てぃーだブログ › 黄金の林住期は50から… › 2008年03月

2008年03月30日

時代おくれ

時代おくれ

作詞=阿久 悠  作曲=森田公一
唄=河島英五

一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら微笑んで 十八番を一つ歌うだけ
妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに
男の嘆きはほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く
目立たぬようにはしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい

不器用だけれどしらけずに 純粋だけど野暮じゃなく
上手なお酒を飲みながら 一年一度酔っぱらう
昔の友にはやさしくて 変わらぬ友と信じ込み
あれこれ仕事もあるくせに 自分のことは後にする
ねたまぬようにあせらぬように 飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける 時代おくれの男になりたい

目立たぬようにはしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎




なんて普段は言っておきながら、友達からもらった自分に似合わぬワインを2杯どころか泡盛の後にしたたか飲んで空にしてしまいました。

私的には葡萄酒は「お酒」とは認定してません。料理と一緒に飲む「お茶」の種類と分類してます。

高校時代の旧い仲間との語らい楽しかったです。二次会は50代の男女9人でジャスコの中華屋〜ドーナツ屋をハシゴしました。(座れて喋れればどこだって構わないちょっと目立つ中高年です)

春雷の雨が強くなってきた…甲子園は晴れるか〜開始時間がずれたのか?イペーはこの雨で散るのか?
東京浦添ヤクルトツバメはまた虚人に勝ったのか? 高田の背番号も知らないくせに♪原の背番号はどうなんだ!義理人情を欠いちゃあ勝負は勝てないさ。
熟睡の後だが気になって朝は眠れません。  

Posted by すながー at 06:05Comments(6)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2008年03月29日

イペーin繁多川通り

イペーin繁多川通り




イペーはブラジル原産の「ノウゼンカズラ科の落葉高木」。戦後に沖縄にやってきて今では県内各地で見られます。3月末から4月に開花し、あざやかな黄色を我々の目に焼きつけます。



年度の変わり目、歓送迎会の季節とハラハラ落ちる黄色い花。入社に退職、栄転昇進と左遷都落ち、合不合格、勝者と敗者…さまざまな思いを込めて眺めていきたい。ふと繁多川大通りの黄色の花に「お金貯まりますように」と祈っていた私です。
(♪あなた動機が不純なんだわ〜♪)








イペー街道・那覇バス識名繁多川遠回り線

お坊さんが托鉢(たくはつ・僧が経を唱えながら家を回り,鉢に米やお金をもらうこと)してました。最近では珍しい光景です。
志学塾の看板もイペーと同色です  

Posted by すながー at 13:55Comments(9)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月28日

本名です

本名です
へんな字だけど気に入ってます

米盛智恵子さんという有名人に描いてもらいました

春休みはとくに
高校生徒会役員の子どもがブログチェックしてるので
あまりヘンなことは書けません。ま、普段から公序良俗に反せず品行方正、公明正大、自民民主、社民共産…??ですので

検定教科書みたいに真面目に真実を書こうと思うのですが、
害しないユクシや少しの過剰表現は許してほしいです。


また飲酒ブログは控えようと思います 飲んだら書くな 読むだけOK! です


「集団自決」訴訟 大江・岩波勝訴 大阪地裁に拍手です

一度でいいから「勝訴」と書いた紙もって法廷周辺を走りたいと思って練習したことがあります。
いちおう法学部の学生やってました。

高裁、最高裁はこれから 正義は勝ちます    

Posted by すながー at 18:17Comments(11)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月28日

幸福の木










高校の同級生から「幸福の木」が
届きました。1m70cmくらいです。

うれしくて♪うれしくて♪


小田和正のように歌えません。


ありがとうございます。  

Posted by すながー at 04:24Comments(2)TrackBack(0)感謝・感動・感激

2008年03月27日

なぜか観音寺



いつものようにまく〜が開き〜♪

舞台に出る直前の心境……最近経験ないなあ…

なぜか金峰山観音寺(高野山真言宗)です。


沖縄の山陰地方または日本海沿いと勝手に名付けている

 国道329号走ってました。

途中、美里越来方面城前下車

 

日米両軍に火遊びに注意報発令中。

火の用心、火薬も用心…カチカチ  

Posted by すながー at 18:15Comments(0)TrackBack(0)沖縄のグスク・拝所

2008年03月26日

君の友達

春休みの英語の学習教材に最適です。
     NOVA!!  んば! アバ!(宮古風)

 大人に春休みもなにもないけど…



むかし、へこんだときによくきた佐敷つきしろの宮
尚巴志王の偉業を祀る


君の友達 

   ジェームス・テイラー/キャロル・キング


When you're down and troubled

and you need a helping hand

and nothing, whoa nothing is going right.

Close your eyes and think of me

and soon I will be there

to brighten up even your darkest nights.


君がしょげて悩んでいるとき

そして手助けが必要なとき

そしてすべてがうまく行かないとき

目を閉じてボクのことを考えるんだ

そうしたらすぐに君のところへ行くよ

真っ暗な夜でも明るくするために





You just call out my name,

and you know whereever I am

I'll come running, oh yeah baby

to see you again.

Winter, spring, summer, or fall,

all you have to do is call

and I'll be there, yeah, yeah, yeah.

You've got a friend.



ただボクの名前を呼べばいい

そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず

ボクは走って君の元に行こう

また君に会うために

冬,春,夏,秋

ただ君はボクの名前を呼べばいい

そうすればきっときっと君のところにボクは行く

そう君には友達がいるんだ






If the sky above you

should turn dark and full of clouds

and that old north wind should begin to blow

Keep your head together and call my name out loud

and soon I will be knocking upon your door



仮に頭の上の空が

暗くなって雲だらけになっても

そしてあの北風が吹き始めても

神経を集中してボクの名前を大声で呼ぶんだ

そうしたら君の部屋のドアをノックしに行くよ





You just call out my name and you know where ever I am

I'll come running to see you again.

Winter, spring, summer or fall

all you got to do is call

and I'll be there, yeah, yeah, yeah.



ただボクの名前を呼べばいい

そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず

ボクは走って君の元に行こう

また君に会うために

冬,春,夏,秋

ただ君はボクの名前を呼べばいい

そうすればきっときっと君のところにボクは行く





Hey, ain't it good to know that you've got a friend?

People can be so cold.

They'll hurt you and desert you.

Well they'll take your soul if you let them.

Oh yeah, but don't you let them.



友達がいるのがわかるっていいことじゃないか

人は冷たくあたるかもしれない

君を傷つけて見捨てるかもしれない

もし君が許せば人は君の魂を奪ってしまうかもしれない

そう,でも君はそんなことさせないだろう





You just call out my name and you know wherever I am

I'll come running to see you again.

Oh babe, don't you know that,

Winter spring summer or fall,

Hey now, all you've got to do is call.

Lord, I'll be there, yes I will.

You've got a friend.

You've got a friend.



ただボクの名前を呼べばいい

そうすればどこにボクがいようと,君はわかるはず

ボクは走って君の元に行こう

また君に会うために

冬,春,夏,秋

ただ君はボクの名前を呼べばいい

そうすればきっときっと君のところにボクは行く

そう君には友達がいるんだ






Ain't it good to know you've got a friend.

Ain't it good to know you've got a friend.

You've got a friend.



友達がいるのがわかるっていいことじゃないか

友達がいるのがわかるっていいことじゃないか

君には友達がいる

  

Posted by すながー at 09:17Comments(7)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2008年03月25日

桜三月散歩道

桜三月散歩道

    井上陽水

ねえ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば花がない
町へ行けば花がない
今は君だけ見つめて歩こう
だって君が花びらになるのは
だって狂った恋が咲くのは三月

ねえ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば風に舞う
町へ行けば風に舞う
今は君だけ追いかけて風になろう
だって僕が狂い始めるのは
だって狂った風が吹くのは三月

 (朗読)
 夏の日の夕方 学校から帰ると僕たちは
 みんな真っ白なシャツを着て
 色の剥げた貨物船のような倉庫の有る
 細い道に集まり
 それから川の堤に駆け登るんだ
 みんなで影を連れてね
 夕日が太い煙突に吸い込まれるまで
 影ふみをして遊ぶんだ
 影を踏もうとすると
 影は驚いた魚のように逃げたっけ


ねえ君 二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば人が死ぬ
町へ行けば人が死ぬ
今は君だけ追いかけて走ろう
だって僕が狂い始めるのは
だって狂った恋が咲くのは三月
 
 

3年生なのか2年生なのかわからない野球選手
社会人かフリターなのか単なるフリムンなのかわからない青年
なんとなく心浮き足立ち気がふれそうになる季節
陽気に誘われてヘンな気はおこさないでおこう

落ち着いてまわり心の動きをよく見てね (自戒)

大宜味村喜如嘉ではオクラレルカの花の季節
コザのセンター通りの裏ではイッペーの黄色い花


カメラ持ってたのに…浮き足立って
写真とりそこねたさあ、だあ

ひとなみに多忙です!
      byすながー


※一部、画像が見えないということなので
形式を変えて見えるかどうか実験中です
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓どうでしょう?

  

Posted by すながー at 10:04Comments(5)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2008年03月24日

グスクトライアングル

遊び心で作った「世界遺産グスクトライアングル」

城跡の跡形もないために世界遺産どころか
県指定文化財にもなれなかった越来グスクが常にセンターにある。

※携帯でも見えるように解像度を小さくしました↓





「だから何っ?ていわれればそれまで…」

中学生の「数学」三角形の重心定義の証明用には使えるはず。


注)このデータは無断で複写しても結構です  

Posted by すながー at 13:03Comments(2)TrackBack(0)沖縄のグスク・拝所

2008年03月22日

現実と陰影

  現 実
空と海と大地とがあり
ちっぽけな俺たちが
そこで生きている
現実という峠のある
四角いジャングルで
惑わされあやつられ
苦しみもがいてる

泣いたり笑ったり喜んだり悲しんだり
現実は地球のように丸くはないんだよ



1980年代前半に流行ったとまではいかないけど個人的に好きだった歌。
歌詞はネットで検索しても出てこないのですべて私のうる覚え。
2番の歌詞はもっと前向きだったように思うが頭の古いパソコンからも出て来ない。

今ではNHK大河ドラマにも出演する俳優の白竜の歌である。なにを隠そう彼はむかし反体制的なギンギンのロックシンガーだった。白竜は在日コリアン。当時の韓国は軍事独裁色の強い国。民主的な政治家、後の大統領になった金大中氏への拉致事件、広州事件で戒厳令を敷くなど民主化の前の暗い時代があった。北朝鮮からのスパイもからんでしばしば自国民同士で戦いあっていたと理解している。右も左も硬派。ソウルには軟弱顔で眼鏡かけた茶髪の俳優なんて一人もいなかったように思う。

白竜の『広州シティ』は『現実』とのカップリングかどうか知らないが、先輩からテープを入手して2曲セットですりきれるほど聴いていたのは1982年頃。広州事件を再現した曲は、ドラムパーカッションに爆竹音が鳴り響き、闘争と弾圧をイメージした激しい曲だった。それらは思い出。

だからさ、きょうは何がいいたいかというと、「現実から逃げないでおこう」ということなんだ。目の前にある現実の物・人をまっすぐに見ていこうということを言いたい。

若いときはつらい現実に耐えかねて、ときに慌ててよからぬ団体やサークルに取り込まれることがある。それがまともな団体だといいが、大半は巧みな日本語をあやつり弱者を食い潰すよからぬ集団やナントカ法人。特に東京に多いと断言できる。ハンコ押す前に親を含めた信頼できる複数の先輩に相談すること。そして相手の目、自分の現実を直視するとよい。今年の春から都会に出る若い人に伝えたい。田舎の純朴な人ほど狙われやすいから。若いとき街で遊んでた人は免疫できてるから案外平気かも。


陰影:人生万事「光と影」(S高校)


近いうち私もビジネス的なハードル、個人的な障害等がとれたら
より自分を出していこうと思っているさあ。現実を直視して。

おやすみです ZZZzz  

Posted by すながー at 23:02Comments(5)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2008年03月21日

CDジャケット作成中


ただいま制作中です。4/5発売するはずです。  

Posted by すながー at 18:45Comments(2)TrackBack(0)音楽・芸能・歌

2008年03月20日

彼岸に思ふ

四季に乏しい沖縄でも彼岸のこの時期、変わり目を感じざる得ない。。
沖縄の場合、季節の変わり目よりも時代、世代わり季節かもしれない。

1609年、いまから399年前の旧暦3月29日、薩摩軍は海上からの琉球侵略のあたって、東シナ海から現在の北谷方面に上陸、その後、反抗する人々を切り殺しながらこの首里城に向かって軍を進めてやがて占領する。336年後の4月1日、慶良間諸島を占領した米軍は薩摩軍と似たコースをたどり、同じ北谷に上陸、やはり首里城を目指し、城下の日本軍の地下指令壕を徹底的に破壊し尽くし沖縄攻略を果たした。京都・奈良にも匹敵する文化財を破壊すことになったのは日米両軍の仕業である。3月から4月にかけてこの時期はそうしても海岸線の向こうに警戒心が働くのは私だけでしょうか。黄砂にも有害物質が含まれていると言うし、外国からの輸入品だって最近はろくなものはない。


首里城・西のアザナは標高130mの物見台。遠方にケラマ諸島が見える。新都心地区にこの視界を遮る高層マンション群を建てる計画がある。実行されれば首里城136mより高いマンションが立ち並ぶ。首里地区からの景観は大きく変わるとともに、居住者は毎日首里城を見下ろすことになる。すると王朝以前の古代からある首里森グスクの神々は落ち着かなくなる。マンション居住者が幸福になるとはとても思えないのだが。



戦前から北谷にすむ80代の男性Aさんは、「ニライカナイ」の一般的な解釈に疑問を持っている。長年にわたって調べ上げたサンスクリッド語やヒンズー語、南西アジア関連の文献からニライの同発音「ニレー、ニライ」では、「地獄」という意味が含まれており、カナイと合わせると「地獄に落ちる」と独自で結論づけた。「幸福は海の向こうからやってくる」という現在の解釈とはまるっきり違うことになった。北谷〜嘉手納地域の消防署が「ニライ消防署」という名称に決めようとしたとき、一人で激しく抵抗したそのAさんである。

「海の向こうからまた地獄がやってくるぞ〜」「地獄に落ちる消防署になるぞ〜」と人に話すと小さな迫害までも受けたようである。私にはあながち間違っているとは思えない。これまでも北谷の海岸からは地獄みたいなものしかやってこなかったではないか。数年前に私はその老人に実際にお会いしてビールを飲んで意気投合したことがある。Aさんは膨大な文献を駆使して慎重に言葉を選び、自己の経験を重ね絞りだすように執筆し小さな本まで出すまでになった。『沖縄口(ウチナーグチ)の根を探る』A5判48頁の小さな本だ。ものごとや言葉にはいろいろな解釈があり、すべて右へ倣えで使うことは慎重にしたい。ニライカナイは地獄に堕ちるという、たとえばの話である。万事表裏一体、光と影あり。ニラ買いにいかない?とか、 にらみ家内?という冗談は別の記事にでも書く。

きょうはいい天気の春分の日。太陽の光が眩しいさわやかな陽気だ。海の向こうからヤナムンやマジムンは来ないで幸せでうやき繁盛して暮らせますように!先祖の墓に手を合わせる。

  

Posted by すながー at 10:42Comments(0)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月18日

尚宣威の墓

コザの「熱いにぃにぃ」と勝手に連動してデータの掃除してたら写真が出て来た。

策略により退位させられた王
尚宣威王(しょうせんいおう)の


美来工業高校(元中部工業)の裏門前を渡り左道を行く。尚宣威王の墓は崖の中腹にある横穴墓で、石段が設けられている。
尚円王が病死し、世子の久米中城王子(のちの尚真王)は幼少(12歳)との理由で、諸臣に推されて尚宣威(尚円王の弟)が王位に就いた。尚宣威は越来王子として六年間、越来城にいたが、即位してからは首里城に居住した。
しかし、在位六カ月後に「神のお告げがあり、尚真こそ王を継ぐべき」と、神女が託宣した。これは神の仕草をする神女と、尚真の母とが策略したもので伝えられる。尚宣威は退位し、越来村に隠れるように暮らした。
その子孫は湧川殿内門中。長男の越来王子朝理(湧川殿内の始祖)は越来間切総地頭だったが、二世からは越来間切見里の脇地頭にさがった。後年、尚真王の四男朝福が越来王子となり、越来間切総地頭になった。(『拝所巡り300』より一部抜粋)


よい子のみなさん、拝むところではごみを捨てたり汚したりしないでください。
たぶんだけど、あなたとあなたの子孫までたたるかもしれませんどすえ!

反対にいつもお庭や公園、墓の周辺を掃除している方はいいことばかりが続き、子々孫々まで栄えてうやき繁盛するでしょう。きっと。

  

Posted by すながー at 17:01Comments(6)TrackBack(0)沖縄のグスク・拝所

2008年03月17日

チベット暴動に思う

優柔普段通り男のたまーに書き込む時事評論です。
その前に、きょうは石川〜北美〜沖縄南へと走りました。
とても忙しくてブログ仲間とゆんたくひんたくもできませんでした。


中国チベット自治区ラサは、近年急速な都市化が進んでいます。鉄道など交通網の整備が進み、世界遺産の宮殿がある自治区内の観光収入などを目当てに、中国内地からの漢民族業者の移住が加速し、銀行、マーケット、商社、おもだった企業は漢民族の手中にあるそうです。

ラサの街並は道路や公園、各観光地も整備され、近代的な建物に水銀灯も多く立ち並び、見た目きれいになったとのことです。しかし、それらの近代化は長い期間にわたってもともとあるチベット民族文化の壊滅的な破壊につながっているとの見方もあります。

観光や地場産業で得た利益のほとんどは移住してきた漢民族の所有となり、チベット民族は低賃金労働者の対象にしかならない。

先住民族にはなかなか還元されないシステムもあり、チベット民族は、日頃から内地からの移住者との宗教や文化、言語の摩擦に加え経済格差に苦い思いをしているそうです。

それらが日頃の不満が鬱積し今回の暴動、中国警官隊(自衛隊)の出動、あからさまな発砲につながっていったのではと推測されます。

「そんなの関係ない!」とは言えませんよね。
ユニオンで買うあしたのご飯のおかずメニューも大事だけど、
武力行使の犠牲になった家族のことも頭の隅におきたいもの。

このところのニュース、遠い国の出来事に思えないのは私だけでしょうか!

先日の新聞を見たとき、
1970年12月のコザ暴動事件の報道を思い出しました。

たとえば私のふるさと那覇…

歩いても知ってる人や同級生にだれにも会えないふるさとがある。
お店の人もお客も公務員さんも「鈴木さん、佐藤さんに 横山さん…」
あそこは私たち先住民の望む街になっているだろうか??

いちおう那覇人も移住者に負けるかと底辺で頑張っているので、ラサとは全く一緒にできません。

 「20XX年、那覇暴動勃発!自衛隊発砲」は絶対に起こらないとは思うが…

 ※一時期もてはやされたコールセンターのしごと。
いまでは沖縄撤退、中国移転が急速に始まっているとの居酒屋情報があります。
日本語教育を受けた中国人が日本の保険や金融の電話取り次ぎをしているんですね。

いろいろ調べたら本当らしいです。内地企業の方針です。

2008年8月 中国でオリンピックが盛大に行われます。

「中国よどこへいく」

中国にも言い分はある。安全な食品を世界の人に食べさせてオリンピックを成功させたいしい…。

餃子は難しいかもね。

こんなに全世界的にネット情報が進んでいるのに、情報先進国‥中国、インドを排除して
G8先進国首脳会議(サミット)が日本の北海道で行われることもおかしいですよね。

ちょっと危険なことを書きました。反論コメントは中国政府当局へ、ここへは来ないでね!
いろいろなんぎだわけさあ。無駄な争いを好まない優柔普段通り男の戯れ言
  

Posted by すながー at 23:31Comments(4)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月16日

免許の更新どーい!

運転免許証の更新どーい!

日曜ドキュメント
ちょっと悲しいお話です。よかったら読んでみてください。



先日、運転免許証の更新へ行ってきた。新しい免許証を受けとったときはいつになくうれしかった。ちょっといろいろあった出来事を書いてみる。

その日は午前9:45からの講習に間に合わそうと余裕をもって9:00に浦添を出た。
午前中で終わるだろうから仕事の予定を午後にスライドさせていた。

春先は空港行きが混むという。やや渋滞もあったが、でもま、9:30には到着。



那覇市西の沖縄県公安員会・
沖縄県警察本部運転免許課


この建物は本土復帰前から全然変わっていない。
トゥータンヤーは県指定文化財的建造物である。

そんな余計なこと考えていたら駐車場に手間取った。
9:35〜ぐるっと回って東側のコインパークに止めた。海が近いせいか駐車場設備の錆がひどい。車を置いて金属版が動くのをしっかり確かめた。

建物の中に入ると春先特有の18歳の免許取得だろうか、若い人たちで混んでいる。

いま、更新手続きには以前のように「代書屋さん」に書かせない。昔は代書と手続き用の写真だけで1200円くらいかかった記憶がある。名前と住所くらいたいていは自分で書けるのにと前から疑問に思っていた。手続上の写真だって10円でコピーすれば十分だし。不可解なシステムが数年前から改善されたのだ。

3800円の沖縄県収入印紙だけで済む。手続写真も免許課窓口で免許証をコピーしてくれる。

住所の地番が変わったので住民票のコピーを添付したら「これはダメです」といわれた。役所から発行された写しを(コンビニで)コピー、つまり写しの写しは認められないというのだ。ああいう頑固な女性とは友達になりたくない、とまた余計なことを考える。

窓口でかばんの中の物をごそごそ探した。しまいには通帳や飴玉、ポケットティッシュや薬、軟膏類も全部出してやっと見つけた保険証で住所の変更手続きが完了した。先ほどの女性職員も喜んでくれた。案外いい人かもしれない。

そもそも勝手に住所の地番を変えたのは行政の方だ。なのになんで私の免許証記載が疑われなきゃいかんのかという小さな疑問。
約2分間のロスタイム。

その女性職員が「印字された文字にまちがいがないかよくお確かめてください」というから約1分間じっくり確かめた、本籍、住所、生年月日 名前…大丈夫だ、まちがいない!

9:41 お金(印紙代3800円)を払って適正検査へ。いわゆる視力検査だ。
わけあって5年前もちょっと手間取った難関スポットである。 

なんとか合格!!やった〜とガッツポーズをとる。些細なことだが嬉しかったのだ。人の喜ぶ姿を見て試験官も微笑んでくれた。

実は左目に小さな水泡があって角度によってぼやけることがあるのだ。原因はわかっているがここでは書けない。右は全然大丈夫だが、左だけの場合、すこし不安あり。矯正も可能だが左右のバランスが大きく崩れて逆に日常生活に支障をきたすので、今のままにしている。すこし間をおいて、顔を瞬間的にスライドさせパスした!!〜これは野球でボールを追いかけるときなど普段から慣れている高度な技術なのだ〜人生にはいろいろな障害があるもの〜そして克服するもの〜 最近は、日ハムの中田よりも変化球も捉えられるようになってますから。

やばい、講習の時間がおしてきた。
9:44〜免許証に載る写真撮影〜5年間つき合う写真だから表情に気合いを入れる。そしたら担当の女性からあごを引いてください、とか楽にしてとかいろいろ注文が入った。気持ちの準備もしないうちに撮りやがった。いやお撮りになった。

約15秒 ロスった。やばい時間がない、急いで向かいの最終7番窓口へ

9:45〜講習受付窓口到着!「セーフだ!」
カウンター越しには若くてきれいな職員がすわっていた。

提出された書類を受けとった瞬間に時計を見上げた。
「申し訳ありません、午前の講習はたったいま閉め切りました

いま9時45分でしょ! 「はい、講習会場のドアに鍵を掛ける時間ですのでもう入れません」

「そんな、うそだー!警察みたいな!」……ここは警察だった。
「ただし、あなた様は午後2時30分からの受講が可能です」
すました顔して事務的にしゃべる。
午後の受講までに4時間以上もあるじゃないか!
「ここは1秒も待てないのですか!」執拗に食い下がる私。
「申し訳ありませんが規則です」冷静に応える女性職員。

「そんなことってある!結婚式やセミナーだって少し遅れても入れてくれるのに」と声を上げようとしたら後ろの男性警官がにらみをきかす。

「わかりました4時間15分後にもう一度来るからねうわーん〜!」

捨て台詞を吐いて公安委員会をあとにする。
まあ、適正検査で帰されるよりはよかったかな、怒りを鎮めて駐車場へ。わずか15分しか止めてないのに300円の表示、怒り再燃「負けろよ!」と機械に八つ当たり。

結局午後の講習にも足を運び、その日のスケジュールはめちゃくちゃになった。
ただ午後の講習のスタート時に初老の紳士風な方が数分遅れたが会場に入ってきた。
それを許した職員の対応には不満だった。私は1秒遅れて帰されたのに。

教訓1 住民票の写しの写しはなんの役にも立たない
教訓2 免許試験場講習会場にはピッタリの時間に来ても入れない
教訓3 人生には障害がつきもの。事故を起こさないだけでも幸福

追記;「沖縄タイム」は死語である。ここは日本国であるからして…国内法に従うべき。あなたはどーするべき!  

Posted by すながー at 08:22Comments(10)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月15日

首里巡り(2)

3/2に行われた「古都・首里巡り」の記録です。
儀保から宝口〜桃原〜池端〜山川〜経由して首里城へ
首里城から坂を下りて金城町へ向かいます。



美しい女性を見ると、ついカメラを向けたくなるのは習性です…失礼!


守礼門 名前だけが大きい門・記念写真をとるために戦後2回復元されました?
個人的には首里高校裏門近くにあったという「中山門」の復元を望みます。


園比屋武御嶽 石造りの屋根の曲線が見事です


西のアザナ入口付近(30年前は琉大図書館前) 下の御庭を望む


西のアザナは標高130mの物見台 遠方にケラマ諸島が見えました。
新都心地区にこの視界を遮る高層ビルを建ててはいけません。


南西方面 真和志〜小禄方面まで眺望できます。家が多いです。








琉球大学跡地
私にとっては首里城跡は
琉大跡地の印象が強いのです。











首里城木曳門を抜けて
真珠道を下ります。

「日本の道100選」
その一つです。























写真で見慣れた
金城町の石畳道























金城町の大アカギ群
西側のアカギは、
拝所みたいになっていて
女性がよく参拝します。

おさい銭も穴へ投げます。


周辺は内金城(うちかねぐしく)とよばれる拝所がいくつかあり、地元の方によってきれいに清掃されています。







ガイドさんから
鬼餅由来の
説明をうけました。

秘話が多いです。
















村屋(むらやー)は金城町自治会の集会所でもあります。


ここで古都・首里巡りは解散です。

さて、これから単独で車を置いて来た儀保まで歩いて帰ろうと思います。

最終・帰り道へと続きます。
















金城町村屋から西へ
山川へ上がる道も
また趣があります。


























首里高校正門です

ガジュマルにも歴史

























坂の向こうになにがある?
大中町の教会付近










人生の分岐点に遭遇ガ-ン

坂を上りきると道がふた手に分かれています。儀保へいくにはどっちが近いでしょう?
人生にはしばしば選択を迫られることがあります。御香


しばらく右へ左へ歩くと儀保の祭り会場本部へ戻りました。(完)
  

Posted by すながー at 15:08Comments(0)TrackBack(0)首里巡り

2008年03月13日

首里巡り(1)

古都・首里巡り
3月2日のよく晴れた日曜日でした。
儀保駅祭りのイベントがあり「古都・首里巡り」に参加しました。






今回50人ほどの参加者があり、
2グループに分けました。
予想以上の参加者です。

私たちのグループのガイドを
してくれた慶佐次興和さん。


さっそく出発します。










かつての儀保村の宝口にある滝です。さすがに水質は悪くなっているようですが、かつて湧き水豊富な首里の面影を十分に彷彿させます。
宝口樋川と呼ばれる周囲には今でも湧き水が出ています。




宝口で伝統的な琉球和紙づくりを
継承している安慶名清さんのお話。

王府時代の話を昨日の出来事のように語ります。










桃原にある尚家の屋敷裏側です。

拝みをしない人でも入れます。


地下壕のような奥には、琉球王府時代からすでに神格化されたカー(井泉)があります。










尚真王代に佐司笠按司(さしかさあじ)という方が、水鳥が舞うこの桃原の地に目をつけカー(井泉)を掘り当てたそうです。当時、水を制すれば地域の繁栄が約束できたのでしょう。佐司笠按司は首里の地に永遠に名を残しました。

現在でも拝む人が絶えることないのはさすが首里です。いつまでも残しておきたい拝所です。










奥には500年程前に造られたとおぼしき井戸跡があります。




アーチ型の水口は、規模が違いますが、座喜味グスクや崇元寺石門などのつくりとよく似ています。同じ時代なのでしょう。

ラジオ沖縄の「カーを訪ねて」みたいになってきました。









ガイドの話は現場で聞くからいっそう迫力があります。


桃原から大中〜山川〜首里城へと進みます。







玉那覇味噌醤油:王府時代からある国王御用達の伝統的な味噌醤油工場
商標も江戸時代のようで歴史を感じます。






安谷川に入りました。
そこは川ではなく井泉(いせん)のカーです。



安谷川御嶽。当の蔵保育所の隣です。






御嶽の裏手にある壕
戦時中の避難場所












あじまー(交差点)/琉球王府時代の宿道へ向かう最初の大きな交差点
普天間街道と西海岸の街道が交差するスクランブル交差点(旧博物館の裏)
足が丈夫なのは年輩者です。このように、歩くのが遅い若者らを待ちます。






安庵(あんあん)
上品な住宅の中にある茶房。
なんか入りずらいです。
「ごめんくださーい、(悪いことしてないけど)すみませーん!」










世持橋跡 龍潭通りの下、
津留さん宅の向かいです。
「すべての水は龍潭に通じる?」












新しいけど昔なつかしい定食屋(史跡ではありません)



池端三叉路。池端市場跡

現在は、大型の観光バスやレンタカーがひっきりなしに通ります。
私の青春時代、かつてあったロマン書房や池端スーパーは影も形もありません。
道路拡張工事が進行中です。

いよいよ首里城に近づきました。

続く
  

Posted by すながー at 04:14Comments(0)TrackBack(0)首里巡り

2008年03月11日

D-222 与儀


D-222 走らない機関車

子どもの純粋な表情は、ほとんど菩薩である。

春先の桜満開、いい天気の日、30分ばかり空白の時間に恵まれた。

19の春 ここは自分にしかわからない青春の原点・出発点だ。

幾つになってもここ(与儀)にくるたびにあの頃を思い出す。

 〜泣きながら〜ちぎった〜ティッシュを〜♪ちがうちがう!

S高校3年生の終わり、大学受験に失敗した。

ふたを開けたら
地元の国立R大学に合格したのは半数以上が内地の高校生だった。
地元S高校やN高校からこれくらいなら行ける、と読んでいた合格者数…

ことごとくはずれた。一種の地元学生の大暴落である。
のちに多くが県外へはじけ飛んだ。行方不明になった奴も少なくない。

甘かった。自分たちがただのアホだったかもしれないが。

地元R大学は大日本国立だったんだ!
琉球政府はすでになかった。(当たり前!)

日本復帰から3年、本土化の異様な状況に戸惑った。
怒濤のように押し寄せてきた県外からの学生の波。

驚いたことに、彼ら内地人にとってド田舎のR大学は第3志望くらいという。
中には、なんとなく沖縄おもしれえから海で遊びながら通うか?
そのていどの学生も。でも偏差値は高いからくやしい。

もしかすると約20年後、沖縄の教育・マスコミ・指導者のほとんどは
県外勢が多数をしめるのでは?  不安がよぎった。やがて的中した。

…………中略…………………………………

経済的な面もありアルバイトをしながら与儀の図書館の一角で自分は勉強した。
昼休みにこの機関車の前に来る以外は、図書学習室で9時間近く集中したこともあった。
〜半分は古典ばかり読んでたかな〜

感覚的に横浜に憧れた。応募した大学の受験番号下3桁が222だった。

D-222 走らない機関車が内地に向けて走りだした。自分にはそう見えた。
桜咲く与儀公園。当時は桜もほとんどなかった。

19の春 ここは自分にしかわからない青春の原点・出発点である。
  

Posted by すながー at 22:21Comments(0)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月09日

山之口貘の詩碑



那覇市与儀公園内(市民会館裏)
桜が満開の2月の末ころ

土の上には床がある

土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団で
その上にあるのが楽といふ
楽の上には
なんにもないのであろうか
どうぞおしきなさい
とすすめられて
楽にすわったさびしさよ
土の世界をはるかに
みおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界が
さびしいよ


山之口貘の詩碑


明治以降の沖縄に対する差別政策。琉球を処分を通してやっと手に入れた日本の一部・おきなわ

→重税、方言撲滅(沖縄言葉の廃止運動)→→沖縄の伝統芸能など文化の否定→すべて大和・ニッポンのものがいいんだという教え→戦争への道へと突き進み、やがて沖縄中に日本軍の飛行場が建設された昭和19年頃。

戦前戦後を通した沖縄の光と影、悲愁や苦しみ、喜びをいきいきとした言葉でつづって、昭和の詩壇に大きな足跡を残したのが山之口貘(やまのぐちばく)。彼は激変する時代を見つめながら、強度に抱く熱い思いを詩に託した。

山之口貘は1903年に那覇で生まれた。本名は山口重三郎という。県立一中(現首里高校)出身。大正末期の1922年に上京したが、職を転々とし、放浪の生活を送らざるを得なかった。やがて太平洋戦争へ突入し終戦は内地で迎える。

1935年創刊の詩誌「歴程」に参加し、独特の風刺とユーモアの漂う詩風で知られ、40年に「山之口貘詩集」を出版している。戦後は「日本未来派」などの雑誌に詩を発表したほか、小説をも手がけ注目を浴びた。

貘さんの詩はどれも、沖縄の現実と沖縄の人々の姿があたたかい目で描かれ、彼の詩の世界は現代にも新鮮に生きている。





東京の貘さんは沖縄戦の惨禍から立ち上がった
沖縄への思いをこう詩っている


『不沈母艦沖縄』

守礼の門のない沖縄         
崇元寺のない沖縄
がじまるの木のない沖縄
  (10行略)
どうやら沖縄が生きのびたところは  
不沈母艦沖縄だ 
いま八十万のみじめな生命達が    
甲板の片隅に追いつめられていて 
鉄やコンクリートの上では
米を作るてだてもなく 
死を与えろと叫んでいるのだ 







1958年、34年ぶりの故郷沖縄に帰り、
その第一印象を詩に表現した


『弾を浴びた島』

島の土を踏んだとたん
ガンジューイとあいさつしたところ
はいおかげさまで
元気ですとか言って
島の人は日本語で来たのだ
郷愁はいささか戸惑いしてしまって   
ウチナーグチマディンムル
イクサニ サッタルバスイと言うと
島の人は苦笑したのだが
沖縄語は上手ですねと来たのだ


米軍の占領支配下の沖縄。標準語励行運動の沖縄。
貘さんは、沖縄世(ウチナーユ)を見ることもなく1963年初め頃から胃ガンを患い、同年7月に東京で亡くなった。 59歳だった。死後、獏さんの詩集はより一層多くの人々に評価されるようになった。
 
  

Posted by すながー at 05:00Comments(6)TrackBack(0)那覇・南部の歌碑

2008年03月04日

三線の日に

赤犬子宮
アカインコぐう



うざのたのしみや 歌と三味線と
 楽しみにまかち 長座するな



意味)
うざ(御座、お座敷)の楽しみは歌と三線である。
だが楽しいからといって長居してはならない。




古典音楽関係者の建てた碑文



歌乃道ひるく世界にかがやかち
犬子ねあがりや末代までも

うたとさみせんのむかしはじまりや
いんこねあがりのかみのみさく


アカインコは、沖縄三線音楽の始祖と言われる伝説上の人で、その名前の由来は二説ある。アカは地名(阿嘉?)で、インは犬で童名(ワラビナー)、コは接尾語の説。もう一つは美女チラーと赤毛の犬から生まれた説。(まさかひゃー)

美女チラーの子がアカインコで、幼い頃から聡明な子で、青年期に持ち前の美声と才能を発揮し、雨だれのトンテントンという音を聞いて三線を考案し、クバの葉の茎で棹を,幹で太鼓を作り、馬のしっぽを弦にして三線を作ったという。

アカインコの才能は,当時の首里王府にも認められ尚真王の下に仕える。王の命を受けて中国にも勉強にいく。琉球に帰ってからは国中を巡って歌三線を広めたそうな。

今日は「ゆかる日 まさる日 三線の日」

三線の日に三線を持って会場に行こうと
10年前から思っているが、諸般の都合で
まだ実現していない。

















(読谷村楚辺・トリイステイション向い奥)  

Posted by すながー at 09:55Comments(0)TrackBack(0)日常の気づき・発見

2008年03月02日

儀保駅祭り

きょう古都首里 儀保駅祭りに行ってきました。

このところあちこち飛び回っています。
それとなく全ておしごとのおつきあいです。
そもそも趣味もしごとも線が引けない身の上なのです。














NPO 首里観光協会代表の
金城英輝さんのあいさつ



 











いい天気に恵まれ予想よりも大勢の方が来られました。

このあと、慶佐次興和さんのガイドで
約2時間にわたり古都・首里巡りを体験しました。

面白かったです。

首里のすーじ道には歩いてみなければわからない思わぬ発見があり、
たいへん勉強になります。

なによりも健康にいいです。

詳細はこのサイトで近日アップします。

数年後に私がボランティアガイドをやっている姿が浮かびました。

いま50です。60までにはベテラン案内親方になるつもりです。

ただし、首里の場合、坂や石段が多いので、2時間余り息を切らせずに
歩き通せて、かつ説明ができるには普段(不断)の訓練が必要です。

我に不断の力あり 我に一途の誠あり (首里高の校歌より)

日日是徒歩
  

Posted by すながー at 21:10Comments(2)TrackBack(0)沖縄シマ紀行