てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › 中部の歌碑

2008年03月01日

じっそう節の碑

じっそう節の碑



思ゆらば里前
島とまいていもれ
島や中城
花の伊舍堂



読み)うみゆらばさとぅめ
   しまとぅめてぃいもり
   しまやなかぐすぃく
   はなぬいしゃどう


意味)
私を愛してくださるのなら
私の村まで訪ねてきてください
私の村は中城間切の
花の伊舍堂と評判の高い村です



中城村伊舍堂にある「じっそう節の碑」は国道329号線与那原向け左側、一時車が止められる側道沿いにある。

伊舍堂は波静かな中城湾を望むキビ畑に囲まれた静かな村。もともとは綿花の産地だったことから「花の伊舍堂」とも呼ばれていた。

その綿花を売りに、他所の村々を回りながら愛嬌をふりまいていた乙女は、綿花とともに人気者だったのだろう。

「私を愛してくださるのなら 私の村まで訪ねてきてください」とはたいした自信である。

「綿花乙女」は、愛くるしい積極的な娘さんだったことがうかがえる。
オバサンではいかんのだろうか? 


  

Posted by すながー at 05:38Comments(0)TrackBack(0)中部の歌碑

2008年02月16日

中部の琉歌の里(2)

大北・読谷山(残波岬)
うふにし・ゆんたんざ



大北の牝牛や
 なじら葉ど好ちゅる
わした若者や
 花ど好ちゅる


読み)うふにしぬくてぃや なじらはどぅしちゅる
わしたわかむんや はなどぅしちゅる

意味)大北(うふにし・読谷)の牝牛は、なぢちゃ草の葉が好きだけど。
   われわれ若者は花(美童)が好きだ

かつて首里の北山に対する防御線として、中城をナカニシ、越来をニシ、読谷(座喜味)をウフニシと呼んで中頭を三つに分けていたそうだ。

中世の軍事要塞に首里王府の身内から信頼できるリーダー・護佐丸やハムカウ王子らを派遣させていたという話。

今年に入って45日余り、ほとんど天気が悪いこともあり、屋外で趣味の写真がなかなか撮れない。おかげさんでしごとも忙しくなってきたせいもある。夕方6時頃、空の明るさに春を感じるこの頃、もうすぐ春ですね〜♪ キャンディーズ、ユーミン、拓郎…らの春の歌が立て続けに出てくる世代。コブクロ、ケツメイシ…若い人たちの春の歌も聞き捨てがたい。

By the way ところで中部にはいい琉歌がたくさんあるのに、北部ほど歌碑はない。
あれとこれとそれ〜片手で数える程度…もしくは私の勉強不足か!

ぜひとも残していこうという地域の声が大きくならなかったのか。
基地の多い土地柄、制約でもあったのか。

大きくて重たい、半永久的なものを残すにはたいへんな労力がいる。
長老の声、学識経験者、地域の理解はもちろん、多くの人の物心両面の支援がぜったいに必要。

街のあちらこちらに、たとえばナビィやチルーの像、護佐丸のモニュメントなど、あったらいい。空港から瀬長島付近には尚巴志の80mくらいの巨像が自由の女神のように立っていて、道あるいても、あれが尚泰久王だよ、あちらに阿麻和利が、公園で月見をしている護佐丸像とかが…(説明文は私に書かせてね!)

今夜は越来(ごえく・ニシ)グスクの前に行く予定。ニシは北である。

首里から中北(ナカニシ)は中城、北(ニシ)は越来(城の前ともいう)、座喜味は大北(ウフニシ)

北(ニシ)に最近、どんな碑が建ったかたのしみ。

 たのむぜ90番知花線!
  

Posted by すながー at 05:41Comments(2)TrackBack(0)中部の歌碑

2008年02月11日

中部の歌碑(1)

吉屋チル琉歌碑


読谷村側に立つ歌碑





恨む比謝橋や
情けないぬ人の
わ身渡さと思て
かきておきやら

  吉屋チル



よみ)うらむふぃじゃばしや
   なさきねんふぃとぅぬ
   わんわたさとうむてい
   かきてぃおちゃら




意味)恨めしいこの比謝橋よ
   情けない人が 私を渡そうと思って
   かけておいたのだろうか




嘉手納側に古くからある歌碑




吉屋チルは読谷村の生まれ。家が貧しいため幼くして那覇の遊郭に身売りされた女性です。

「恨む比謝橋」は、チルが売られていく途中、比謝橋を渡った際に詠んだものだそうです。齢8歳です。歌の感性や婉曲(えんきょく・やわらかめに遠回しなさま)な表現技法などはすでに天才ですよね。  (枕草子の清少納言レベルです)

沖縄では昔、貧しい農村などで子どもの人身売買が行われていました。男の子は糸満の漁師に、女の子は那覇の遊郭に売られていたのですね。

チルは幼くして那覇仲島(いまの那覇バスターミナル付近)の遊郭に身売りされ、最初は下働き、のちに遊女となってからは待ち時間やオフを利用して多くの秀歌を残しています。近くに新聞社でもあれば毎年優秀賞をもらっているはずです。

遊郭でも鋭い感性を披露。自分が上の句を詠み、下の句をうまく返せる男性しか相手にしなかったという逸話も残っています。遊びに来る男性もたいへんです。

仲里里之子と恋に落ちたようですが、身を裂くような歌を残して18歳の若さで生涯を閉じています。自殺だったかもしれませんが詳細は不明です。わずかじゅうはちです。


及ばらぬとめば思ひ増す鏡
 影やちよんうつち拝みぼしゃぬ



〜とうてい及ばない身の上の恋と思うと、いよいよ思いは増すばかり
 せめて真澄(ますみ・掛詞)の鏡に面影だけはうつして拝みたいものだ〜

 新古今和歌集でもハイレベルに位置する優秀作品だと思います。




むかしの比謝橋
(吉屋チルを渡すために情けない人たちによって架けられました。ホントカヨ!)




いまの比謝橋
(米軍上陸直後、撤退する際に日本軍によって破壊されましたが、米軍がいともカンタンに架け直して、戦後、何度か修復しながら現在に至ります)



きょうは国民の祝日…

私は事務所で3days しごとしごとしごと
休日だからはかどることもある
  

Posted by すながー at 03:16Comments(9)TrackBack(0)中部の歌碑