› 黄金の林住期は50から… › 那覇・南部の歌碑2008年03月09日
山之口貘の詩碑
那覇市与儀公園内(市民会館裏)
桜が満開の2月の末ころ
土の上には床がある
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団で
その上にあるのが楽といふ
楽の上には
なんにもないのであろうか
どうぞおしきなさい
とすすめられて
楽にすわったさびしさよ
土の世界をはるかに
みおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界が
さびしいよ
山之口貘の詩碑
明治以降の沖縄に対する差別政策。琉球を処分を通してやっと手に入れた日本の一部・おきなわ
→重税、方言撲滅(沖縄言葉の廃止運動)→→沖縄の伝統芸能など文化の否定→すべて大和・ニッポンのものがいいんだという教え→戦争への道へと突き進み、やがて沖縄中に日本軍の飛行場が建設された昭和19年頃。
戦前戦後を通した沖縄の光と影、悲愁や苦しみ、喜びをいきいきとした言葉でつづって、昭和の詩壇に大きな足跡を残したのが山之口貘(やまのぐちばく)。彼は激変する時代を見つめながら、強度に抱く熱い思いを詩に託した。
山之口貘は1903年に那覇で生まれた。本名は山口重三郎という。県立一中(現首里高校)出身。大正末期の1922年に上京したが、職を転々とし、放浪の生活を送らざるを得なかった。やがて太平洋戦争へ突入し終戦は内地で迎える。
1935年創刊の詩誌「歴程」に参加し、独特の風刺とユーモアの漂う詩風で知られ、40年に「山之口貘詩集」を出版している。戦後は「日本未来派」などの雑誌に詩を発表したほか、小説をも手がけ注目を浴びた。
貘さんの詩はどれも、沖縄の現実と沖縄の人々の姿があたたかい目で描かれ、彼の詩の世界は現代にも新鮮に生きている。
東京の貘さんは沖縄戦の惨禍から立ち上がった
沖縄への思いをこう詩っている
『不沈母艦沖縄』
守礼の門のない沖縄
崇元寺のない沖縄
がじまるの木のない沖縄
(10行略)
どうやら沖縄が生きのびたところは
不沈母艦沖縄だ いま八十万のみじめな生命達が
甲板の片隅に追いつめられていて 鉄やコンクリートの上では
米を作るてだてもなく 死を与えろと叫んでいるのだ
1958年、34年ぶりの故郷沖縄に帰り、
その第一印象を詩に表現した
『弾を浴びた島』
島の土を踏んだとたん
ガンジューイとあいさつしたところ
はいおかげさまで
元気ですとか言って
島の人は日本語で来たのだ
郷愁はいささか戸惑いしてしまって
ウチナーグチマディンムル
イクサニ サッタルバスイと言うと
島の人は苦笑したのだが
沖縄語は上手ですねと来たのだ
米軍の占領支配下の沖縄。標準語励行運動の沖縄。
貘さんは、沖縄世(ウチナーユ)を見ることもなく1963年初め頃から胃ガンを患い、同年7月に東京で亡くなった。 59歳だった。死後、獏さんの詩集はより一層多くの人々に評価されるようになった。


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