てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › 2007年12月

2007年12月31日

108は不思議な数字

このブログ 30日(みそか)のアクセスが108でした。

たまたまですが、1年の煩悩(ぼんのう)数?と一致しました。

108/365→人は三日に一度は「煩悩」で悩むものなのでしょうか。

そういえば四苦八苦も(4×9+8×9)=108… (暗算できました?)

野球の硬式ボールの縫い目もなぜか108です。ホント!

6の2乗は36  108は36の倍数で3の倍数でもあります。
3の倍数と3のつく数字の場合アホになる芸人もいます。
 そんなことはどうでもいいんです、

琉球開びゃく神
浜比嘉島のシルミチュー洞に上がる階段の数も108…
 (実際に行って念のため2回数えてきました)


真教寺(那覇市西町)

なぜ除夜の鐘は108回突くのでしょうか………

まず、108の煩悩は、人間の感覚をつかさどる眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根が、それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)不同の3種があって 6×3=18の煩悩となり、これが浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となり、さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。
これが、108の煩悩だといわれています。
つまり、6×3×2×3=108というわけです。わかりますか〜??

一方、108は煩悩ではなく、1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて、
12+24+72=108とし、108という数はたんに煩悩ではないとする説もあります。

どちらにしても108は意味のある不思議な数字なのですね。

ホントに偶然にも私のブログ、みそかのアクセス数が108
あんまり意味はないと思いますが、話ネタにはなりました。

今年のレコード大賞は私の好きなコブクロの『蕾』でした。
  (別になんでもよかったけど)
   ↓↓↓↓
http://jp.youtube.com/watch?v=Mlfo_DKrsEY&feature=related

そしてきょうは大晦日(おおみそか)
それでは、
コブクロの『蕾』と除夜の鐘を聞きながら1年を振り返り、
良い年をお迎えください。  

Posted by すながー at 10:59Comments(3)TrackBack(0)108は不思議な数字

2007年12月29日

やんばるの歌碑17)

「浦々の深さ…」の碑 名護 城公民館向かい


浦々の深さ 
 名護浦の深さ
名護のみやらびの
 思いふかさ


読み)うらうらぬふかさ なごうらぬふかさ
  なぐぬみやらびの うむいふかさ

 
意味)各地に深くて美しい浦は数多いけれど、名護浦が一番である。
  しかし、それにもまして名護の娘たちの愛情は深くすばらしい。

浦=湾 海辺
みやらび=美童 乙女 若い娘

風光明媚な名護湾の美しさと名護乙女の人情の美しさは宮古根(ナークニー)の旋律で寄せては返す波のようにやや忙しく歌われる。

ナークニーとは「宮古島にルーツを持つ歌」という意味だと言われている。つまり、沖縄本島に伝えられた「宮古(ミャーク、ナーク)の根(ニー)」の哀調帯びた旋律が、本島の中北部を中心に広まっていったらしい。
ナークニーはモーアシビーと呼ばれる若い男女の野遊びで培われた即興歌。本島中北部に様々な歌詞のナークニーが歌い継がれている。

 一般的なナークニー

  昔ぐとやしが
  肝や今までんヨ
  忘りがたなさや
  ありが情
 
  共に眺みゆる
  人ぬ居てからやヨ
  ぬゆで照る月に我んね
  向かて泣ちゅが
 
  昔語らたる
  夢やちゃん見りばヨ
  しばし慰さみん
  なゆらやしが
 
  志情ぬくちゅみ
  浮世ある間やヨ
  たとい音信や
  までにあてん

「もう昔のことになった恋物語だが、私の心は今も燃えている。
忘れることができようか、あなたから受けた情愛を」から始まる。


一転して、南部は南城市知念

斎場御嶽・三庫理(セーファウタキ・サングーイ)

年の瀬に、今年も生かされたことをウタキで感謝(デジタル的遥拝)
来年も周囲との混合(カチャーシー)と融合(チャンプルー)を心がけ
生きていきたいと、かように思いわけであります。
すべての生物に愛と平和を!(J.レノン風自・ふーじー)

2007年もあと3日…
年賀状も掃除も終わり、あとは諸々の買い出し
30日と1日と3日に野球のスケジュールあり!!
年々身体が元気になって動くことに感謝です。

子年は十二支の最初の年。なにかを始めるのにたいへん良いそうです。

ところで
ラジオ党の私は普段テレビはつけてもあまり見ないのですが、
28日夜に「金スマ」には引かれるように見入ってしまいました。

三輪明宏さんと木村藤子さんは本物の超能力者だと思います。
お二人とも言葉のひとつひとつに重みがあるのに態度は謙虚。
人の役に立つ貴重な方たちとお見受けしました。

「よいお年を!」を「いい年して!」とまちがわんでね!
  

Posted by すながー at 09:21Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月27日

やんばるの歌碑16)

大兼久節の碑(うふがねくぶしのひ)


名護の大兼久 
 馬走らちいしょしや
舟走らちいしょしや 
 わ浦泊


読み)なぐぬうふがにく
んまはらち いしょしゃ
ふにはらち いしょしゃ
わうらどぅまい


読み)名護の大兼久の馬場は競走馬を走らせておもしろいところである。
   また舟遊びをしてもたのしいところ。
   (何をやってもおもしろいところは)我が名護浦(湾)だよ。
※いしょしゃ=うれしい たのしい

昔の名護は歌碑のある現在の大中1丁目3番(おきぎん名護支店)から「ひんぷんがじゅまる」に向かって幅八間(14m)、長さ二十間(216m)の大兼久馬場があったという。いまでも直線道路に当時の面影を残す。美しい山あり海あり町もある。昔から北山の中心都市・名護は山海の珍味もなんでも揃っている。そして情け深い美童女(みやらび)も多いと聞く。名護はいいところだなあ、というのがこの歌のテーマ。(読人知らず)


裏通りの飲食街  約200mの直線道路は馬も陸上選手も走れそう
「クンチマン」はどんなスナックだろうか? 元気がでるのかな?

たしかに名護は、アメリカ(行ったことないが)でいえば、フロリダのリゾートにロッキーの山なみとニューヨークやボストンの都会にあるものすべて1か所に集約されているようだ。内地でいえば、神奈川県の湘南〜鎌倉の雰囲気に近い。

ところで許田の道の駅の宝くじはよくあたるらしい。2億円でも当たれば速攻で悠々自適なセカンドライフを満喫したいものだ、というのは私の願望。


最近よく使われるネーミング 「にふぇーでぇービル」 名護の飲食街にて  

Posted by すながー at 22:14Comments(2)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月25日

やんばるの歌碑15)

白い煙と黒い煙(しろいけむりとくろいけむり)


かなし思わらび 
 大和旅しみて
 残るふた親や
 いちゃし待ちゅが


読み)かなしうみわらび
   やまとぅたびしみてぃ
   ぬくるふたうやや
   いちゃしまちゅが


意味)いとしいわが娘を日本本土へ出稼ぎの旅に行かせて
   残された両親は、どのように待てばよいのか。


稲垣国三郎が詠んだ歌。稲垣は愛知県生まれで、1917年(大正6)に沖縄県師範学校教諭として赴任してきた。紡績女工として出稼ぎに行く娘を、貧しさと交通不便のために那覇まで見送ってやれない老父母が、名護城跡(なんぐすく)の一角で松の青葉を焚いて、立ち上る煙に別れの気持ちを託している情景を実際に見て詠んだ。

あとひと月もしないうちに名護城跡の桜は満開になるだろう。
ちなみに私と私の周辺でも もうすぐ桜咲く、はず。
2008年がよい年でありますように、などと書いてる年賀状
でもまだ2007年! いま しばし、ふりかえりみる。

ところで…
元旦当日にはがき大のデータを一斉送信するから 
無地のはがきも写真も図柄もなんでも送るから
必要な分だけそちらのプリンターから打ち出してはくれまいか?
  

Posted by すながー at 16:14Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月23日

人生の扉

いい歌に出会いました

   人生の扉



波の上/孔子廟


http://jp.youtube.com/watch?v=Xp49gYV_kvg&feature=related
 ↑↑↑
『人生の扉』
↓↓↓
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気に はしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 超えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほどに 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living

 by竹内まりや  

Posted by すながー at 23:04Comments(0)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2007年12月22日

やんばるの歌碑14)

ふる里之碑と一里の碑

ふる里之碑(ふるさとのひ) 
  名護市稲嶺(真喜屋兼久)



名護からや羽地
 伊差川や一里
真喜屋兼久までや 
 二里のつもり


読み)なぐからやはにじ いじゃしちゃやいちり
   まじやかにくまでぃん にりぬちむい

意味)名護(番所跡・東江小学校付近)から羽地伊佐川までは一里(約3.9キロ)、真喜屋兼久までは二里くらいの距離でしょう。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

一里の碑(いちりのひ) 
  名護市伊差川(JAスーパー敷地内)



名護からや羽地 
 伊差川や一里
真喜屋兼久までや
 二里ぬちむい


読み)意味)ふるさとの碑と同じ

 ※この下句「二里ぬちむい」は何故か表音式仮名づかいになっている。
  読みやすくしたちむいだろうが、やはりヘン?
 

解説)名護東江〜羽地の道行き歌。やんばるナークニーでよく登場する歌詞。昔の人は歩いて恋人に会いにいったりモーアシビに出かけるので、道行き歌が多いが、内容は恋歌にもなる。

そういえば大学の先輩(向こうは知らないはず)浜田省吾氏が「ラブソングは、どんなにテクノロジーが発達しても時代を問わず歌い継がれるもの」と言ってたことを思い出す。
私は一里を早徒歩で45分、遅く走って25分で到達するが、なんの記録でもない。
真喜屋には地元の名物牧師・知念さんの教会がある。
サーイレンナイト サーイレンナイト♪  
羽地内海は「ためいきでるほどきれい!」
明るい街灯やイルミネーションもいいが、星の見える暗い夜もまたいい。

  

Posted by すながー at 06:52Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月19日

やんばるの歌碑13)

伊野波節の碑(ぬふぁぶしのひ) 



伊野波の石くびれ
 無蔵つれてのぼる
にやへも石こびれ
 遠さはあらな


読み)ぬふぁぬいしくびり んぞちりてぃぬぶる
にゃふぃんいしくびり とぅさわあらな


 「伊野波節」のふる里・本部町伊野波は、桜の名所八重岳のふもと、名護〜本部線の並里と本部町役場の中間点にある静かな集落。街道沿いの新しい「きしもと」そば屋から入って公民館の駐車場を借りるとよい。その集落の後方の山の石ころ道の途中に建っているのが、琉歌でおなじみの「伊野波」の一節の琉歌碑である。

 「石こびれ(いしくびり)」とは、両方から迫っている山峡の石ころ道のことで、「無蔵(んぞ)」とは愛しい女性のこと。「にやへも(にゃふぃん)」は、もっとという意味。したがって歌の意味は「伊野波の狭い石ころだらけの坂道を愛する人と連れ添って登っていく。普段は長く難儀な道だけれども、愛しいあなたと一緒ならもっと遠くまで続いてほしいと思う」


伊野波集落

伝承によると「朝帰りの二人にとって石くびりは人目の届かない格好の場所、仲睦まじく手を取り合って登っていく。石くびりを過ぎると伊豆味の村内に入り村人の目につくと困るので、二人は名残りを惜しみつつも朝には別れなければならなかった」というロミオとジュリエット風琉球古典音楽的ロマンス。
 そこで突然思い出す歌が井上陽水の「帰れない二人」
 ♪思ったよりも 夜露は冷たく♪〜
 だからなんなの? と思うときもある。
 年末のクソ忙しいときに!
  

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2007年12月17日

やんばるの歌碑12)

今帰仁城の琉歌碑(なきじんぐしくのりゅうかひ) 今帰仁城内


今帰仁の城
 霜なりの九年母
志慶真乙樽が
 ぬきやいはきやい


読み)なきじんぬぐしく しもなりのくにぶ
   しきまうとぅだるが ぬきやいはちゃい


意味)今帰仁城主最後の側女の志慶真乙樽(しきまうとぅだる)が、遅なりの九年母(くんぶ・ミカンの実)を胸にかけたり飾ったりしいている(王子をかわいがる)その姿は、なんともいじらしい。


今帰仁城跡

志慶真乙樽と若按司・千代松
 13世紀、今帰仁の志慶真村に乙樽という気だてのやさしい絶世の美女がいた。その妖艶な美しさは〈今帰仁御神〉とも呼ばれ、村人に慕われていた。時の北山王が、この乙樽に第二婦人になってもらいたいと望んだので乙樽はそれに従った。

 数年後、王の世継ぎがなく心配していたところに大病に臥してしまった。王は「今度の病気は回復の見込みがない。天命だとあきらめるが、残念なのは世継ぎができないことだ」と話す。
 その後、幸いに王妃が身ごもったと聞く。
「生まれる子が男の子なら世継ぎに、女の子なら城中から人徳の高い武士を選んで結ばせ、城を守ってほしい」と遺言し王は世を去る。

 まもなく生まれた男の子は千代松と命名された。乙樽は継子の千代松をことのほか慈しんだ。

 ところが満産祝いの日に突如、本部大王(もとぶうふしゅ)が謀反を企て今帰仁城を攻めた。今帰仁若按司千代松と王妃、乙樽は潮平大王に伴われて城を脱出したが、出産間もない王妃は力尽きて志慶真川に身を投げて死んだ。
 千代松は、潮平大王に守られて山田城へ落ちのびた。山田城で8歳まで過ごしたが、本部大王に追われる身となる。千代松は百姓の身なりで山田城を出て、北谷間切砂辺村へ落ちのびて身を隠した。

 苦節18年、旧臣が大宜味で旗あげをした。千代松は名を丘春と改め、その後総大将となり三千の軍兵で本部大王を滅ぼした。
 北山・今帰仁は再び丘春(千代松)の手に戻り、乙樽も一緒に暮らすようになった。乙樽は北山最高の神職ノロに任命された。
  青山洋二編著『琉歌の里めぐり』より抜粋


今帰仁の神々が祀られている「火の神の殿」  

Posted by すながー at 01:40Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月15日

やんばるの歌碑11)

豊年口説の碑(ほうねんくどぅちのひ) 今帰仁村今泊公民館前



今帰仁城に 上て見ちゃりば
 誠昔ぬ 御ひざ元さみ
松の枝々 栄え茂りて
 何時んときわぬ 緑さしすい


読み)なきじんぐしくに ぬぶてぃんちゃりば
   まくとぅんかしぬ うひざむとぅさみ
 まちぬえだえだ さかいしじりてぃ
   いちんとぅきわぬ みどりさしすい


意味)今帰仁城に上がって(ふるさとを)眺めると
   本当に往時の城のおひざ元であったことが偲ばれる
   ときわなる松の木も生え茂り、いつも緑に包まれている

☆1972 年に字今帰仁と字親泊が合併して「今泊」公民館を建設。その竣工を祝って翌年に歌碑が建てられた。公民館の玄関前に樹齢300年以上と言われるコバテイシの巨木があり、区の古い歴史を象徴する名木として、県指定の文化財になっている。今帰仁は古代と現代が共存する地域のような風情がある。神々だけは滅びることなく、残されたグスクには、いまなお城跡とその周辺に怨念が宿っているかのよう。
今帰仁は「いま帰る…ひとし」とは読まない。


 今泊公民館前のコバテイシの巨木


 今泊集落の並木トンネル  

Posted by すながー at 03:03Comments(2)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月13日

やんばるの歌碑10)

恥うすい之碑(はじうすいのひ) 

野山越る道や 幾里隔みても
 闇にただひとり 忍で行ちゅん


読み)ぬやまくぃるみちや いくりふぃじゃみてぃん
   やみにただふぃちゅい しぬでぃいちゅん


意味)野山越える道が どんなに離れていても
   闇夜にただ一人で(恋人のところへ)忍んで行く

源河〜有銘の約8キロの中間地点に歌碑と逢引き場所はある。
県道14号は名護と大宜味と東村を分けるけっこう奥深い山中。
8キロを半分ずつ分ければ家を出て1時間で歌碑の場所で落ち合えるだろう。
ケータイなしの連絡手段は? 女の方は一人では危険ではなかったか? 
往復2時間はどうなのか? むかしは他に娯楽らしいものはなかったのか? 
現場に立つとよけいな疑問ばかり… 
歌碑の案内標識がないと探せない、と思う。  

Posted by すながー at 16:49Comments(2)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2007年12月11日

やんばるの歌碑09)

源河節の碑(じんかぶしのひ)



源河走川や 潮か湯か水か
 源河美童の おすでどころ


読み)じんかはいかわや うしゅかゆかみじか
   じんかみやらびぬ うしでぃどぅくる


意味)源河走川は海水と水がまじって、潮か湯なのか、それとも水であろうか。源河の娘たちが嬉々として水浴びしてい生まれ変わるところである。
 
旧羽地村源河公民館より800mくらい畑道なりにまっすぐ〜川沿い。源河川は古くから水量が豊富で流れが清いことで知られ、アユの生息地としても有名。集落沿いの肥沃な下流域は源河ターブックヮと称されやんばるでも有数な田園地帯。深い森ときれいな水と豊かな土地… 那覇育ちの私にとってため息が出るほどいいところ。私が行ったときには誰も水浴びしてなかった。逆に現代はいろいろ危ないと思う。
「歴史は古き源河川 清き流れに若アユの」〜源河小学校校歌より  いまでも充分納得できる。
「歴史も古き大道に 〜安里の流れ水清く」〜大道小学校校歌より  40年前から違和感あった。


歌碑裏の説明 達筆すぎて読みにくいです。  

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2007年12月10日

やんばるの歌碑08)

塩屋の琉歌碑(しおやのりゅうかひ) 大宜味村塩屋

宵もあかつきも 
 なれしおもかげの
立たぬ日やないさめ 
 塩屋のけむり


読み)ゆいんあかつぃちん なりしうむかじぬ
   たたぬふぃや ねいさめ しゅやぬちむり


意味)朝な夕な親しんだあの人の面影がたたぬ日はない。
   ちょうど塩炊きの塩屋の煙が立たない日がないように。


  せつない歌だねえ…
  そんな時代もあったなあ〜
  

 美しすぎる塩屋湾  

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2007年12月08日

やんばるの歌碑07)

恋し鏡地の碑(くいしかがんじのひ) 国頭村鏡地




奥間森の伊集の木や
花ん咲ちょさ 露かみて
ありから幾年なとうがや
見りば想いやまさて
戻て来うよう 鏡地に
      儀保正輝


読み)うくまむいぬ いじゅぬきや
   はなんさちょさ ちゆかみてぃ
   ありからいくとしなとぅがや
   みりばうむいやまさてぃ
   むどぅてぃくよう かがんじに

大意)奥間森から海岸寄りのふるさと鏡地の美しい田園風景。若き日に旅立った人(女?)との恋の語らいを想い偲ぶ、伊勢正三+武田鉄矢ふ〜じ〜(風自)ふるさと讃歌。「恋し鏡地」として1980年によへん愛子さんの歌でレコーディングされた。「戻て来うよう」〜は松村和子の「帰って来いよ」ふ〜じ〜でもある。一緒に歌ってください。
♪♪ ↓↓クリック
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/kaette_koiyo.htm



鏡地の人は石に歌を刻むのがお好き? 近所の宜保邸「かぎやで風」

「ウチナーグチは文学だと思ふ」  

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2007年12月07日

やんばるの歌碑06)

国頭さばくいの地の碑(くんじゃんさばくいのちのひ) 国頭村奥間


サー国頭(くんじゃん)サバクイ
 ヨイシーヨイシー 
サー酒飲みサバクイ
 ハイルレー ハーラーレー ユサ
 ハリガユイササ 

サー国頭山から 出(い)ざちゃる御材木(んぜむく)
サー北(にー)ぬ御殿(うどぅん)ぬ 御材木だやびる
サー長尾山から極木や 重(うぶ)さぬ引からん
サー老いで若さん 皆肝(んなちむ)あわちょて  
サー鏡地(かがんじ)浜から 載(ぬ)したる御材木
サー北ぬ御殿ぬ 御材木だやびる


内容)国王に献上される大事な材木を皆で力を合わせて運ぶ木遣り歌。

背景)長尾山一帯から伐り出された材木は、比地川、奥間川を下り、鏡地浜から海を渡り、那覇泊の港へ陸揚げされ首里へと運ばれた。国頭サバクイは北部各地に伝承されているが奥間がその元祖。首里城北の殿の落成祝いの際に余興の番が廻ったが、ふだん披露するほどの芸をもたない国頭役人からとっさに出た一発芸が歌のきっかけらしい。宴の席でいきなり指名されて「木遣り歌」とは渋いところですね。今なら「与作」といったところでしょうか。ヘイヘイホー ヘイヘイホー
〜国頭・道の駅より国道沿い北側200mくらい〜
  

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2007年12月06日

やんばるの歌碑05)

恋し国頭の琉歌碑(くいしくんじゃんぬりゅうかひ) 国頭村奥間

山水ん清らさ 
 至情ん深さ
こいし国頭に 
 幾世までん


発音)やまみじんちゅらさ(きゅらさ)
   しなさきんふかさ 
   くいしくんじゃんに いくゆまでぃん

意味)美しい山や川、人々は人情が厚い。
   そんな国頭に、いつまでも住んでいたいものだ。

>名護以北の人は「A&W→エンー」とか「ちゅらさん→きゅん」とか 
独特な発音をするからおもしろいです。 もうほとんど奄美〜鹿児島〜宮崎圏内かも。「どげんかせんといかんっしち」(東ヤンバルおおぎみ知事)
場所は奥間、国頭「道の駅」敷地内  

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2007年12月05日

やんばるの歌碑04)

安波節の碑(あはぶしのひ) 国頭村安波


安波の真はんたや
 肝すかれ所
宇久の松下や
 ねなしところ


発音)あはぬまはんたや 
   ちむすぃがりどぅくる
   うくぬまつぃしたや になしどぅくる

意味)安波の真ハンタ(集落東側断崖の台地)は、
   心がすがすがしくなる場である。
   奥まった松の木の下は、愛を交わすところである。

※宇久は奥(うく)の当て字。古人は愛を交わすことが多いようです。


安波集落と安波川/ちむすぃがりどぅくる(心が清々しくなる所)

東村高江から国頭村安波のライン、あるいは、
県道2号の与那〜安波ラインは、毎年1度は通っているでしょうか。
「かつてのやんばる」らしい空気を吸うとおだやかな気持ちになれます。

ところが最近そのやんばるの森に、軍隊による演習強化の音がします。
KY(空気の読めない)どころか、KS(空気も吸わない)人たちなのでしょう。
  

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2007年12月04日

やんばるの歌碑03)

與那節の碑(ゆなぶしのひ)  国頭村与那


與那の高ひらや 
汗はてど登る
無蔵に思なせば 車とぅばる


発音)ゆなぬたかふぃらや 
   あしはてぃどぅぬぶる
   んぞにうみなしば くるまとぅばる

意味)与那の高い坂は、汗をかいて登ります。
   いとしい人に思いを馳せれば、車で行くようなものだ…

>けど、どんなにいとしい人がいても
 じっさい相当けわしい山道なので、とても私には登れない。



>おじさんたちの草野球、優勝の記事が沖縄タイムスに載りました。12/5朝刊
 (星野ジャパン活躍ニュース記事と同じくらいの扱いです??)
「35年越しのライバル常勝・神原中学には
 絶対に負けられない相手だったのでシビれました(談)」
  

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2007年12月03日

やんばるの歌碑02)

謝敷節の碑(じゃじちぶしのひ) 国頭村謝敷



謝敷いたびせに 
うちやりひく波の
謝敷みやらべの 
め笑れはぐき


発音)じゃじちいたびしに 
   うちゃいふぃくなみぬ
   じゃじちみやらびぬ みわれはぐち

意味)謝敷海岸の板干瀬に打ち寄せ砕け散る白波は、
   まるで謝敷乙女の微笑む白い歯並みように美しい…

>国道58号線沿い。 「はぐき」はあの「はぐき」ではなく「白い歯」のことです。   

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2007年12月02日

やんばるの歌碑01)

辺野喜節の碑(びぬちぶしのひ) 国頭村辺野喜

いじゅの木の花や
あんきょらさ咲きゆり
わぬもいじゅやとて 真白咲かな


発音)
いじゅぬきぬはなや
あんきょらささちゅい
わぬんいじゅやとてぃ ましらさかな

意味)
伊集(いじゅ)の木の花は、あんなにも清らかに咲いている
私も伊集の花のように真白に咲きたいものだ …


辺野喜節の碑 国道58号線沿い辺野喜入口 

>ハタチ頃までは真白に生きていたと思う私です。  /ただ今3週5試合連続安打中!     

Posted by すながー at 07:03Comments(2)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り