てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › 2008年02月

2008年02月25日

2月晴れた日に


越来村教育発祥之地ですって…
ふ〜ん…やはり伝統と素晴らしい文化があるとこなんだ。

石の字を
やがて読み終えたら右上の雲が同じ形をしてくれました。感謝!


きょう…
首里森グスクから中城グスク、そしてコザの越来グスクへ
国道329号のグスクロードを北上しました。








工夫されたコピーだけど

う〜〜ん…



いろんなことを知ってるって? 




もしや、あのことまでも…


〜ごめんなさい!









コザ銀天街〜若い人たちの協力で、やがて新宿、渋谷のようになるそうです。
芸術的なアングルに老若男女が賑わうイメージが受かぶ。今ならお買い得物件あり!


はうーめにーろーずますたーまんうぉーくだうん♪


風に吹かれて こーみんくゎんに着きました。




城前公民館にはとても熱く語る会長がいて、
自然発生的に「グスクライブ実行委員会」と
「越来グスク・アクションプログラム会議(仮称)」が開かれました。

たまごさんも来てくれました。
話し込んでいるうちに陽がだいぶ傾きました。
  

Posted by すながー at 20:37Comments(4)TrackBack(0)沖縄のグスク・拝所

2008年02月23日

金武といえば…

2月22日(金)

222は猫の日だったそうで。2022年がいまからたのしみです。

2222年には私はここにいません。2千の風になっていますので。

用ありて
2・22金曜日に金武町金武222番地の金武観音寺へ行ってきました。

思いおこせば
私の大学入試のとき、受験番号下3桁が222でした。なんとか受かりました。

浪人時代に那覇琉米文化会館(現・那覇市中央図書館)で独学してました。

与儀公園のDー222の機関車の前で弁当食べてたからよく覚えてます。

ついでで悪いのですけど
金武町の名所を足早に紹介します。

……………………………………………………………………
金武といえば…「キャンプハンセイ!」ってふざけてる場合じゃありません。
反省すべき事態は深刻です。
……………………………………………………………………

金武名物といえば…タコス、タコライス?とかいう食品
私はいまだに食べたことがありません。
きっとこれからも食べないでしょう。


基地問題は、利権や経済など地域住民の亀裂を絡ませます。
でも異常事態が60年余り続いている事実は認識すべきです。



さて、金武…といえば

田芋(タームー)でしょう。あたり一面広がる田園風景

そして有名な

金武町並里の大川(ウッカガー)です


入り組んだ道、すこし迷って途中、
役場の職員らしき方に「ウッカガーはどこですか?」と訪ねました。
「…え〜ウッ??なに?」「あ〜…オオカワならあっちですけどお?」と、
お返事をいただきました。 …ありがとうございました…
   …でも、なんか釈然としない感じでした…。

わたしは、品格があるので人に嫌な顔ひとつ見せません。


品格のある人はよく手や顔を洗います

水が多すぎて服を濡らしました。靴までも!アガ!チッキショウ! 失礼。。。
品格のある人は、突然の事象にあわてたり乱暴な言葉を吐いたりしません。

だれか水止めてくれ! などと叫んでも水は止まらないそうです。
24時間出しっぱなしか〜? 品格のある?都会人にとって不思議な水です。



あらためて金武といえば…やはり


金武観音寺(真言宗の寺で開基は日秀上人)でしょう

戦前からある古い木造建築物です。
品格のある人にふさわしいスポットです。



足早の金武巡りでした。
  

Posted by すながー at 14:22Comments(6)TrackBack(0)沖縄シマ紀行

2008年02月21日

千客ばんない

猫の手も借りたいと言いながら借りたことはない。
借りるつもりもない。そもそもたとえに無理がありすぎる。
人間のハケンや外注ならまだしも。

死ぬほど好きだとか忙しいとか言いながら
まだ一度も死んだことはない。うそついてきた。

目からウロコが落ちたと言いながら
ウロコもなければ落ちたこともない。
そもそも意味がわかんねえ。

でもなんだかんだ忙しかった今週。
千客ばんないでした。

  

Posted by すながー at 20:15Comments(3)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年02月17日

公民館ライブ

公民館ライブ

2008年2月16日夜から 
越来グスク前公民館(新名所・かってに名前つけました) 



1960年代後半〜70年代的なコザ発オリジナルロックを聴かせてもらいました。

どのへんから本物だとか、よくわからないけれど、テクニックとまやかしだけの軟弱な歌があふれている現在、久しぶりに聴く本物の骨太メッセージソングでした。

歌を聴いていると時々、あのコザ暴動事件の前、ベトナム戦争の時代かと錯覚しましたが、現在は2008年でした。でも基地がらみの事故や暴行事件、今でもあの頃と本質は変わっていないはず。

それにしてもドル時代、にぎやかだった銀天街とその周辺は、まるで爆撃直後の中東イラクの商店街のようでした。(イラク行ったことないけど)もう何かに祈るしかないといった感じた。

有事法制をにらんだ沖縄の米軍基地再編計画は着々と進められているのに、名護や那覇などでは居酒屋で自由に議論することさえも許されず、周囲の客や店主にもはばかる風潮がある。そんな時代にあってイイタイコト、ウタイタイコトを自由に表現できる仲間が中部にいた。




公民館ライブの詩

おじさんと呼ぶには若すぎて
若者と呼ぶにはベテランすぎて

青年会はとうの昔に卒業し、今では子ども会行事に引き出され
婦人(女性)会には入られず、老人会の下働きで少し役には立つ

本音を語れる自分にふさわしい「〜会」などはみつからず
人並みに家庭や地域を支える働き盛り?の四十代

戦争体験者であまりにも大きすぎる親の背中をみて育ち
戦後は大勢の団塊世代のうるさい先輩たちにウシェーられ

気が付けば
何だかわからない構造不況と地域間経済格差を背負わされ
多くの人は埋め立てられた二つの海の平坦な土地にいくのに

王府時代から由緒あるグスクの崖下ら辺に夜な夜な集まり
明るくたくましく自分を表現している仲間たちがいた

おじさんと呼ぶには若すぎて
若者と呼ぶにはベテランすぎて


…………………………………………………………

古い城下町・越来グスク前 
かつて中頭には王府・首里を守る三つの軍事的要塞があった。
中城グスク 越来グスク 座喜味グスク 
その中核を担う越来はただの住宅地ではない。

去年、一昨年と日本では二人の王子がもてはやされた。
ハンカチ王子にハニカム王子

越来では500年も前から二人の王子がそれぞれ君臨し、
中頭一帯を治める若き人気者・スーパースターがいた。
尚泰久と尚宣威…(しょうたいきゅう と しょうせんい)

そして時代を受け継ぐ現・自治会長はハムカウ王子!
いまだ世間からまだスター的扱いは受けていないようだった


以下の年表はテストに出ます!(なんのよー?て)〜「コザ・センター(通り)試験」

 

越来グスク関連年表…………………………
(碑文より)

1435年 尚泰久王、越来王子となる
1453年 「琉球国之図」に「五欲城」と記される
1457年 尚泰久王が魏古城に梵鐘を寄進
1458年 護佐丸・阿摩和利の変。
      大城賢雄が阿摩和利を討ち、功労に
      越来間切総地頭を拝命し、越来親方を称す
1470年 尚宣威、越来間切を領し越来王子となる
1477年 尚宣威王、在位六ケ月にして越来に隠退する
1613年 「おもろそうし」巻二に「越来杜城,綾庭」と
      歌われる
1666年 越来間切から美里間切が分離設立される
1713年 「琉球由国由来記」巻十二に「越来城殿」で
      麦大祭、稲二祭の供物について記載されている

…………………………………………………………………………

「五欲城」という文言!
新たな発見! いったいどんな欲?…あれとこれと…なに?


追:ライブの様子はしっかり書いてね!沖縄タイムス中部支社・Aさん♪  

Posted by すながー at 12:09Comments(15)TrackBack(0)集会・セミナー

2008年02月16日

中部の琉歌の里(2)

大北・読谷山(残波岬)
うふにし・ゆんたんざ



大北の牝牛や
 なじら葉ど好ちゅる
わした若者や
 花ど好ちゅる


読み)うふにしぬくてぃや なじらはどぅしちゅる
わしたわかむんや はなどぅしちゅる

意味)大北(うふにし・読谷)の牝牛は、なぢちゃ草の葉が好きだけど。
   われわれ若者は花(美童)が好きだ

かつて首里の北山に対する防御線として、中城をナカニシ、越来をニシ、読谷(座喜味)をウフニシと呼んで中頭を三つに分けていたそうだ。

中世の軍事要塞に首里王府の身内から信頼できるリーダー・護佐丸やハムカウ王子らを派遣させていたという話。

今年に入って45日余り、ほとんど天気が悪いこともあり、屋外で趣味の写真がなかなか撮れない。おかげさんでしごとも忙しくなってきたせいもある。夕方6時頃、空の明るさに春を感じるこの頃、もうすぐ春ですね〜♪ キャンディーズ、ユーミン、拓郎…らの春の歌が立て続けに出てくる世代。コブクロ、ケツメイシ…若い人たちの春の歌も聞き捨てがたい。

By the way ところで中部にはいい琉歌がたくさんあるのに、北部ほど歌碑はない。
あれとこれとそれ〜片手で数える程度…もしくは私の勉強不足か!

ぜひとも残していこうという地域の声が大きくならなかったのか。
基地の多い土地柄、制約でもあったのか。

大きくて重たい、半永久的なものを残すにはたいへんな労力がいる。
長老の声、学識経験者、地域の理解はもちろん、多くの人の物心両面の支援がぜったいに必要。

街のあちらこちらに、たとえばナビィやチルーの像、護佐丸のモニュメントなど、あったらいい。空港から瀬長島付近には尚巴志の80mくらいの巨像が自由の女神のように立っていて、道あるいても、あれが尚泰久王だよ、あちらに阿麻和利が、公園で月見をしている護佐丸像とかが…(説明文は私に書かせてね!)

今夜は越来(ごえく・ニシ)グスクの前に行く予定。ニシは北である。

首里から中北(ナカニシ)は中城、北(ニシ)は越来(城の前ともいう)、座喜味は大北(ウフニシ)

北(ニシ)に最近、どんな碑が建ったかたのしみ。

 たのむぜ90番知花線!
  

Posted by すながー at 05:41Comments(2)TrackBack(0)中部の歌碑

2008年02月11日

中部の歌碑(1)

吉屋チル琉歌碑


読谷村側に立つ歌碑





恨む比謝橋や
情けないぬ人の
わ身渡さと思て
かきておきやら

  吉屋チル



よみ)うらむふぃじゃばしや
   なさきねんふぃとぅぬ
   わんわたさとうむてい
   かきてぃおちゃら




意味)恨めしいこの比謝橋よ
   情けない人が 私を渡そうと思って
   かけておいたのだろうか




嘉手納側に古くからある歌碑




吉屋チルは読谷村の生まれ。家が貧しいため幼くして那覇の遊郭に身売りされた女性です。

「恨む比謝橋」は、チルが売られていく途中、比謝橋を渡った際に詠んだものだそうです。齢8歳です。歌の感性や婉曲(えんきょく・やわらかめに遠回しなさま)な表現技法などはすでに天才ですよね。  (枕草子の清少納言レベルです)

沖縄では昔、貧しい農村などで子どもの人身売買が行われていました。男の子は糸満の漁師に、女の子は那覇の遊郭に売られていたのですね。

チルは幼くして那覇仲島(いまの那覇バスターミナル付近)の遊郭に身売りされ、最初は下働き、のちに遊女となってからは待ち時間やオフを利用して多くの秀歌を残しています。近くに新聞社でもあれば毎年優秀賞をもらっているはずです。

遊郭でも鋭い感性を披露。自分が上の句を詠み、下の句をうまく返せる男性しか相手にしなかったという逸話も残っています。遊びに来る男性もたいへんです。

仲里里之子と恋に落ちたようですが、身を裂くような歌を残して18歳の若さで生涯を閉じています。自殺だったかもしれませんが詳細は不明です。わずかじゅうはちです。


及ばらぬとめば思ひ増す鏡
 影やちよんうつち拝みぼしゃぬ



〜とうてい及ばない身の上の恋と思うと、いよいよ思いは増すばかり
 せめて真澄(ますみ・掛詞)の鏡に面影だけはうつして拝みたいものだ〜

 新古今和歌集でもハイレベルに位置する優秀作品だと思います。




むかしの比謝橋
(吉屋チルを渡すために情けない人たちによって架けられました。ホントカヨ!)




いまの比謝橋
(米軍上陸直後、撤退する際に日本軍によって破壊されましたが、米軍がいともカンタンに架け直して、戦後、何度か修復しながら現在に至ります)



きょうは国民の祝日…

私は事務所で3days しごとしごとしごと
休日だからはかどることもある
  

Posted by すながー at 03:16Comments(9)TrackBack(0)中部の歌碑

2008年02月04日

てだこウォーク総集編

てだこウォーク2008
初参加で
30kmコース完歩しました〜!


5km 10km 20km 
30km 42.195km と5つのコースのうち
申し込んだのは30kmコース


30kmコース(うらおそい浪漫ルート)

浦添港川から特別に入れる米軍キャンプキンザー縦断が魅力。
安謝川遡上、末吉、山川から入る首里城周辺グスクロードも特徴。
浦添市内も曲がりくねった路地をあえて遠回りしながら往くイライラコースも根性がつく。


かかった時間 :5時間10分

終始、時速6kmペースの早足歩行ときどき走行
(途中50枚のケータイで写真を撮るために10分ほどのロスタイム)

終日冷たい冬の雨が止まなかった。
キャンプキンザーの海岸線ではどしゃ降りに逢った。
ケータイを水没から守りながら完歩する。

残ったもの:両足ふくらはぎの筋肉痛 右足かかとのマメつぶれ痛

得たもの :5時間歩き通せた体力の自信と爽快感。「やればできた!」達成感

副産物:思いもかけぬ県外からのウォーカーとの交流
    今回なによりも米軍キャンプキンザーの全容が見れたことに感動!
    (長い海岸線に3つのボールパーク=野球場があることを知った)
   








市内を巡回して浦添商業高校前から伊祖公園へ
出発して約1時間経過すると、だいぶばらけてほとんどが単独歩行

















58号線を渡り浦添港川イバノから
米軍キャンプキンザーへ一直線

























キャンプキンザー

米軍が駐留し続けて63年目、浦添市西海岸のほとんどを占める牧港補給地区(キャンプキンザー)に、地元・那覇〜浦添で生まれて育って50年の私が初めて入りました。(感動!)


キンザーの沿革については米国防省公認資料より
 ↓↓↓↓
http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Installations/Kinser.html

沖縄電力のある牧港・港川ゲートから入りFM沖縄のある小湾ゲートまでの海岸沿いの直線約5km、途中激しい雨に見舞われ、基地内のbus stop以外にどこにも雨宿りする場所はないので思いっきり駆け抜けました。

中は高層マンション風の住宅がいくつも建っていて、日夜何かをやっている公共施設?に加え、カフェレストランや見たこともないブランドのバーガーショップなどがありました。

私たちの競技中、ひんぱんにPOLISと書かれた車両が行き来します。それでも記念に本国のハンバーガーを買いたかったのですが、ドルも持ってないしズブ濡れ状態なので断念しました。

また海岸沿いにいくつかのフットボール場がありました。ボールパーク(野球場)は確認できただけで3つ。野球場だけで3つもあるのです!驚きです。なお、基地内は撮影禁止となっていますので、ここは素直に日米地位協定など規則に従います。
 
ゴルフ場を5〜6個くらいつなげた感じ。広すぎて芝生がきれい!ここはほんとに沖縄・浦添かと思いました。しかし海岸線は黒く汚れていました。






小湾から抜けて国立劇場を通って58へ




那覇工業高校







58信号待ち





















勢理客(じっちゃく)シーサー通り
ひたすら東へ歩む

♪外は冬の雨 まだや〜まぬ…♪
♪今夜は帰れない〜帰りたくない♪

口ずさむが、すぐにでも家に帰りたい気分
















とても清流とはいえない安謝川下流域
この川の源・首里まで上らんとほっす









内間西公園(中間15km地点:2時間20分)
子ども会からおにぎりもらいました。





内間からパイプラインと330を越えて末吉へ
公園へ向かう途中モノレールが見えた。
長く続く坂道がきつい。
モノレールでも乗りたい気分。

足が痛い。どこか私を休ませてくれ〜〜

組踊「執心鐘入」に出てくる
中城若松の心情が少し共有できたかな?




















滝見橋‥連日の雨で水量多い
安謝川中流へ流れる




















末吉公園を出てからいったん下がる。
グランドキャッスル下まで下りてから上る。
坂を這うように山川バス停付近をめざす。

スタートから19km、だいぶ息も上がる! 














首里高校裏付近で空き缶を拾いながら
歩む県外から参加のウォーカーを発見!


あなたはエラい!
そして足も速い!
あっというまに抜かれた〜











綾門大道(あやじょうじょううふみち)
母校・首里高校裏通り

雨降り日曜日 今日はすいてる
お葬式のときの違法駐車の長さは
故人の人間性の大きさと比例する














右へ折れてまっすぐ一方通行を下る

石畳道の東裏街道へ向かう
観光客もしらない裏の裏道へと進む















石畳道から真珠道〜
やっと上がれた

琉球大学跡地の碑

私にとっていつまでも琉大跡地





















歓会門から修復中の弁財天堂へ
屋根が新しくなっていた













首里久場川あたりの桜

この辺から足のふくらはぎ痛で
ピッチが下がる。


花見る余裕なし












25kmすぎて浦添市に戻る
経塚といえば魔除けの「チョーチカ」。

経塚の碑前で
妖怪退治の日秀上人の偉業を拝む










沖縄国際センターJICA





前田小裏手のどろんこ道








わたしはどこへ行けば…??

 …右ね!














浦添運動公園
10km・20kmコースの人たちと合流
にわかに人が増える

東京ヤクルトスワローズは
室内で練習中












ゴールは浦添運動公園内体育館
30km完歩はたのしかったよ♪
所要時間5時間10分
(平均時速6kmは早足+軽い走り)
撮影ロスタイムは10分


意外に多かった県外からの参加
団塊世代〜が多い。そしてよく皆さん歩くこと。
いろいろ見られた30kmコースは観光にとてもいい!

10km20kmは地元ファミリーや高齢者向け



しかし、5時間以上も冷たい雨に打たれてなにかの罰を受けているような錯覚になった。

30kmも変な道(意外に石段多い)歩かされ、途中むかついたけど終わればよかった。歩いて家まで往復5km

結局この日は35kmのウォーキング

11月の尚巴志ハーフ、12月の那覇マラソンも見えてきた。

やみつきになりそう…
  

Posted by すながー at 14:42Comments(6)TrackBack(0)ウォーキングイベント

2008年02月03日

遠い海の彼方から

おはようございます。

 ♪あ〜めも降り〜あきて ♪ 風もやんだようだね

てだこウォークあなどることなかれ

30キロはけっこうハード

浦添大平・牧港経由〜キャンプキンザー西廻り〜安謝58〜首里城〜
浦添巡回後、運動公園ゴール/8時スタート〜夕方までに帰れるか?


音源とカメラも持参〜これから歩いて会場へ



この唄を口ずさみながら♪



遠い海の彼方から/五つの赤い風船
詞・曲 西岡たかし

遠い海の彼方に 小さく青い島がうかぶ
私はいつも島をながめ この浜辺で夢を見る
あの青い島にきっと 白いお家があるだろう
カモメやイルカがあつまる ぼくはみんなと暮らすんだ

遠い海の彼方に 小さく白いお船がうかぶ
私はいつもお船をながめ この浜辺で夢を見る
あの白いお船にきっと 幸せつんでいるだろう
世界のお国をまわる 幸せぼくにもくれるんだ

遠い海の彼方に 大きく黒い波がつづく
私はいつも海をながめ この浜辺で夢を見る
いやな夢 あの国では戦争が 人々が
子どもたちが泣き 幸せどこにあるのだろう

遠い海の彼方に ぽっかり白い雲がうかぶ
私はそっと空をながめ この浜辺で夢を見る
あの白い雲にきっと 幸せの神がいるだろう
私はそっとひざまづき みんなの幸せ祈るんだ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

これは35年前に買った「五つの赤い風船」のコンサートライブ版、当時LPレコードに収めれていた歌。1972年夏に沖縄にやってきた「五つの赤い風船」は、全国ツアーの最終章、沖縄は最初にして最後の「解散さよならコンサート」だった。中学3年生で初めて見るフォークのコンサート。リーダーの西岡たかしさんのやわらかい関西弁トークと、新鮮なさわやかさな楽曲が印象的。沖縄が日本に復帰してわずか3か月の出来事だった。

「遠い海の彼方から」…。作詞者の西岡さんは沖縄にあまり馴染みはない方で、必ずしも沖縄をイメージして作ったとは思えない。当時流行り歌にある「南の島」や「白い珊瑚礁」同様に、どこか南太平洋の外国の島をイメージして作ったと思われる。北海道出身の「ふきのとう」だって、当初は、沖縄とハワイは同じくらいにしか考えていなかった時代である。

それにしても「遠い海の彼方から」の歌は沖縄そのもの。詞全体は起承転結になっていて、一番は「琉球の島々」イメージ。二番は琉球王府時代の「交易船」のイメージ。三番は「沖縄戦」から朝鮮戦争、ベトナム戦争の暗い影。四番は「琉球の神々」と考えるとピタッとあてはまる。36年後に「団塊世代」が移住したくなる楽園が結果的に沖縄と重なっている。
  

Posted by すながー at 06:18Comments(0)TrackBack(0)音楽・芸能・歌