› 黄金の林住期は50から… › 2007年10月2007年10月31日
首里八景(6) 安谷井泉(アダニガー)拝所
首里八景(6) 安谷井泉(アダニガー)拝所
旧博物館右脇、当蔵保育所敷地に隣接。カーは井泉であり、市教育委員会が表記する「川」ではありえないはずだが。拝所は大阿母志良礼(おおあむしられ)という神女の所管だった。宝珠をのせたアーチ門の拝殿は石垣である。内域には依代の神岩と神木を、円形に石囲いしてある。御嶽庭は石畳を敷いている。石碑には、「1814年に村の有志の勧進により大修理を加えて御嶽の石垣を直し、樹木を植えて清浄にした」とある。この御嶽は当蔵町の鎮守、いつもキレイにしている。
2007年10月30日
首里八景(5) 高校のガジュマル木
高校のガジュマル木
30数年前と比べて、校舎のレイアウトやグラウンドまですべて昔日の姿なく、あとかたもなく変わった。
35年余の年輪は 中では確実に変わっているかもしれないが、唯一1975頃の面影を残してくれるものがあった。
正門前のガジュマル木
大きくなりすぎて
崩れはしないか?
2007年10月29日
首里八景(4)西来院(達磨寺)山門の力士像
西来院(達磨寺)山門の力士像
琉銀鳥堀支店奥、地元では達磨寺と愛称されている。山門の二体の力士像は小ぶりだが迫力がある。守り本尊は阿弥陀如来(戌・亥)・文殊菩薩(卯)で、病気快復、女体守護や、先祖・水子の供養寺として参詣者は絶えない。西来とは達磨大師が西天から中国に来られたという意味と、阿弥陀仏が西方浄土から迎えに来るという意味か。本尊は阿弥陀如来。臨済宗妙心寺派。駐車場あり。
2007年10月29日
まつりばやし
まつりばやし
肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね
けれど行列は 通り過ぎていったところで
後ろ姿しか 見えなくて 残念だった
あとで思えば あの時の 赤い山車は
私の すべてのまつりの後ろ姿だった
もう 紅い花が 揺れても
今年よく似た 声をかき消す まつりの中
信じられない おまえの最後を知る
眠りはじめた おまえの窓の外
まつりばやしは 静かに
あでやかに通り過ぎる
もう 紅い花が 揺れても
人は誰でも まつりの終わりを知る
まつりばやしに 入れなくなる時を知る
眠りつづけるおまえよ 私のところへは
まつりばやしは
二度とは来ないような気がするよ
もう 紅い花が 揺れても
もう 紅い花が 揺れても
もう 紅い花が 揺れても
現代日本を代表する女流詩人/シンガーソングライター
中島みゆき 「まつりばやし」より
2007年10月28日
首里八景(3)古式行列in国際通り
首里八景(3)古式行列in国際通り
琉球歴史絵巻〜華やかな王朝文化のお披露目
復帰前、首里高校の文化祭での古式仮装大会?が、勢い余って学校を飛び出し周辺を行列組んで歩いたというのが発端。のちに地域の首里文化祭に吸収され観光客の増加とともに年々大きくなったイベント。いつしか那覇まで出張して歩くようになった。300人分位の日当や交通費があれば、そのうち江戸(東京)や北京まで飛び出していくかもしれない。ちなみに今でも首里高校生から交通費手当有で行列要員の募集はするらしい。さらに余裕があれば半年くらいかけて薩摩経由〜西日本〜京都・大阪〜東海道から江戸に上ってもおもしろい。(夜は各地の旅館で連日、大宴会したり…)
2007年10月28日
首里八景(2)首里高校甲子園初出場記念碑
首里高校甲子園初出場記念碑
「第四十回大会 甲子園出場記念碑 昭和三十三年八月八日」と刻印されている。49年前のできごとである。
戦後、沖縄高校野球の道のりは苦難の連続であった。1958年、首里高校が初めて甲子園大会に出場する。仲宗根主将が堂々と選手宣誓。大観衆に迎えられ、高校野球はいち早く「本土復帰」を果たすことになる。試合は敦賀(福井)に惜敗(0:3)したが、懸命なプレーはアルプススタンドに感動を呼んだ。沖縄の人々が待ち望んでいた、沖縄の甲子園野球がスタートした。
ところが、この大会出場で「米軍統治下の沖縄」を象徴する「事件」が待っていた。試合後、ナインは甲子園の土をバッグに詰め持ち帰った。泊港に接岸。上陸を始めたところ、「待った」がかかる。琉球政府の「植物防疫法」が立ちはだかり、土の持ち込みを阻んだ。熱戦の感動と汗を含んだ土が海へ捨てられた。思いもよらぬ出来事であった。
理不尽な処置に、首里高校ナインは二度目の涙を流す。同時に、この出来事がニュースとなり全国へ波紋を広げ、野球ファンの同情を誘うことになる。後に日航のスチュワーデスが小石をプレゼントしたが、沖縄の置かれていた時代状況はその後も久しく変わることはなかった。いま、その小石は同校の記念碑に埋め込まれている。記念碑は校内の「ロマンの森」の移転に伴いそのまま移動された。
2007年10月27日
首里八景(1)継世門
首里八景(1)継世門
継世門は首里城の東側の外郭の門、裏門です。主に首里城の通用門として使われ、城内で生活に用いる品物などはここから運び込まれましたそうです。また国王が亡くなったとき、その後を継ぐ新しい王はこの門から入城しました。継世門という名前はここから来てます。観光客があまりこないから静かで好きな門の一つです。
2007年10月26日
やはり芸術の秋でしょう

写真は首里城裏手〜 役者の出入り口
組踊で 止まっているか歩いているか分からない抜き足差し足…
そんな踊りを何分も見ていると300年前に連れ戻されるよう
そういえば首里高校にも時速1キロ弱で歩く女生徒が数人いた。
沖縄のひとときの秋、朝夕涼しいけど、昼は暑くて汗かいたり
ミーニシ(新北風)が吹いて、早足の台風も発生してた…
スポーツの秋 食欲の秋 読書の秋
そして アンジェラ・アキ?
でもやはり芸術の秋でしょう。
11/1には県立博物館・美術館が開館する。
「にしむい画家たち」の遺族の一人、
仕事でおつきあいのある安谷屋さん(82)が
最近テレビに出るのが うれしくて うれしくて
2007年10月26日
組踊「手水の縁」

組踊「手水の縁」 首里城/下の御庭で見ることできた。
見るというより聴いた。よかった。音楽も役者の口上も所作も。
琉球古典芸能の完成とも言われる組踊に取り憑かれて35年。
ライブで若い役者だと多少こちらも緊張する80分だった。
私の横に台本片手に台詞をチェックしている男性もいた。
人の話を聴く姿勢の美しさは現代人は見習うべきであろう。
2007年10月25日
年齢に関するメモ(5) 九〇〜〜
年齢に関するメモ(5)
九〇:卒寿。「卒」の通用異字体が「九十」に分解できることから
九七:八五歳の祝いから「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる
沖縄ではカジマヤー(風車の祝い)。
(花ぬ風車や 風つれてめぐる 我身や友つれて 遊ぶうれしや)
九九:白寿。「百」の字から「一」をとると「白」になることから。
一〇〇:上寿。〈百年に老舌出でてよむとも
われはいとはじ恋は益すとも(大伴家持)
一一三:皇寿。「皇」の字を分解すると。「白」は九九、
「王」は「十」と「三」数え年の百十三歳
※なお、「茶寿」百八歳や「川寿」百十一歳もあるが、
まだ一般には承認されていない。
百八歳=茶寿(「茶」を分解すると、「艸(二十)」、「八十八」。
これを加えると百八)
百十一歳=川寿(「川」の字を算用数字111とみなす) 完
九〇:卒寿。「卒」の通用異字体が「九十」に分解できることから
九七:八五歳の祝いから「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる
沖縄ではカジマヤー(風車の祝い)。
(花ぬ風車や 風つれてめぐる 我身や友つれて 遊ぶうれしや)
九九:白寿。「百」の字から「一」をとると「白」になることから。
一〇〇:上寿。〈百年に老舌出でてよむとも
われはいとはじ恋は益すとも(大伴家持)
一一三:皇寿。「皇」の字を分解すると。「白」は九九、
「王」は「十」と「三」数え年の百十三歳
※なお、「茶寿」百八歳や「川寿」百十一歳もあるが、
まだ一般には承認されていない。
百八歳=茶寿(「茶」を分解すると、「艸(二十)」、「八十八」。
これを加えると百八)
百十一歳=川寿(「川」の字を算用数字111とみなす) 完
2007年10月24日
年齢に関するメモ(4) 七三〜八八歳
年齢に関するメモ(4) 七三〜八八歳
七三:還暦から「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる
七七:喜寿。「喜」の字の草体「●」が「七十七」に分解できるところから
八〇:傘寿。「傘」の字の略体「△」が「八十」に分解できるところから
八一:半寿。「半」の字が「八十一」に分解できるところから数え八十一
八五:七三歳の祝いから「十二年目の干支」にあたる。この年を祝う
八八:米寿。「米」の字が「八十八歳」に分解できるところから
数え年の八十八歳。米寿の賀・米の祝い。沖縄では「トーカチ」
斗掻(枡の縁を平にならす道具)を祝賀の客に進呈した
七三:還暦から「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる
七七:喜寿。「喜」の字の草体「●」が「七十七」に分解できるところから
八〇:傘寿。「傘」の字の略体「△」が「八十」に分解できるところから
八一:半寿。「半」の字が「八十一」に分解できるところから数え八十一
八五:七三歳の祝いから「十二年目の干支」にあたる。この年を祝う
八八:米寿。「米」の字が「八十八歳」に分解できるところから
数え年の八十八歳。米寿の賀・米の祝い。沖縄では「トーカチ」
斗掻(枡の縁を平にならす道具)を祝賀の客に進呈した
2007年10月24日
年齢に関するメモ(3) 六一〜七〇歳
年齢に関するメモ(3) 六一〜七〇歳
六一:還暦。干支が元に戻ることから還暦という。
本卦がえり。下寿。数え年六十一歳(12×5+1)
華甲。華の字は六つの十と一に分解できる
「甲」は「甲子(きのえね)」で干支の最。
六四:破瓜(はか)。瓜の字が二つの「八」の字から出来ているとして、
「八の八倍」として男の六四歳
七〇:古稀(古希)。杜甫の詩「人生七十 古来稀ナリ」が出典
従心。論語の「七十而従心所欲不踰矩」
(七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従ヒテ矩ヲ踰エズ)が出典
六一:還暦。干支が元に戻ることから還暦という。
本卦がえり。下寿。数え年六十一歳(12×5+1)
華甲。華の字は六つの十と一に分解できる
「甲」は「甲子(きのえね)」で干支の最。
六四:破瓜(はか)。瓜の字が二つの「八」の字から出来ているとして、
「八の八倍」として男の六四歳
七〇:古稀(古希)。杜甫の詩「人生七十 古来稀ナリ」が出典
従心。論語の「七十而従心所欲不踰矩」
(七十ニシテ心ノ欲スル所ニ従ヒテ矩ヲ踰エズ)が出典
2007年10月23日
年齢に関するメモ(2)
年齢に関するメモ(2) 40代〜60歳
四〇:不惑。論語の「四十而不惑」(四十ニシテ惑ハズ)が出典
四十暗(しじゅうくらがり/視力の衰え)
四二:男の厄年の中で大厄。語呂からきた「忌み言葉」として、シニ・死)
中間管理職の苦悩?
四九:三七の祝いから「十二年目の干支」。四十九を「始終苦」と忌み嫌う
五〇:艾耆(がいき)。頭髪が「艾(よもぎ)」のようにゴマ塩になる年代
「艾」は五十歳代。「耆」は六十歳代
知命。論語の「五十而知天命」(五十ニシテ天命ヲ知ル)が出典
己の限界を知るところか
六〇:耳順。論語の「六十而耳順」(六十ニシテ耳ニ順フ)が出典
他人の言葉が素直に受け入られる年齢
四〇:不惑。論語の「四十而不惑」(四十ニシテ惑ハズ)が出典
四十暗(しじゅうくらがり/視力の衰え)
四二:男の厄年の中で大厄。語呂からきた「忌み言葉」として、シニ・死)
中間管理職の苦悩?
四九:三七の祝いから「十二年目の干支」。四十九を「始終苦」と忌み嫌う
五〇:艾耆(がいき)。頭髪が「艾(よもぎ)」のようにゴマ塩になる年代
「艾」は五十歳代。「耆」は六十歳代
知命。論語の「五十而知天命」(五十ニシテ天命ヲ知ル)が出典
己の限界を知るところか
六〇:耳順。論語の「六十而耳順」(六十ニシテ耳ニ順フ)が出典
他人の言葉が素直に受け入られる年齢
2007年10月22日
年齢に関するメモ(1)0〜30代まで
年齢に関するメモ(1)0〜30代まで
(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)
誕生:人が生まれること。最初に訪れる最も恐ろしい災難?(『悪魔の辞典』)
十三:誕生から「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる。十三祝い。
十五:志学。論語の「吾十有五而志於学」(吾レ十有五ニシテ学ニ志シ)が出典。
十六:破瓜。瓜の字が二つの「八」の字から出来ている。八八で女の十六歳.
十九:女の厄年。厄年の福は払い落としても落ちず。
二〇:弱冠。男子二十歳。(二十歳を弱といって元服して冠をかぶった)。
二五:十三の祝いから「十二年目の干支」にあたる。男の厄年。
三〇:而立。論語の「三十而立」(三十ニシテ立ツ」が出典。
三三:女の厄年の中で大厄。(語呂からきた「忌み言葉」として、散々)。
三七:二五の祝いから「十二年目の干支」にあたる。昔は祝った。
(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)
誕生:人が生まれること。最初に訪れる最も恐ろしい災難?(『悪魔の辞典』)
十三:誕生から「十二年目の干支」(十二支の一巡)にあたる。十三祝い。
十五:志学。論語の「吾十有五而志於学」(吾レ十有五ニシテ学ニ志シ)が出典。
十六:破瓜。瓜の字が二つの「八」の字から出来ている。八八で女の十六歳.
十九:女の厄年。厄年の福は払い落としても落ちず。
二〇:弱冠。男子二十歳。(二十歳を弱といって元服して冠をかぶった)。
二五:十三の祝いから「十二年目の干支」にあたる。男の厄年。
三〇:而立。論語の「三十而立」(三十ニシテ立ツ」が出典。
三三:女の厄年の中で大厄。(語呂からきた「忌み言葉」として、散々)。
三七:二五の祝いから「十二年目の干支」にあたる。昔は祝った。
2007年10月14日
那覇で大綱で幸せも引きよせた
那覇で大綱挽いた/37回目。県民+外国人による大娯楽県民大会に20万人余。
私が中学生のとき復活して以来、ナーファの一大イベント。昔から外人は多かった
のこぎりでカットした大綱(大人がやっとかつげる)はしっかり某先生宅へ納めた。
シャワー浴びて久茂地三角公園の近くで一杯、秋風に吹かれて日本酒が旨かった。
那覇で大綱で幸せも引き寄せた。健康と豊作(富)も引き寄せて挽いてみた。
私が中学生のとき復活して以来、ナーファの一大イベント。昔から外人は多かった
のこぎりでカットした大綱(大人がやっとかつげる)はしっかり某先生宅へ納めた。
シャワー浴びて久茂地三角公園の近くで一杯、秋風に吹かれて日本酒が旨かった。
那覇で大綱で幸せも引き寄せた。健康と豊作(富)も引き寄せて挽いてみた。
2007年10月10日
汗かいて手仕事してる人に会いました

汗かいて手仕事してる人に会いに読谷へいってきました。
天気がいいので写真ちゃー撮りぃ
優雅なように見えても、結構分刻みの過酷スケジュール
午後にはもどって原稿ちゃー書きぃ、昼飯も忘れてぃ…
夕方〜世話になった人に会いに〜〜
2007年10月01日
今日から10月
今日から10月、やること思ふこと多し
「教科書検定撤回県民大会」関連記事を読むだけでも
涙が出る… 政府は沖縄人の琴線に触れてしまった
【軍隊は今も昔も住民を守らない】
〜国内唯一の地上戦・沖縄戦から学ぶこと〜
そもそも日本史教科書の内容のほとんどは
沖縄から見れば外国史。我々の先祖・琉球史ではない
いままでの記述さえ不十分すぎたのに
「軍命」が消された意図は戦争美化そのもの
今後政府の対応が注目される
「教科書検定撤回県民大会」関連記事を読むだけでも
涙が出る… 政府は沖縄人の琴線に触れてしまった
【軍隊は今も昔も住民を守らない】
〜国内唯一の地上戦・沖縄戦から学ぶこと〜
そもそも日本史教科書の内容のほとんどは
沖縄から見れば外国史。我々の先祖・琉球史ではない
いままでの記述さえ不十分すぎたのに
「軍命」が消された意図は戦争美化そのもの
今後政府の対応が注目される


日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!
