年だった
著者(元高校教師57歳)が綴る
琉球語にまつわる衝撃のエッセイ 第2弾!
昨年5月に発売されました。
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著
編集/デザイン/文字校正/表紙・装丁:すながー
本文から引用しながら、私の仮説を交えポップ調に
アレンジしますと、こんな本です!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ガラスマガイ(足のけいれん)」は長崎では「カラスマガリ」という立派な日本古語。〜高校時代に体操部の友人が足を指して「ガラスマガイ ガラスマガイ」(カラスの足のようだ歪んだままの状態)って言ってた。
宮崎の「テゲ」と沖縄の「テーゲー」は古代九州で親戚語。東国原(ひがしこくばる)知事は「テゲテゲ」と言う。宮崎県はたいがい、山原(やんばる)のずっとかーまにある、などとも言う。
「なだそうそう」の「なだ(涙)」はもともとは古代日本語。万葉集にもある日本語だから内地人でも細胞のDNAにあるなつかしさを刺激してヒット。〜ちなみに「血ーゴーゴー」「ハーレーゴンゴン」は類似語、「灘高校」は関係ねえーん(江戸風)
ひるましむんは「今この怪者(シルマシモノ)を視るに甚だおそろし〜」『日本書記』えらい天皇の御言葉〜 我ったー子ども時分は、あやしいことに「ヒルマサッサー」とふつうにしゃべっていた。
「イナムドゥチ」は古代日本語「猪もどき」の化石語。いのししもどき=豚汁を白味噌をといて食べる祝い料理。これをつくれないと一人前の嫁にはなれんっちー(大分弁風のハルカ+大宜味村的語尾)。
「アガトーから」は「そんな遠くから」を意味する縄文語。縄文人(古代以前の日本人)は他の土地から迷いこんで来た人たちを迎えて「アガトーから出(い)ぢぃちゃーんなー」と琉球語に近い言語をよーんな話していたとか。縄文人は現代人のように人間同志殺しあいはしない。埋葬の仕方等からとても家族と祈りを大切にする人たちだったのではと推測される。だから1万年以上も続いたかも。
沖縄には古代日本語がたくさん残っているんだね。驚きですね。
冬はつとぅみてぃむん うやふぁーふじ こちひらの〜 かなさんど〜 …………
実際、先生の文体は品格があり、読みやすくなっています。
衝撃の250項目! A5判368頁
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著 税込2100円
琉球語は古代日本語のタイムカプセル

沖縄本島北部・崎本部の一方言少年だった
著者(元高校教師57歳)が綴る
琉球語にまつわる衝撃のエッセイ 第2弾!
昨年5月に発売されました。
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著
編集/デザイン/文字校正/表紙・装丁:すながー
本文から引用しながら、私の仮説を交えポップ調に
アレンジしますと、こんな本です!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ガラスマガイ(足のけいれん)」は長崎では「カラスマガリ」という立派な日本古語。〜高校時代に体操部の友人が足を指して「ガラスマガイ ガラスマガイ」(カラスの足のようだ歪んだままの状態)って言ってた。
宮崎の「テゲ」と沖縄の「テーゲー」は古代九州で親戚語。東国原(ひがしこくばる)知事は「テゲテゲ」と言う。宮崎県はたいがい、山原(やんばる)のずっとかーまにある、などとも言う。
「なだそうそう」の「なだ(涙)」はもともとは古代日本語。万葉集にもある日本語だから内地人でも細胞のDNAにあるなつかしさを刺激してヒット。〜ちなみに「血ーゴーゴー」「ハーレーゴンゴン」は類似語、「灘高校」は関係ねえーん(江戸風)
ひるましむんは「今この怪者(シルマシモノ)を視るに甚だおそろし〜」『日本書記』えらい天皇の御言葉〜 我ったー子ども時分は、あやしいことに「ヒルマサッサー」とふつうにしゃべっていた。
「イナムドゥチ」は古代日本語「猪もどき」の化石語。いのししもどき=豚汁を白味噌をといて食べる祝い料理。これをつくれないと一人前の嫁にはなれんっちー(大分弁風のハルカ+大宜味村的語尾)。
「アガトーから」は「そんな遠くから」を意味する縄文語。縄文人(古代以前の日本人)は他の土地から迷いこんで来た人たちを迎えて「アガトーから出(い)ぢぃちゃーんなー」と琉球語に近い言語をよーんな話していたとか。縄文人は現代人のように人間同志殺しあいはしない。埋葬の仕方等からとても家族と祈りを大切にする人たちだったのではと推測される。だから1万年以上も続いたかも。
沖縄には古代日本語がたくさん残っているんだね。驚きですね。
冬はつとぅみてぃむん うやふぁーふじ こちひらの〜 かなさんど〜 …………
実際、先生の文体は品格があり、読みやすくなっています。
衝撃の250項目! A5判368頁
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著 税込2100円


日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!
