てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › スポーツ・健康

2008年07月14日

浦添商業おめでとう

ブログ夏休み中ですが、昨日の高校野球沖縄大会決勝戦で感極まることがありましたので感想を書きます。




おめでとう浦添商業!

 試合は選抜の覇者・日本一に輝いた沖縄尚学を、ここ数年あと一歩のところで甲子園出場を逃していた浦添商業が執念ともいうべき恐るべき集中力で撃破するという結果に終わりました。おめでとう浦添商業のみなさん。私も地元浦添市民・自宅から最も近い高校が甲子園に進出することにうれしく思います。

普通の子でもやればできる

 ところで初回に3点タイムリー2塁打を放った當山君は我が小さなハイツ自治会内の少年です。わすか4か月前の春季大会までは3年生になってもベンチ入りすらできなかった子どもです。うちの愚息と同じ齢なので小学校の頃から見ているのですが、体が小さくどちらかといえばひ弱なイメージのゆうや君が、急に逞しくなって沖縄尚学の投手・巨人軍がこの秋ドラフト1位で指名するともいわれている東浜君から試合を決定づけるような走者一掃の2塁打を放った瞬間には涙が出ました。(写真:沖縄タイムス)

おそるべし高校生の成長力

 當山君は守備はまずまず上手いのですが打撃力が課題だったようです。浦添商業高校は男子生徒200名のうち半分以上の110名の野球部員、その中で彼は冬場から春夏にかけて誰よりも多く相当バットを振りこんで筋力もつけたのでしょう。春まではベンチにすら入れなかった3年生が、チーム内の激しいポジション争いに勝ってこの夏やっとつかんだレギュラーの座。そして昨日の決勝戦で東浜投手からの3点打。
 打たれた東浜くんもきっと3点打は彼の野球人生では初めての体験だったでしょう。打った當山君は、この2年半(明るい時間帯に見かけたこともないくらい)早朝から夜遅くまで、きっとどんなことがあってもくさらずあせらず不平を言わずチームのみんなと真面目に地道に野球に取り組んだ結果だと思います。おそるべし高校生の成長力です。

周囲への感謝の心を忘れずに

 當山君も浦添商業のみんなも感謝の心を忘れずにいてほしいです。支えてくれた110名の部員をはじめ周囲で野球の環境を与えてくれた父母・OBすべての力が結集されたことを肝に銘じてほしいですね。神谷監督の言葉も印象的でした。「沖縄尚学さんがいたからここまでやれた」と。
 もう一度あの2塁打の場面、「インコーナーに直球が来る」と読んでいた當山君に事前にアドバイスしていた監督さんやスコアラーのデータ分析も見事でした。野球も人生も一人でうまくいくものではありません。浦添商業にとって2年がかりでしかも11年ぶりにやっとつかんだ甲子園の切符です。できるだけ長く甲子園にいてさわやかに暴れてほしいです。 
……首里高校が県代表で初めて甲子園に出て50年の節目に、首里城の前身・浦添城よりもさらに歴史を遡る伊祖城跡のふもとの浦添商業高校に深紅の大優勝旗を持ち帰る大きな夢が託されました。甲子園では思いっきり暴れてほしいですね。野球野球野球  

Posted by すながー at 11:38Comments(0)TrackBack(0)スポーツ・健康

2008年05月21日

栽弘義を偲ぶ会

20日夜かりゆしアーバンリゾート・ナハで「故・栽弘義を偲ぶ会」が催されました。昨年5月に肺炎で亡くなった沖縄水産高校前監督は甲子園通算29勝をあげた復帰後もっとも有名な人物かもしれません。私は野球友人のおつきあい並びに取材も兼ねて参加させていただきました。開宴前から続々県内外の野球関係者が詰めかけ、栽弘義監督の遺影の献杯を捧げる頃には500名を越え、最終的には550名の大宴会になりました。


(左から)小禄高校野球部 高良雅秀監督/豊見城高校野球部 照屋巧巳監督/
沖縄水産高校野球部 宜保政則監督//みなさん現役監督です。


550名を超える野球人らで熱気に包まれた


沖縄水産高校野球部OBの池田卓のライブ
さすがの卓もこわ〜い先輩たちの前で緊張気味


会場の後ろに展示された栽弘義氏の写真や遺品
  

Posted by すながー at 21:03Comments(0)TrackBack(0)スポーツ・健康

2008年04月04日

沖尚、おめでとう!

沖尚、おめでとう! 感無量です。



首里高校が沖縄から初の甲子園。持ち帰ろうとした土は、植物検疫法で海中に捨てられた。
(1958年8月)「沖縄県発行『沖縄50年の歩み』より」

パスポート持参、鹿児島経由、船と列車の長旅…あこがれのニッポンの甲子園…
同情されて出させてもらって大敗して帰ることが多かった。

あれから50年…
まさか優勝するとは。
次は沖尚他のチームで夏の制覇を!!
  

Posted by すながー at 15:07Comments(5)TrackBack(0)スポーツ・健康

2008年04月04日

高校野球ファン

今、ほとんどの県民が沖尚の快進撃に盛り上がっている最中、私的には北谷野球場で行われている春季高校野球大会、準決勝で浦添商業と対戦する首里高校も気になっていました。結果は残念ながら完敗。決勝進出は果たせなかったようです。明日5日には三位決定戦に臨みます。首里は野球部員八十人以上の大所帯です。新学期からは百名以上になるでしょう。毎年いい選手が次々と入部しているようです。県内外との練習試合、遠征試合も数多くこなし、いまでは中部商業、沖尚とも互角に近いところまで力がついたと聞いています。沖尚を含めて県で3〜4位の実力がついたことはたいへんな収穫です。今春季大会準々決勝で、昨年甲子園で活躍した選手が残る興南高校を下したことは圧巻でした。今日4月4日は甲子園球場センバツ決勝戦の沖尚高、明日は北谷野球場三位決定戦の首里高です。ひょっとすると首里高は夏の県予選で沖尚・東浜くんを打ち崩して甲子園に行くかもしれません。野球に絶対はありません。東浜くんも昨年夏の興南戦準決勝で最終回にとつぜん足の痙攣を起こし、マウンドを下りたあと、結果延長で負け涙を飲みました。あの悔しさが今のセンバツの活躍につながっています。東北楽天イーグルスだって大方の予想に反して現在パリーグで首位です。ヤクルトも快進撃を続けています。今年の野球はおもしろいです。ここ40年近く甲子園から遠のいている首里もおおいに期待できます。なにがあるかわからないです。ところで今日の沖尚は7:0の大差で勝つと思います。優勝祝賀会のあと、明日からまた夏の予選にむけて激戦を勝ち抜くための試練が待っています。チバリよー首里と沖尚!  

Posted by すながー at 10:56Comments(2)TrackBack(0)スポーツ・健康

2008年04月02日

沖尚勝った〜!

沖尚勝ちよったなあ〜 よかった〜野球沖縄野球


30年数前は「とみしろ、また勝ちよったな〜」
が見知らぬ人どうしでも挨拶代わりだった。
国際通りの三越向かいあたりに街頭テレビがあってビデオ再生なる新型機械が導入して
終わったはずの試合を一日中くりかえし放送していたのを見てタマシヌガシタことがある。

私事かつて浪人時代だったと思うが、運転学校(沖縄では「ジレン」という。内地ではジレンという単語はない)の仮免教習中に指導官と高校野球の実況に夢中になって、1号線に車をずっと止めて練習にならなかった思い出もある。

1970年代まで国際通りでは99%の人が沖縄の高校生の野球に心一つになって熱狂した。
(現在、ひめゆり通りから西側は「ヤマト自治区」みたいだからどうだろう?)



あたらしいパソコン富士通FMV、テレビが見れるというふれこみはあったが操作がわからなかった。今日はじめてワンセグチューナーとかいうアンテナを使って受信に成功した。人間、必要に迫れればなんとかなるものである。時代は急速に進んでいることを体感!


ちなみに那覇の旧真和志・首里〜南風原は先住民中心自治区です。
浦添は富裕民地区でコザ十字路はまだ15世紀です。もちろん例外もあり。


※上原くんの先発を予想してました(マイビジネスブログ参照)。だけどストライク入らんからこっちが緊張したさあ。 結果的に勝ててよかったけど!
上原くん期待してるぞ。明日は最初からビシッといって完封するはずよ〜。  

Posted by すながー at 19:17Comments(4)TrackBack(0)スポーツ・健康

2007年11月28日

中学野球〜追記

11月26日のニュースの写真が届きましたので
ここで掲載させていただきます! (写真提供者:健&貢

祝・真和志中学OB初優勝!!
第20回昭和32年生 那覇地区中学OB野球大会

   11月25日(日)豊見城市瀬長島野球場


瀬長島野球場 決勝戦終了直後です!


懇親会・祝勝会でおいしいお酒をいただきました(小禄JA会館)


大優勝旗と賞金をゲットしました!


優勝記念写真、苦節20年かかりました  

Posted by すながー at 13:18Comments(3)TrackBack(0)スポーツ・健康

2007年11月26日

中学OB野球大会

突然ですが臨時ニュースです!
祝・真和志中学OB初優勝!!
第20回昭和32年生 那覇地区中学野球大会
11月25日(日)瀬長島野球場

20回の記念大会に初出場の小禄も含めて
10チーム150人近い大勢の参加でした

真和志中学初優勝の足跡
1回戦 石田中学戦 6:3 
 先制して追加、なんとか逃げ切る!
2回戦 安岡中学戦 5;0 
 終盤まで0:0の緊迫した投手戦
決勝戦 神原中学戦 8:7延長サヨナラ

試合に集中し写真撮るの忘れてました.
どなたか写真撮ったかた送ってほしいさあ。

ここちよい筋肉痛、40代は神原、首里の時代でした。
50代は真和志の時代です、ね。私は5年連続参加。
大会は20年も続いたんだから、あと10年は大丈夫!
関係者の方々、お疲れさまでした。
近日、琉球新報「ローカルニュース」で載るはず。
それでは、また来年! 日々身体のケアを!
臨時ニュースを終わります。  

Posted by すながー at 21:34Comments(0)TrackBack(0)スポーツ・健康

2007年10月28日

首里八景(2)首里高校甲子園初出場記念碑

 

    首里高校甲子園初出場記念碑

「第四十回大会 甲子園出場記念碑 昭和三十三年八月八日」と刻印されている。49年前のできごとである。

戦後、沖縄高校野球の道のりは苦難の連続であった。1958年、首里高校が初めて甲子園大会に出場する。仲宗根主将が堂々と選手宣誓。大観衆に迎えられ、高校野球はいち早く「本土復帰」を果たすことになる。試合は敦賀(福井)に惜敗(0:3)したが、懸命なプレーはアルプススタンドに感動を呼んだ。沖縄の人々が待ち望んでいた、沖縄の甲子園野球がスタートした。

ところが、この大会出場で「米軍統治下の沖縄」を象徴する「事件」が待っていた。試合後、ナインは甲子園の土をバッグに詰め持ち帰った。泊港に接岸。上陸を始めたところ、「待った」がかかる。琉球政府の「植物防疫法」が立ちはだかり、土の持ち込みを阻んだ。熱戦の感動と汗を含んだ土が海へ捨てられた。思いもよらぬ出来事であった。

理不尽な処置に、首里高校ナインは二度目の涙を流す。同時に、この出来事がニュースとなり全国へ波紋を広げ、野球ファンの同情を誘うことになる。後に日航のスチュワーデスが小石をプレゼントしたが、沖縄の置かれていた時代状況はその後も久しく変わることはなかった。いま、その小石は同校の記念碑に埋め込まれている。記念碑は校内の「ロマンの森」の移転に伴いそのまま移動された。  

Posted by すながー at 08:30Comments(0)TrackBack(0)スポーツ・健康