› 黄金の林住期は50から… › 首里巡り2008年03月15日
首里巡り(2)
3/2に行われた「古都・首里巡り」の記録です。
儀保から宝口〜桃原〜池端〜山川〜経由して首里城へ
首里城から坂を下りて金城町へ向かいます。

美しい女性を見ると、ついカメラを向けたくなるのは習性です…失礼!

守礼門 名前だけが大きい門・記念写真をとるために戦後2回復元されました?
個人的には首里高校裏門近くにあったという「中山門」の復元を望みます。

園比屋武御嶽 石造りの屋根の曲線が見事です

西のアザナ入口付近(30年前は琉大図書館前) 下の御庭を望む

西のアザナは標高130mの物見台 遠方にケラマ諸島が見えました。
新都心地区にこの視界を遮る高層ビルを建ててはいけません。

南西方面 真和志〜小禄方面まで眺望できます。家が多いです。

琉球大学跡地
私にとっては首里城跡は
琉大跡地の印象が強いのです。

首里城木曳門を抜けて
真珠道を下ります。
「日本の道100選」
その一つです。

写真で見慣れた
金城町の石畳道

金城町の大アカギ群
西側のアカギは、
拝所みたいになっていて
女性がよく参拝します。
おさい銭も穴へ投げます。
周辺は内金城(うちかねぐしく)とよばれる拝所がいくつかあり、地元の方によってきれいに清掃されています。

ガイドさんから
鬼餅由来の
説明をうけました。
秘話が多いです。

村屋(むらやー)は金城町自治会の集会所でもあります。
ここで古都・首里巡りは解散です。
さて、これから単独で車を置いて来た儀保まで歩いて帰ろうと思います。
最終・帰り道へと続きます。

金城町村屋から西へ
山川へ上がる道も
また趣があります。

首里高校正門です
ガジュマルにも歴史

坂の向こうになにがある?
大中町の教会付近

人生の分岐点に遭遇
坂を上りきると道がふた手に分かれています。儀保へいくにはどっちが近いでしょう?
人生にはしばしば選択を迫られることがあります。
しばらく右へ左へ歩くと儀保の祭り会場本部へ戻りました。(完)
儀保から宝口〜桃原〜池端〜山川〜経由して首里城へ
首里城から坂を下りて金城町へ向かいます。
美しい女性を見ると、ついカメラを向けたくなるのは習性です…失礼!
守礼門 名前だけが大きい門・記念写真をとるために戦後2回復元されました?
個人的には首里高校裏門近くにあったという「中山門」の復元を望みます。
園比屋武御嶽 石造りの屋根の曲線が見事です
西のアザナ入口付近(30年前は琉大図書館前) 下の御庭を望む
西のアザナは標高130mの物見台 遠方にケラマ諸島が見えました。
新都心地区にこの視界を遮る高層ビルを建ててはいけません。
南西方面 真和志〜小禄方面まで眺望できます。家が多いです。
琉球大学跡地
私にとっては首里城跡は
琉大跡地の印象が強いのです。
首里城木曳門を抜けて
真珠道を下ります。
「日本の道100選」
その一つです。
写真で見慣れた
金城町の石畳道
金城町の大アカギ群
西側のアカギは、
拝所みたいになっていて
女性がよく参拝します。
おさい銭も穴へ投げます。
周辺は内金城(うちかねぐしく)とよばれる拝所がいくつかあり、地元の方によってきれいに清掃されています。
ガイドさんから
鬼餅由来の
説明をうけました。
秘話が多いです。
村屋(むらやー)は金城町自治会の集会所でもあります。
ここで古都・首里巡りは解散です。
さて、これから単独で車を置いて来た儀保まで歩いて帰ろうと思います。
最終・帰り道へと続きます。
金城町村屋から西へ
山川へ上がる道も
また趣があります。
首里高校正門です
ガジュマルにも歴史
坂の向こうになにがある?
大中町の教会付近
人生の分岐点に遭遇

坂を上りきると道がふた手に分かれています。儀保へいくにはどっちが近いでしょう?
人生にはしばしば選択を迫られることがあります。

しばらく右へ左へ歩くと儀保の祭り会場本部へ戻りました。(完)
2008年03月13日
首里巡り(1)
古都・首里巡り
3月2日のよく晴れた日曜日でした。
儀保駅祭りのイベントがあり「古都・首里巡り」に参加しました。

今回50人ほどの参加者があり、
2グループに分けました。
予想以上の参加者です。
私たちのグループのガイドを
してくれた慶佐次興和さん。
さっそく出発します。

かつての儀保村の宝口にある滝です。さすがに水質は悪くなっているようですが、かつて湧き水豊富な首里の面影を十分に彷彿させます。
宝口樋川と呼ばれる周囲には今でも湧き水が出ています。

宝口で伝統的な琉球和紙づくりを
継承している安慶名清さんのお話。
王府時代の話を昨日の出来事のように語ります。

桃原にある尚家の屋敷裏側です。
拝みをしない人でも入れます。
地下壕のような奥には、琉球王府時代からすでに神格化されたカー(井泉)があります。

尚真王代に佐司笠按司(さしかさあじ)という方が、水鳥が舞うこの桃原の地に目をつけカー(井泉)を掘り当てたそうです。当時、水を制すれば地域の繁栄が約束できたのでしょう。佐司笠按司は首里の地に永遠に名を残しました。
現在でも拝む人が絶えることないのはさすが首里です。いつまでも残しておきたい拝所です。

奥には500年程前に造られたとおぼしき井戸跡があります。
アーチ型の水口は、規模が違いますが、座喜味グスクや崇元寺石門などのつくりとよく似ています。同じ時代なのでしょう。
ラジオ沖縄の「カーを訪ねて」みたいになってきました。

ガイドの話は現場で聞くからいっそう迫力があります。
桃原から大中〜山川〜首里城へと進みます。

玉那覇味噌醤油:王府時代からある国王御用達の伝統的な味噌醤油工場
商標も江戸時代のようで歴史を感じます。

安谷川に入りました。
そこは川ではなく井泉(いせん)のカーです。

安谷川御嶽。当の蔵保育所の隣です。

御嶽の裏手にある壕
戦時中の避難場所

あじまー(交差点)/琉球王府時代の宿道へ向かう最初の大きな交差点
普天間街道と西海岸の街道が交差するスクランブル交差点(旧博物館の裏)
足が丈夫なのは年輩者です。このように、歩くのが遅い若者らを待ちます。

安庵(あんあん)
上品な住宅の中にある茶房。
なんか入りずらいです。
「ごめんくださーい、(悪いことしてないけど)すみませーん!」

世持橋跡 龍潭通りの下、
津留さん宅の向かいです。
「すべての水は龍潭に通じる?」

新しいけど昔なつかしい定食屋(史跡ではありません)

池端三叉路。池端市場跡
現在は、大型の観光バスやレンタカーがひっきりなしに通ります。
私の青春時代、かつてあったロマン書房や池端スーパーは影も形もありません。
道路拡張工事が進行中です。
いよいよ首里城に近づきました。
続く
3月2日のよく晴れた日曜日でした。
儀保駅祭りのイベントがあり「古都・首里巡り」に参加しました。
今回50人ほどの参加者があり、
2グループに分けました。
予想以上の参加者です。
私たちのグループのガイドを
してくれた慶佐次興和さん。
さっそく出発します。
かつての儀保村の宝口にある滝です。さすがに水質は悪くなっているようですが、かつて湧き水豊富な首里の面影を十分に彷彿させます。
宝口樋川と呼ばれる周囲には今でも湧き水が出ています。
宝口で伝統的な琉球和紙づくりを
継承している安慶名清さんのお話。
王府時代の話を昨日の出来事のように語ります。
桃原にある尚家の屋敷裏側です。
拝みをしない人でも入れます。
地下壕のような奥には、琉球王府時代からすでに神格化されたカー(井泉)があります。
尚真王代に佐司笠按司(さしかさあじ)という方が、水鳥が舞うこの桃原の地に目をつけカー(井泉)を掘り当てたそうです。当時、水を制すれば地域の繁栄が約束できたのでしょう。佐司笠按司は首里の地に永遠に名を残しました。
現在でも拝む人が絶えることないのはさすが首里です。いつまでも残しておきたい拝所です。
奥には500年程前に造られたとおぼしき井戸跡があります。
アーチ型の水口は、規模が違いますが、座喜味グスクや崇元寺石門などのつくりとよく似ています。同じ時代なのでしょう。
ラジオ沖縄の「カーを訪ねて」みたいになってきました。
ガイドの話は現場で聞くからいっそう迫力があります。
桃原から大中〜山川〜首里城へと進みます。
玉那覇味噌醤油:王府時代からある国王御用達の伝統的な味噌醤油工場
商標も江戸時代のようで歴史を感じます。
安谷川に入りました。
そこは川ではなく井泉(いせん)のカーです。
安谷川御嶽。当の蔵保育所の隣です。
御嶽の裏手にある壕
戦時中の避難場所
あじまー(交差点)/琉球王府時代の宿道へ向かう最初の大きな交差点
普天間街道と西海岸の街道が交差するスクランブル交差点(旧博物館の裏)
足が丈夫なのは年輩者です。このように、歩くのが遅い若者らを待ちます。
安庵(あんあん)
上品な住宅の中にある茶房。
なんか入りずらいです。
「ごめんくださーい、(悪いことしてないけど)すみませーん!」
世持橋跡 龍潭通りの下、
津留さん宅の向かいです。
「すべての水は龍潭に通じる?」
新しいけど昔なつかしい定食屋(史跡ではありません)
池端三叉路。池端市場跡
現在は、大型の観光バスやレンタカーがひっきりなしに通ります。
私の青春時代、かつてあったロマン書房や池端スーパーは影も形もありません。
道路拡張工事が進行中です。
いよいよ首里城に近づきました。
続く


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