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2008年01月30日

琉球語は古代日本語のタイムカプセル

おすすめ本
琉球語は古代日本語のタイムカプセル

沖縄本島北部・崎本部の一方言少年だった
著者(元高校教師57歳)が綴る
琉球語にまつわる衝撃のエッセイ 第2弾! 
昨年5月に発売されました。
 
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著
編集/デザイン/文字校正/表紙・装丁:すながー
本文から引用しながら、私の仮説を交えポップ調に
アレンジしますと、こんな本です!!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「ガラスマガイ(足のけいれん)」は長崎では「カラスマガリ」という立派な日本古語。〜高校時代に体操部の友人が足を指して「ガラスマガイ ガラスマガイ」(カラスの足のようだ歪んだままの状態)って言ってた。

宮崎の「テゲ」と沖縄の「テーゲー」は古代九州で親戚語。東国原(ひがしこくばる)知事は「テゲテゲ」と言う。宮崎県はたいがい、山原(やんばる)のずっとかーまにある、などとも言う。

「なだそうそう」の「なだ(涙)」はもともとは古代日本語。万葉集にもある日本語だから内地人でも細胞のDNAにあるなつかしさを刺激してヒット。〜ちなみに「血ーゴーゴー」「ハーレーゴンゴン」は類似語、「灘高校」は関係ねえーん(江戸風)

ひるましむんは「今この怪者(シルマシモノ)を視るに甚だおそろし〜」『日本書記』えらい天皇の御言葉〜 我ったー子ども時分は、あやしいことに「ヒルマサッサー」とふつうにしゃべっていた。

「イナムドゥチ」は古代日本語「猪もどき」の化石語。いのししもどき=豚汁を白味噌をといて食べる祝い料理。これをつくれないと一人前の嫁にはなれんっちー(大分弁風のハルカ+大宜味村的語尾)。

「アガトーから」は「そんな遠くから」を意味する縄文語。縄文人(古代以前の日本人)は他の土地から迷いこんで来た人たちを迎えて「アガトーから出(い)ぢぃちゃーんなー」と琉球語に近い言語をよーんな話していたとか。縄文人は現代人のように人間同志殺しあいはしない。埋葬の仕方等からとても家族と祈りを大切にする人たちだったのではと推測される。だから1万年以上も続いたかも。

沖縄には古代日本語がたくさん残っているんだね。驚きですね。
冬はつとぅみてぃむん うやふぁーふじ こちひらの〜 かなさんど〜 …………


実際、先生の文体は品格があり、読みやすくなっています。

衝撃の250項目! A5判368頁
『琉球語は古代日本語のタイムカプセル』具志堅敏行著 税込2100円   

Posted by すながー at 06:18Comments(10)TrackBack(0)おすすめ本の紹介

2008年01月29日

やんばるの歌碑25)

まっどのそとは あめ
あめがふってる〜  …みればわかる
 
ヨコハマで新聞配達をやっていた学生の頃…
30年前の寒い朝をいまだに思い出させる

けさの雨 

明け方に
やっと大学に合格した夢をみた
入学したら少し周りからウいていた
たしかに50歳になっていたものだから…

…………………………………………………………………


やんばる晴れた日に〜最終章〜
谷茶前の浜の碑(たんちゃめのはまのひ)



谷茶前の浜に
スルル 小(グヮ)が寄(ユ)てぃてんどう  ヘイ
スルル 小(グヮ)が寄(ユ)てぃてんどう  ヘイ

ナンチャ マシマシ
リアン小(グヮ)ソイソイ 


意味)
谷茶前の浜にイワシ科のキビナゴが寄ってきた…
あーそうかい 女たちよ さあさあ…


日本語訳が実にそっけなく聞こえる。やはりネイティブランゲイジがいい。 

「谷茶前節の踊り」は、舞踊の名人・玉城盛重氏が明治20年代に振りつけたもので、ざるや舟を漕ぐかいを持って踊る姿は多くの人に知られている。

男が魚を採り女がざるに入れ頭に載せて村々で売り歩く光景を、そのまま表現している雑踊り(ぞううどぅい)の代表格。雑踊りといっても素人が踊る雑な踊りのことではない! 

雑踊りは、女踊り、二才(青年)踊り、老人踊り、と並ぶ一つのカテゴリー。中国雑技団の「雑」とニュアンスが似てる。雑炊も旨い。工夫を凝らした創作踊りをブランド化したものか。

歌碑は国道58、タンチャナントカシタカミホテルから北向け左。谷茶の丘バス停を過ぎたあたり。歌碑は伸び放題の草木に隠れて見えないから、車停めて降りてしばらく歩いて探すとよい。


雨の日は 道が混む ことに月末…
連日雨なので車のワイパーのゴムとれた 
2000円もかかった 気分よくない
でも明るく楽しく元気よく、生きましょう!  

Posted by すながー at 05:48Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月27日

やんばるの歌碑24)

金武節の碑(きんぶしのひ)



こばや金武こばに 
竹や安富祖竹
やねや瀬良垣に
張りや恩納



読み)
くばやちんくばに 
だきやあふすだき
やにやしらがちに 
はいやうんな


意味)くばは金武で取り、竹は安富祖で取り、瀬良垣でやね(竹を細く削ること)を、最後に恩納で張り、くば笠を作り終えた。

金武節の歌碑は金武観音堂の近く、役場から入ると右上の角。金武節は他にも25首ほどあり、,芝居の道行き時のバックミュージックやさびしい情景で歌われる。
「くまや金武の くま岳や安富祖岳 ありや瀬良垣に 走りば恩納」もある。



…………………………………………………

相撲が面白かった
横綱同士の力と力のぶつかりあい

学んだのは「気持ちの強さ
朝青龍と白鳳 力は互角
白鵬に軍配があがった

万事、気持ちの強さが成功へとつながる
そう 気の持ちよう  日頃の稽古も気持ちが左右する
ここぞというとき 大きな力を発揮する 集中力も やはり気持ちから
  

Posted by すながー at 18:22Comments(8)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月26日

ふうぶつ詩

原油価格 高騰の候、

皆様方には益々ご清栄の…わけ、ないですよね。

クリスマスからひと月が経過 

すいぶん昔のよう

あの飾りや喧噪はなんだったのか

バレンタインまで20日くらいだって?

若者よ安易に踊らされるな 欧米行事 

余力があれば できるだけ燃料費に回せ

週末 いざ行かん 田舎の畑へ

キビ刈りや御願解き(ウガンブトゥチ)大切な年中行事  

相撲も青と白でいよいよ大詰め 大切な呼び出し行司



  

Posted by すながー at 07:57Comments(4)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年01月25日

花は盛りに

地球温暖化の候 みなさまいかがお過ごしですか?
今朝は少し寒いけど、大丈夫です。いつまでも続きません。
あとひと月しないうちに暖かくなるそうです。


花は盛りに

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。 雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。 咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

  歌の詞書にも、
「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ。」とも、
「障ることありて、まからで。」なども書けるは、 「花を見て。」と言へるに劣れることかは。 花の散り、月の傾くを慕ふならひはさることなれど、 ことにかたくななる人ぞ、
「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。

 よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、 ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは。 逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、 遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
 
 望月の隈なきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、 いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、 うちしぐれたるむら雲隠れのほど、またなくあはれなり。 椎柴・白樫などの、ぬれたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて 心あらむ友もがなと、都恋しう覚ゆれ。

 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨の内ながらも思へるこそ、 いとたのもしう、をかしけれ。よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。

 片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、 酒飲み、連歌して、果ては、大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪には下り立ちて 跡つけなど、よろづのもの、よそながら見ることなし。

    (『徒然草』第137段より 後略/適当に区切った)


(現代語訳)
 桜の花は満開に咲いているさまだけを、月は曇りなく照りわたっているさまだけを観賞するものか、いや、そうではない。 雨を見ながら、月を懐かしみ、簾や帳を下ろしてひきもっていて春が過ぎていくのも知らずにいるのも、やはりしみじみと趣が深い。 今にも咲きそうな様子の梢、花が散りしおれた庭などこそ、見るところが多い。

 歌の詞書にも、「花見に参りましたが、すでに散ってしまっていたので。」とも、「具合の悪いことがあって、参りませんで。」などとも書いてあるのは、「花を見て。」と言ったのに劣ることであろうか、いや、劣ってはいない。 花が散り、月が傾くのを惜しみ慕う習慣はもっともなことであるが、特にものの情趣を解さない人は、「この枝も、あの枝も、花が散ってしまった。今は見どころがない。」などと言うようだ。

 どんなことも、最初と最後こそがおもしろい。男女の情愛も、一途に夫婦としての関係を結ぶのだけをいうものであろうか、いや、そうではない。結婚せずに終わってしまったつらさを思い、実を結ばなかった約束を嘆き、長い夜をひとりで明かし、遠く離れた空の彼方の恋人を思いやり、浅茅の茂った荒れた家に昔をなつかしむことこそ、恋の情趣を解するといえよう。

 満月が曇りなく照らしているのをはるか遠くの地まで眺めているのよりも、明け方近くまで待っていてやっと出てきた月が、いかにもしんみりとして、青みを帯びたように、深山の杉の梢にかかって見えているさまや、木の間からもれる月の光や、さっと時雨を降らせた一群れの雲の間に隠れている月のさまなどは、このうえなくしみじみとした趣である。小さな椎の木や白樫などの、水にぬれているようなつやつやした葉の上に月の光がきらきらしているのは、身にしみわたるようで、情趣を解する友がいればなあと、都が恋しく思われる。

 総じて、月や花を、そのように目だけで見るものだろうか、いや、そうではない。春は家から出かけなくても、月の夜は寝室の中にいるままでも思いをはせているのは、とても期待が持たれ、趣深い。教養のある人は、ひたすら好みふける様子もなく、おもしろがる様子もあっさりしている。

 片田舎の人に限って、しつこくすべてのことをおもしろがる。花のもとには、にじり寄り近寄りして、わき目もふらず見つめて、酒を飲み、連歌をして、しまいには、大きな枝を、容赦なく折り取ってしまう。泉には手足をつっこみ、雪には降り立って足跡をつけるなど、すべてのものを、遠くからそれとなく見ることがない。

… … … … … … … … … … … … … … … … … … ………… … …

片田舎の人:
ここでは「もののあはれ」を解さず礼節をわきまえない人をいう。現代では都市部に多い。


花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは
いつも混雑する「まつり」に行かない「時代おくれ男」が言い訳にしている一節です。
               



本文とはあまり関係のない越来ウガン
王子様、ウートートー…  

Posted by すながー at 05:44Comments(2)TrackBack(0)もののあはれ

2008年01月24日

もののあはれ

『徒然草』第十九段に「をりふしの移りかはるこそものごとにあはれなれ ..」がある。

春の部分…

「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、いまひときは心も浮き立つものは、春の気色にこそあめれ

「物事に情趣を感じるのは秋が一番さ!」と、多くの人が言っているが、それもそうなのだけれど、いま、いっそう気持ちが浮き立つのはこの春の瞬間だと思う。(春は本部〜今帰仁が一番さ!)

〜根音さん、こんな訳でよろしかっでしょうか?(コンビニ風・過去形的疑問文だけど)〜

をりふしという言の葉にいたく感動した記憶がある。漢字をあてると「折節」、意味は季節である。沖縄には季節の折々ごとに節(しち)の旧暦行事はあるが、日本本土のようなはっきりした四季は感じられない。桜の散り方もはかなく舞うのでなく、ボテっと頭に落ちてきそう。十二の月のほかに、全然ピンとこない大寒や甘露などの二十四節気もあるんだということを本で知ったのは青春時代。
子どものころ文部省唱歌や流行り歌に出てくる季節にギモンを持ったことはないですか? 四月に白いサクラが咲く国があるのか!…なんて。季節のない街に生まれ育った私だが、清少納言の『枕草子』や兼好法師『徒然草』との出会い、とくに季節のうつろいをつづる段には目からウロコだった。夏以外はほとんど未知の世界だったから。

「なんで〜すぐに扇風機か必要な暑い春?(四月〜)が、あんなに待ち遠しいんだろう?」「秋の夕暮れは斜め45度から照りつける日差しが相当きついのに、なんだこの情感溢れるもののあはれの表現は?」というふうに苛立ちは多かった。でもまもなく不思議な魅力に取り憑かれ「もののあはれ」の世界にぐいぐい引き込まれていった高校時代。

ところで「をりふしのうつりかはるこそ、ものごとにあはれなれ。」と『徒然草』第十九段で兼好法師はつづっているが、 最近は物事に情趣を感じ取るこの「あはれ」の精神が忘れ去られ、人の心が荒廃してるような気がする。

少し前に亀田兄弟に見られた礼節を忘れた粗野な言動が、 あたかも新しい時代の、マスコミも一緒になって新しい時代のヒーローであるとうそぶくかのごとき。
このところ株が乱高落する沖縄も含めた慌ただしい日本社会の中で、一日30分でいい、心静かに日本〜琉球の古典を味わいたいもの。

日々の営業や経済活動とは何の役にも立たないような古典だけど、完全になくしてしまうと、私たちの住んでる街は偽装主義者とゴミだらけになりそう。




伊祖神社(浦添市)・本文とは関係ないよ…  

Posted by すながー at 04:38Comments(2)TrackBack(0)もののあはれ

2008年01月22日

やんばるの歌碑23)

恩納節の碑(うんなぶしのひ)

恩納松下に 
 禁止の牌のたちゆす
戀しのぶまでの
 禁止やないさめ





読み)うんなまちしたに ちぢぬひぬたちゅし
   くいしぬぶまでぃん ちぢやねさみ
   

意味)恩納番所(役場)前の松の木の下に、いろいろな禁止事項の立て札が立っているようだが、まさか恋することまで禁止したものはないでしょう!


尚敬王代(1713〜1751)、首里王府による男女の風俗取締が厳しかったらしい。当時地方の農村では、若い男女の毛遊びがさかんに行われていたが、そのような「風紀の乱れ」を、名所巡りでやってくる中国からの観光団(冊封使一行)には見せたくないという役人の大きなお世話から、風俗取締が立て札が立った。

それを見た恩納ナビィがいささかの皮肉をこめてこの歌を詠んだという。情熱の歌人・恩納ナビィの碑は、いまでは観光名所となり県内外から訪れる人も多い。恩納ナビィら当時の若者は相当なアシバー?だったという話である。

風俗取締の立て札とはどのようなものだったのか? 現在の字恩納公民館裏の松下にその立て札はなく。ナビィの歌碑だけが残っていること自体、なんともおおらかさを感じる。その恩納ナビィはイラストでキャラクター化され、恩納村の観光大使的な役割を見事なまでに果たすようになった。

……………………………………………………………………………………

北国では冷凍庫よりも寒いというのに沖縄では小雨模様のあたたかい朝。
今日は旧暦の12月15日、ことしも残りわずかですね。そうそう火の神お忘れなく!
夜は月が見えるかな?
  

Posted by すながー at 05:00Comments(4)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月19日

やんばるの歌碑22)

波の声もとまれ…(なみぬくぃんとぅまりのひ)




波の声も止まれ
 風の声も止まれ
首里天がなし 
 美御機拝ま


読み)なみぬくぃんとぅまり
   かじぬくいんとぅまり
   しゅいてぃんがなし
   みゅんちうがま

意味)波の声も止まれ 風の声も止まれ
   すべてのものよ、しずまれしずまれ
   みんなして厳かに 首里国王様の
   お顔を拝みましょうよ!



創作)
むかしむかし、恩納村にナビィというすごい霊力を持つ女性がいた。
首里から琉球の国王をはじめエラいお方がいらっしゃると、
波の音を止めたり、風をやめさせたりするらしい。
年に数回の屋外イベントには欠かかせない人物だ。

それだけではない。
自分の彼氏に会いたいがために、山を押しのけたり動かしたりもする。
きけば日頃はごくふつうの農民の娘らしい。
いやあ、沖縄女性のパワーはスゴイなあ!


万座毛


琉歌*追加

恩納岳あがた里が生まり島 
森ん押しぬきて此方なさな


意味)恩納岳のあちら側(金武)は里(恋人)の生まれた村、
   山を押し払って村をこちらになそう。


やはり普通じゃない。

山まで押しのけて当時の間切(現在の市町村)合併までやりかねない。
金武間切の「松金(まちがに)」という青年に恋をしていたらしいが。
大胆不敵でダイナミックな琉歌はナビィの真骨頂。
……………………………………………………
  

Posted by すながー at 23:02Comments(7)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月18日

やんばるの歌碑21)

屋嘉節の碑(やかぶしのひ)


なつかしや沖縄 戦場になとい
世間お万人と 涙ながち
  (歌碑のまま引用/後略)

読み)なちかしやうちな いくさばになとぅい
しきんうまんちゅとぅ なみだながち

読み)わが沖縄は戦場になってしまい
   万人を泣かせるほど苦しめてしまって
   悲しいことです。
    (想像してごらんオールピープルで築く戦のない平和な世の中を)



屋嘉ビーチ前バス停留所にどーんと座る屋嘉節の碑。屋嘉節は1945年、金武村屋嘉の米軍捕虜収容所を中心にカンカラア三線で歌われていたという。歌碑には7番まで記されているが、それぞれの歌詞は歌い手によって微妙に変わってくる。

2008年になったばかりなのに早くも来年の話でなんだけど、2009年はオリンピック後の中国のバブルがはじけ東アジアが混乱しそうな予感がする。国内では団塊世代の大量退職のピークで、彼らの退職金だけで市町村財政は破綻寸前だともいう。

ガソリンが1リットルあたり200円になっても、豆腐が1丁500円になっても給与や売上は上がるどころか下がる一方でも、賢明な皆さんは、けっして早まったことはしないでおこうね。だいじょうぶ、根拠はないけど、いまなら間に合う! 夢をしっかり持って一つ一つ問題をクリアしながら、時代の荒波を乗り越えていこう!(選挙のなにかみたい?)

私は?といえば、今年も来年もその次の年も、世界平和や地球規模の環境問題から少しだけ距離を置いて、それでもエコバックは二つ持って、私個人と周囲の幸福を中心に生きていくだろうと思う。それでも個人の事だけ考えることは、もはやできなくなったグローバル・ヤンバル・コクバルな世界。

悪いことばかりは起きない、はず、だが手放しで楽観してはいけない。努力を重ねていけば、なにかいいこともあるはずと、私は思うのであります。

〜悩み多き者たちよ、時代は変わっている〜あらゆることがすべてのことが〜〜(斎藤哲夫の歌が心に響く/ 2008年〜2009年、幸あれ)

ところで2009年は、薩摩の琉球侵攻400年の節目……
不条理で悲惨なワンサイドゲーム…

県内アーチストや歌人、詩人、童話作家は何を思う? 
 鬼が笑うだけではないはず…ね  

Posted by すながー at 20:47Comments(4)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月15日

辺戸岬巡り

義本王(ぎほんおう)の墓



義本王の墓(舜天王統三代目1249~1259在位)
自分には徳がないからと、自ら引退宣言し人里離れた土地に隠れたと
言われているが、実際にはてだこの英祖王に追放され
辺戸まで落ち延びたとも…詳細は琉球史の謎に包まれる。
安須森御嶽のふもと近く。国道沿いから少し上がる。

……………………………………………………

今朝早く思いつきで書いたコメントを夜になって
「誰が書いたんだろう?」と見たら自分だった…、、
ルーカッティに満足したのでマイコメントから
一部引用させていただきます。

……………………………………………………
辺戸は北からやってくる神様の玄関口って考えたら、
青森の八戸も東廻り航路の北のドア・戸で妙に共通する。
北の漁師は「アイヤー!アイヤ−!」と叫ぶ。(北島三郎)
顔つきも縄文系でウチナーンチュのお友達系統。

私の頭の中でやんばると東北地方の関係は以下の通り…

青森が国頭  岩手=東  秋田=大宜味  山形=羽地
宮城=久志  福島=名護  

なんか配置が似てないですか?
……………………………………………………

それは北からやってくる〜♪ 僕はそれを南へ流す♪

ごらんあれが辺戸の岬、北のはずれよ〜♪    
  

Posted by すながー at 22:10Comments(4)TrackBack(0)

2008年01月14日

安須森御嶽

数年前に登った安須森御嶽(あすむいうたき)を紹介します。
辺戸岬から辺戸集落へ向かうと、右手に見える険しいラクダ背型の岩山が安須森(辺戸岳)です。安須森は始祖アマミクが最初に造った御嶽といわれ、琉球九嶽の一つで琉球の国土を鎮める神霊が宿る霊山です。


 安須森 頂上(国頭村辺戸)


国道から脇の駐車場に車を停め、途中からロープを伝って険しい山路を登ります。中腹に「黄金森(くがにむい)」の標識があり、遥拝(ウトゥーシ)する所がありますが、御嶽はもっと上にあります。冬でも汗をたっぷりかいて頂上にあがりますと、360度パノラマの信じられないほど素晴らしい光景がああなたを迎えます。海の向こうは与論〜沖永良部島です。岩山の頂上はタワーのてっぺんの様相。下を見るとちょっと足がふるえますので見ないでください。

4つの峰の南(左側)の丘を黄金森といいます。小さな洞穴があってクガニガマと称し、祠(ほこら)があります。一方のアフリ嶽は、琉球最高神である君真物(きんまむん)が出現した聖地とされてます。この二つの御嶽を総称して安須森と呼んでいます。

頂上に上がるまで約30分のエクササイズ。足腰に自信がない方にはちょっと無理かもしれません。若いうちにどうぞ上がってみてください。特に今年成人になられた皆さまにおかれましてはこれは義務です。人にもよりますけど琉球魂のような不思議パワーが無料でもらえます。一生の宝になるでしょう。ただゴミを捨てたりとか付近の石や草花を持ち帰ってはいけません。確実にたたります。さあ、混雑する花見に飽きたら、年中空いてて明るく楽しい(?)御嶽巡りへ出かけましょう!
  

Posted by すながー at 08:08Comments(2)TrackBack(0)沖縄のグスク・拝所

2008年01月12日

やんばるの歌碑20)

二見情話の碑



(男)二見女童や だんじゅ胆清らさ
   海山ぬ眺み 余所に勝さてぃよ

  (二見の娘は本当に心が美しい
   二見の海山の眺めもすばらしい)


(女)二見村嫁や ないぶしゃやあしが
   辺野古崎坂ぬ 上り下りよー

  (二見村の嫁には なりたいけれど
  辺野古崎の坂の 上り下りの辛さよ)


(男)行逢たしや 久志小
(女)語たしや 辺野古
(男)思てぃ通ゆたしや 花ぬ二見よ
(逢ったのは 久志 語りあったのは 辺野古
  思いつめて通ったのが 花の二見


(男)待ちかにてぃ居たる 首里上いやしが
(女)出ぢ立ちゅる際や別りぐりしゃよ
(待ちかねていた 首里上りだけど
旅立つ際の 別れの辛さよ)


(男)行かい
(女)行ぢ来よと 交わす云言葉や
(男)ぬがし胆内に 思い残ちよ
(「行ってくるよ」「行ってらっしゃい」と交わす
 言葉はなぜか心の中に 想いが残るよ。)


(男女)戦場(いくさば)ぬ哀り 何時が忘りゆら
忘れりがたなさや 花ぬ二見よ
(戦場の悲しさは いつかは忘れられるが
忘れがたい 花の二見よ)


やってきました宜野座の先、名護東海岸・花の二見。辺野古のアップダウンは昔の村嫁を苦しめたきつい坂だったんだね。

二見情話は戦後できた島唄の中でも男女掛け合いで歌うデュエット曲の代表格。やや本土の民謡の旋律も感じられれ、やんばるの歌の中でも多くの人に歌われ親しまれている。

二見は、普天間基地の「移設候補」の隣・歌に出てくる男女が語り合った辺野古と隣接する静かな村。ジュゴンが海草を食べに来る大浦湾の目の前。戦場(いくさば)の哀れはけっして忘れてはならない。繰り返してならない。子々孫々に語り継がれていくもの。ただしいやさしいであれ。悲しみはいらない。



二見公民館前の石に刻まれた歌詞

  

Posted by すながー at 04:46Comments(2)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月10日

新都心雑感

たまには評論家風自(ふ〜じ〜)に社会問題でも

おもろまちに競艇の場外舟券売り場設置が計画されていることに対し、新都心通り会の役員は、進出を計画している業者に対し、「設置反対」を伝え、業者も断念の意向を示した。地域自治会長や代表が9日に会合を持ち、全会一致で設置反対を決めていた。新聞社の取材に対し業者は「話すことはなにもない」と語った(10日沖縄タイムス一部抜粋)

向かいが県立博物館・美術館だからふさわしくないという意見は分かる。風紀を乱したくないという通り会の気持ちも分かる。文化的施設の周辺には、観光客や地元の「ちゃんとした人」のために「ふさわしい店舗」でなければならないのでしょう。

ニュースを聞いて私は別に沖縄らしくチャンプルーであってもいいんじゃない、と思った。はっせ!とっても少数意見だはずね。いびつな経済構造の沖縄では、ギャンブル命で生きている者はけっこう多い。基地あるがゆえの不労所得者、ハローワーク周辺の求職者、土日忙しいサービス業、夜のオシゴト、川満シェンシェースタイルの労務者…もちろんみなさんギャンブラーではないが、むかし競艇場のある駅へ京浜急行で通っていたから雰囲気はよくわかる。 

京浜急行沿いには実におもしろい人たちが多かった。何十年も住んでるウチナーンチュもたくさんいた。そして勝った人で近くの飲み屋は賑わってた。吉田拓郎の歌うサイコロじいさんみたいな… もっとも最近は競馬や競艇場では若い女性も多くなったというが。

文化施設の向かいで赤ペンとスポーツ新聞片手に群がってはいけないのか? かれらが新都心を歩いたらだめなのか! 悪い事をするとでもいうのか。博物館外で無料常設展『さまざまなウチナーチュの歩きかた』 関係者は貴重な生きた教材を踏みつぶしてしまったようだ。みんな仲良く、ただしいやさしいであれ! 気取りすぎた新都心、ちょっと嫌いになった。そもそも何故「新都心」なのだ! 知事は石原さんか! 島ゾーリは似合わないし道は込むし、道幅広すぎてお年寄りと渡ってたら信号赤になるし…

コザのセンター通りや空港通り、そして近くの栄町こそ、戦後沖縄の博物館!
 
ちなみに私の出た小・中学校は栄町の飲食街の中にあるといってもいいくらい素晴らしい環境だった。部活の帰りにはいつも着飾って道に立つ厚化粧のお姉さんをはぐらかし、華やかなネオン街の近くでいろんな勉強をさせてもらったので、当時の青少年たちは健全に?育ってた。だから東京でギャンブルもせず酒に溺れず道も外さなかったかなと思う。

ふるさとは「おもろまち」の ずつとむかふ 

  

Posted by すながー at 20:07Comments(3)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年01月09日

やんばるの歌碑19)

汀間当の碑(てぃーまとうのひ)




汀間と安部境の 
河の下ぬ浜うりて
汀間の丸目とカナと
請人神谷と恋の話し


(はやし)サーフンヌカヤー マクトカーヤー

読み)てぃまとぅあぶさけぬ かぬしちゃぬ はまうりてぃ
   てぃまぬまるみカナとぅ うきにんかみやとぅ くいぬはなし
(はやし)サーフンヌカヤー マクトゥカーヤー 
 
意味・解説)
汀間と安部の村境にある川下の浜辺で、汀間の丸目カナ(目のぱっちりしたかわいい加奈さん)と首里の請人奉行の神谷厚詮が恋を語っている。はやしで、それは真実(まこと)かーと連呼する。

首里から来た貢ぎ物を取り立てる税務役人と村娘の密会〜はダメらしい。知られたら二人とも村にいることはできないというから、会うのは命懸けだ。けっきょく実在する二人の恋は村じゅうにバレて、首里にも知れ渡り、神谷は懲戒免職?…そのあと二人はどうなったかしらない。

汀間当を三線で歌う心ある方は「懲戒免職」となった神谷の気持ちも察してほしい。ところでカナは名護に出て、その美貌でいちやく町の人気者になって大金持ちと結婚した♪  という話はないが……案外ありうる。
現在、たとえば内地から来たばかりの男子学生たちと村娘たちの合コンは…いまでもダメでしょう。村の青年会が認めやしない。大太鼓のバチでたたかれるよスグ。


汀間公民館前の拝所 鳥居代わりの2本の木に特徴がある

拝所の概要は↓↓↓↓…以下のとおり。
  

Posted by すながー at 19:39Comments(0)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月08日

やんばるの歌碑18)

またしばらく歌碑やります。ファイルにたくさんあるものですから…
きみまろが「中高年は、どこへ出かけても、まずは石碑の前で集まって、
文字を見て、意味わからなくても、なんとなく納得する。そんな不思議な習性があるのです」と、中高年の特徴をお笑いネタにしていた。うちあたいする。



吉田賀盛歌碑(よしだかせいかひ)



松風は歴史を語る心持ちして
ゆか志き仁を称え仰ぎつつ




意味)この老松にそよぐ風は長い歴史の重みを感じさせる
   この松を植えたゆかしき人の気持ちを称え仰ぎます

   ゆかしきとは、なんとなく心がひかれるという意味

名護市天仁屋(てにや)小学校の校門近くにある。吉田賀盛氏が昭和37年に当時の久志村立天仁屋小学校校長時代に樹齢200年の老松の勇姿を称えて詠んだ歌。「天仁屋(スーナ)の御神松(ウカミマーチ)」とあがめられ、ムラの神木として大切にされている。




天仁屋は有銘と安部崎の中間地点、大湿帯のふもとにある。大湿帯は22年前、集団移住してムラを形成し、農業から沖縄の自立を模索している人々と、週末に泊まりがけで交流・作業をしたことがあった。大地に根をはって生きる人の気持ち、よくわかる。ニコニコ


付近ではよくパラグライダーが飛んでいるのが見える。鳥でもないのに無理して空を飛んだり、魚でもないのに、何かの罪を犯したかのように重い荷物を背負わされて海に入る人の気持ち、残念ながら私にはまだわからない。眠っzzz
  

Posted by すながー at 21:36Comments(3)TrackBack(0) やんばるの歌碑巡り

2008年01月06日

琉球八社(7・8)

(7)天久宮(あめくぐう・那覇市泊)


「琉球国由来記」によると、銘苅村(現那覇市の北方)の銘苅翁子という者が、女人が度々洞窟に入るのを不審に思い、首里王府に報告した。王府の命を受けその洞窟に香を供えたら燃え上がった。そこに社殿を造営したことがはじまり。現在地の北方にあったが1734年に現在の泊高校と聖現寺の境内の間に移建した。近くには外人墓地もあり、ひと昔まえのヨコハマを彷彿させるような「港の見える墓公園」


聖現寺の隣に立つ天久宮の鳥居


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(8)金武宮(きんぐう・金武町金武)


金武観音寺

金武観音寺は、金武宮とは別に16世紀に日秀上人(にっしゅうしょうにん・妖怪退治のプロフェッショナル)によって創建された寺院。沖縄戦による焼失をまぬがれたため、1942年に再建された際に取り入れた木造の建築様式を今にとどめている。境内の樹齢300~400年というフクギやデイゴも見事。境内には鍾乳洞があり、有限会社金武酒造が酒蔵として利用している。 














樹齢400年のフクギ


鍾乳洞内:金武宮 (上の宮)

日秀上人と金武の鍾乳洞に関して以下のような伝説がある。

夜な夜なイケメン(カッコいい青年)に化けて村で一番美しい娘を誘い出した大蛇は、洞窟の前でホントの姿を現し娘に巻きついて、洞窟の中へ消えていった。昔から、この洞窟には大蛇が住み、若い娘の生肝を食っていたという。そのため村人、とくに若い女性は恐怖のため家に閉じ籠もる生活を強いられるようになった。そこで、本土から当時のブームに乗って沖縄移住してきた日秀上人が現れ洞窟の前で呪文を唱え、大蛇を洞窟に封印し、村人を恐怖から解放したとさ。なお日秀上人は首里、松川、浦添経塚などでも数々の妖怪を退治した実績のあるえらいお坊さん。


鍾乳洞内:金武宮 (下の宮)



茶屋で入場料を払い、洞窟入口から階段を降りる。
階段脇には、泡盛の搬入・搬出用のレールが敷設されている。階段を数段下りた途中に小さな祠(ほこら)が二つ並んでいる。金色の布袋像の側には、鍾乳石に「金武権現宮」と名札が付いている。階段を下りきるとそこにある石の上に、アルミの垣に囲まれた石祠がある。祠の前には祭壇も設けられている。どちらも金武宮の一部らしい。鍾乳洞奥の広い空間は天然の泡盛貯蔵庫として活用されており、茶屋で申し込めばあなたの泡盛を責任持って指定された期日まで保蔵してくれる。



昭和17年(1942年)に再建、沖縄では戦火をまぬがれた唯一の寺院
この絵(写真)、ナントカ派の絵画のようだと思いません?


琉球八社 オッシマイ 
 また12年後にネ!



今年から 皆様方にとって 怒濤のように
よいことばかりが 200年続きますように!  

Posted by すながー at 20:24Comments(11)TrackBack(0) 琉球八社巡り

2008年01月05日

末吉宮物語




末吉宮の
元日物語



一般の人は拝殿には上がれない
その後ろの本殿にはなおさら…

誰も見てないと思って上がると
警報機が大きく鳴り響くらしい…

下の社務所は灯りはついてるが
人のいる気配を感じさせない

でも上からカメラで見ているよう
そこで百円入れて引くおみくじは


やはり… 予想通り……






末吉 でした

  
タグ :末吉宮末吉

Posted by すながー at 17:27Comments(3)TrackBack(0) 琉球八社巡り

2008年01月05日

琉球八社(5・6)

末吉宮(すえよしぐう・那覇市首里末吉町)

末吉宮は尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持・鶴翁(かくおう)和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。本殿は三間社流造り本瓦葺き。本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みのアーチ橋で継いでいる。
磴道(とうどう)は1971年に修理、本殿は1972年に復元された。国指定史跡。磴道とは社務所から祭場までの8段、祭場から拝殿までの21段および拝殿から本殿までの7段、計36段の石造階段部分をいう。
宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる遍照寺(万寿寺)の跡がある。寺には尚泰久王が寄進した釣鐘がかけられ、組踊『執心鐘入』のモデルとなったといわれる。正月には意外にも多くの参拝客が大名口と末吉公園口参道からやってくる。


京都の清水寺を模倣したような高床式の建築様式
よくこんなところ(森の頂上)に造れたなと思う
二つの岩盤を繋ぐ切石積みのアーチ橋も趣がある



安里八幡宮(あさとはちまんぐう・那覇市安里)

安里八幡宮は1466年、喜界島が朝貢しないので尚徳王(第一尚氏七代)は遠征に向かう途中安里村を通りかかったとき鳥が飛んでいて、王は「わが兵に利あらば、この鳥を射落とせしめよ」と念じて矢を放ったところ鳥は射落とされた。のちに喜界島を平定したので鳥を射落とした地に八幡宮を建て、隣接して寺を構え神徳寺と名づけた。廃藩置県後の神仏分離策後、宮は荒れはて昭和初期には雨漏りのするまま放置されていた。戦後は安里地域の有志によって守られ続け、1996年に現在の宮に建て替えられた。


隣接する八幡神徳寺

周囲は道幅の狭い住宅密集地だが神徳寺には駐車場がある
安里八幡宮と八幡神徳寺は安里地域の人に支えられている  

Posted by すながー at 06:21Comments(2)TrackBack(0) 琉球八社巡り

2008年01月04日

萬事大慶(ばんじOK)

尊敬する字遊人
兵庫県の西口賢治先生より
年頭の書が届きました


萬 事 大 慶 (ばんじOK)

三百六十五日 年中夢求
二十四時間  志事中


だそうです

ありがたいお言葉です

でも いつ休めば…?  

Posted by すながー at 16:56Comments(0)TrackBack(0)感謝・感動・感激

2008年01月03日

琉球八社(3・4)

謹賀新年


(3)普天満宮(ふてんまぐう・宜野湾市普天間)

戦後米軍に取り壊され1950年に再建される本殿は鍾乳洞のなかに設置されている。許可を得なければ入れない。昔の普天満権現時代の阿弥陀・薬師・聖観音を象徴する自然石三体を安置してある。宮の創建年代は明らかでない。首里桃原の美女は人目を避けて家に閉じこもっていたが、男に見られたので家を逃げ出した。そして、普天満の洞穴に入り消えた。人々は尊んで神とし、参拝して福を祈った。

 

(4)識名宮(しきなぐう・那覇市繁多川)

隣に新設された繁多川公民館がある。宮の縁起は、洞穴から空に光り射す霊石があり、大阿母志良礼(おおあむしられ・王府時代の高級神女)が祈ると霊験があった。尚元王(しょうげんおう・在位1556〜60)の子・尚康伯(しょうこうはく)は重病だったが、祈ると治ったので、この場所に識名宮と神応寺を創建したという。神応寺・聖現寺・万寿寺は臨済禅宗であったが、1671年真言宗に改宗され、護国寺の管轄になった。洞穴に本地仏の阿陀・薬師・観音を安置している。



普天満宮発祥伝説
「首里桃原にしとやかで絶世の美女がいた。これを伝え聞き、所望する男が多かったが、嫁ぐのをこばんでいた。それどころか、部屋に閉じこもり、戸を閉め、人に見られることも避けていた。その妹のほうは嫁いでいったが、妹の夫は『自分は義兄だから姉さんと対面してもさしつかえないだろう。会わせてくれ』と頼んだ。妻(妹)は『姉さんは必ず断わるので、私が世間話をしている間に、そっと見なさい』と教えた。当日、姉は見られたことを知り、走り出て普天満の洞穴に入って消えた。家人は後を追い、洞穴の中を探したが見つからなかった。それ以来、人々は尊んで神となし、願い事があると普天満宮に参拝して幸を祈る」
 
 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

世の男性が一度も見たことがない絶世の美女とは?
誰とも戦ったことのない史上最強の空手家とは?
羽衣伝説…その子孫が実在するという不思議??

いやあ、琉球には謎とロマンがいっぱい!(亀島先生ふーじーです)


(付録:百度踏揚・ももとふみあがり・むむとぅふみあがい)
尚泰久王の長女、勝連阿麻和利の妻、のちに阿麻和利を討伐した鬼大城の妻、のちに第二尚氏・尚円に追われる身となる百度踏揚(ももとふみあがり・本名)は、やはり絶世の美女だったらしい。史上最強のお嬢様は琉球史の悲劇のヒロインを一人占めしてしまった。百度踏揚は南城市役所(玉城役場)裏の陸上競技場東側のがけ下、仲栄真門中墓内に静かに眠る。


百度踏揚の墓  

Posted by すながー at 16:43Comments(2)TrackBack(0) 琉球八社巡り