› 黄金の林住期は50から… › 2008年04月2008年04月30日
ジョン万次郎と牧志朝忠
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球の持つ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。それでも衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内主な書店等で発売開始!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球の持つ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。それでも衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内主な書店等で発売開始!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
2008年04月29日
人のなきあとばかり悲しきはなし
徒然草 第三十段
人のなきあとばかり
人のなきあとばかり悲しきはなし。
中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたたし。日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりぢりに行きあかれぬ。
もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎(うと)しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。
骸(なきがら)は気(け)うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば)も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
思い出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪(まき)にくだかれ、古き墳は犂(す)かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。
卒都婆(そとば):死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板
<現代語訳…ただし主観も入っているので受験には不向き>
人の死ほど悲しいものはない。
中陰(四十九日)の間、不便な山寺に集まって狭い所で多くの人による法事の毎日。慌ただしくて日にちばかりがはやく過ぎ去り、あまり経験できないことだ。法事の最後の日はなんだか情ない。もう互いに語る言葉もなくなり、とりあえず荷物をまとめそれぞれ帰宅する(昔は四十九日までのある一定期間、親族は寺に籠って喪に服していたようだ)
帰宅して一人になってはじめて故人が思い出されて悲しくなるもの。なのに「今回の事は不吉だ。良くない事の前兆かもしれない」などと家人に語る。人の死に直面しながら何ということだろう、人の心は勝手だと思う。
何年たとうと少しも死んだ人を忘れることはない。が、去った人の記憶は日々薄れていくものとある人は語る。そんなこと言っても臨終の時を忘れることはできようか。なのに人はどうでもいい世間話をして自分をごまかしたりもする。
なきがらは人気のない山奥に埋められ、しかるべき日にでもならないと墓を詣でる人はない。墓はやがて苔むし枯れ葉に埋まり夜風と月だけが友となる。(当時は風葬)
思い出して偲ぶ人があるうちはまだいいが、彼らもほどなく消え失せる。死者を聞き知るだけの子孫までは先祖をありがたいとも思うだろうけど、その子孫すら死に絶えてしまったなら死者の名すら誰も知らなくなる。心ある人なら春の草が萌える様子にさえ感動するだろうが、誰のものとも知れない墓に涙する人はいない。嵐に堪える松も千年を待たずに枯れ薪にされる。古い塚はやがて犂(す)かれて田畑になる。形すら残せない人の死はなんとも悲しい。
………………………………………………………………………
(感想)
とにかく生きてることもたいへんだけど(介護保険料などを確実にとられるし税金も払わないといけないし)、死んで後でもなにかと遺族に迷惑もかけるから(お金もかかるし)たいへんだ。そして大半の人はまもなく記憶の彼方からも消えるものって兼好法師は言う。まさに諸行無常の世界。それでも人生って悲しいことも多いけど、不思議なものでなんか楽しいことも必ずあるのでやめられない。

329号線
人のなきあとばかり
人のなきあとばかり悲しきはなし。
中陰のほど、山里などに移ろひて、便あしく狭き所にあまたあひ居て、後のわざども営み合へる、心あわたたし。日数の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。果ての日は、いと情なう、たがひに言ふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりぢりに行きあかれぬ。
もとの住みかに帰りてぞ、さらに悲しき事は多かるべき。「しかしかのことは、あなかしこ、跡のため忌むなることぞ」など言へるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覚ゆれ。
年月経ても、つゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎(うと)しと言へることなれば、さはいへど、その際ばかりは覚えぬにや、よしなし事いひて、うちも笑ひぬ。
骸(なきがら)は気(け)うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく、卒都婆(そとば)も苔むし、木の葉降り埋みて、夕べの嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。
思い出でて偲ぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなく失せて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、果ては、嵐にむせびし松も千年を待たで薪(まき)にくだかれ、古き墳は犂(す)かれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。
卒都婆(そとば):死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板
<現代語訳…ただし主観も入っているので受験には不向き>
人の死ほど悲しいものはない。
中陰(四十九日)の間、不便な山寺に集まって狭い所で多くの人による法事の毎日。慌ただしくて日にちばかりがはやく過ぎ去り、あまり経験できないことだ。法事の最後の日はなんだか情ない。もう互いに語る言葉もなくなり、とりあえず荷物をまとめそれぞれ帰宅する(昔は四十九日までのある一定期間、親族は寺に籠って喪に服していたようだ)
帰宅して一人になってはじめて故人が思い出されて悲しくなるもの。なのに「今回の事は不吉だ。良くない事の前兆かもしれない」などと家人に語る。人の死に直面しながら何ということだろう、人の心は勝手だと思う。
何年たとうと少しも死んだ人を忘れることはない。が、去った人の記憶は日々薄れていくものとある人は語る。そんなこと言っても臨終の時を忘れることはできようか。なのに人はどうでもいい世間話をして自分をごまかしたりもする。
なきがらは人気のない山奥に埋められ、しかるべき日にでもならないと墓を詣でる人はない。墓はやがて苔むし枯れ葉に埋まり夜風と月だけが友となる。(当時は風葬)
思い出して偲ぶ人があるうちはまだいいが、彼らもほどなく消え失せる。死者を聞き知るだけの子孫までは先祖をありがたいとも思うだろうけど、その子孫すら死に絶えてしまったなら死者の名すら誰も知らなくなる。心ある人なら春の草が萌える様子にさえ感動するだろうが、誰のものとも知れない墓に涙する人はいない。嵐に堪える松も千年を待たずに枯れ薪にされる。古い塚はやがて犂(す)かれて田畑になる。形すら残せない人の死はなんとも悲しい。
………………………………………………………………………
(感想)
とにかく生きてることもたいへんだけど(介護保険料などを確実にとられるし税金も払わないといけないし)、死んで後でもなにかと遺族に迷惑もかけるから(お金もかかるし)たいへんだ。そして大半の人はまもなく記憶の彼方からも消えるものって兼好法師は言う。まさに諸行無常の世界。それでも人生って悲しいことも多いけど、不思議なものでなんか楽しいことも必ずあるのでやめられない。


329号線
2008年04月27日
安波のタナガーグムイ

南部から一転して国頭村安波のタナガーグムイ(数年前に行った)
かなり体力がないとロープを使って下りることはできないであろう
地球の鼓動が聞こえてきそう
地球の鼓動といえば平原綾香「Jupiter」
彼女、観音寺の薬師如来像に見えてしかたがない。
↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=L9UWh780V7Y&eurl=http://rainbow333.ti-da.net/
ぜひ今度、国頭郡金武町にある金峰山観音寺で歌ってほしいさあ。
100人くらいの少人数で…
2008年04月25日
受水走水
ジュスイソウスイ
うけみずはしりみず…などとけっして読んではいけません
小学校4年の遠足でこの辺りの山に入り込み一時行方不明になったクラスの男の子がいた。担任の若い照子先生は泣きながら井戸の中を探していた。先生方数名を残しバスは夕方近く学校に帰った。おれクラス委員長やってた。でも先にバスで帰った。車中ではみんな黙ったままだった。幸いに夜までに地元の人に発見されて助かった。名前は良安(りょうあん)といって幼なじみだった。一緒にビーチで遊んでいたら急に受水走水の方向に呼ばれるように消えた。怖かった。かれは当時「うきんじゅはいんじゅ」とまだ読めなかったようだ。翌日は学校に来て普通にみんなと遊んだ。本人はあまり憶えていないらしい。照子先生は真っ赤に日焼けしてやつれ果てていた。良安は「遠足で迷子になった男子」として学校じゅうの人気者?になった。40年前の話。
うきんじゅはいんじゅ と正しい琉球語で読むべき!
ここは沖縄の稲作の発祥地として伝えられる聖地。
「琉球国由来記』によれば昔、阿摩美久(アマミキヨ)がギライカナイ(海の彼方の理想国)から稲の種子を持ってきて玉城親田。高マシノシカマシノ田(?)に植えはじめた。又、伝説によると昔、稲穂をくわえた鶴が暴風雨にあって新原(みーばる)村の「カラウカハ」というところに落ちて死んだ。種子は発芽してアマミツのよって受水走水の水田(御穂田・みふーだ)に移植されたという。三坪の御穂田は神田(かみだー)として現在でも稲作儀礼の対象である。同名・神田川の元祖である。東京の神田川は人工用水路である。(南城市が立てた看板の文にかなり加筆)
2008年04月24日
ハブに注意


南風原(はえばる)ジャスコ南口歩道
まだまだ田舎…くらいがちょうどいい
暑かったり寒かったりこの頃。出てきてもいい季節
最近見かけないけど ハブ絶滅したのかな?
朝5時から夜11時までなにかしら
働いたり片付けたり出かけたりしゃべったりする私
昼休みに郵便金融電器食糧雑貨〜所用がいっきに済ませるジャスコはいい。
ハブさえで出遇わなければ。(ナイナイ)
2008年04月23日
仁和寺にある法師
徒然草 五十二段
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水(いわしみず)を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
(現代語訳) 仁和寺にいたある法師は、年寄りになるまで、石清水八幡宮に参詣したことがなかったので、これを残念に思い、ある日思い立って、ただひとり歩いて参拝に出かけた。ところが、石清水八幡宮のふもとの極楽寺や高良神社などを拝んで、これだけのものだと思い込み、そのまま帰ってきてしまったという。(山の上にある石清水には行かなかったんだ) そして、仲間に向かって、「長年思い続けてきたことをようやく果たしました。八幡宮はうわさに聞いたのよりまさって、まことに尊い御様子でした。それにしても、参拝の人たちがみな山へ登っていったのはどうしてなのでしょうかねえ。知りたかったけれども、神社へ参拝するのが本来の目的であると思い、山までは登ってみませんでした」と言った。 ちょっとしたことにも、案内役はあってほしいものである。
(感想)
五十二段は中学校の国語の教科書にも取り上げられた有名なお話。ただの「知ったかー(知ったかぶり)の坊主」もいう見方もあるが、参拝目的で「遊びで山登りはしなかった」というところは真面目な様子も伺える。道を歩いている人に聞けばいいのにと思うけど、エラい人ほどプライドが邪魔して人に尋ねないってことはある。
「知ったかー」は、たとえば中学時代、どこのクラスでも一人二人はいただろう。私がそうだった。でも必死に調べたし人の行動に疑問を感じたら取材して廻っていたと思う。「知ったかー」は」けっして悪いことばかりではない。知ってると言ってしまった手前、目標を高く上げて見えない努力を普通はするもの。それなりの準備や事前学習、最悪な状況まで想定して物事に当たれば結構楽しいものだ。たとえ道に迷って時間がかかってとしても意外な場所を覚えたり、新たな副産物の発見があったりする。肝心なことは事前準備や謙虚な取材能力であろう。
(話しは違うが)
4/22はアースデイ。那覇である大きな集会に参加したが、環境問題のリーダーたちのあまりの配慮のなさにがっかりした。渡された新聞資料の誤字の多さ(沖縄関係の固有名詞)、実行委員のほとんど偉いナイチャー(内地の方)のせいか、美しい女性司会者が紹介する地元の首長、地方議員の名前のほとんどがまともに読めてない、たとえば桃原議員をモモハラさんお願いします〜とか、アシトミ?ヤスフミ? トウメ、マ?議員?かぎやで風を「次は沖縄の風でふのおどりです?」、と紹介??ハ?、しかも演目の後半に「かじゃでふう」はないでしょう。出羽(んじふぁー・前奏)が大事なのに司会者が音楽テープ止めたので踊り手は驚いて一度引っ込んださあ。ほかにもいろいろあきれることばかり…。
参加費千円もぼったくりでは? チケットも半券も誰がいくら払ったか記録したようすもなし。渡されたのは小さな缶入りウォーターと団扇だけ。水ぐらいコップで飲むよ!と言いたい。狭い舞台は地方議員の自慢話と子供や地元婦人会の素人踊りに終始。
それぞれの首長や議員さんは自分の話が終わったら人の前から次々と足早に会場を立ち去るばかり。司会者や主催者は演壇の最中に打合せに集中してほとんど人の話を聞いてない。暑苦しいスーツや派手な化粧…ホントに環境問題に取り組んでいる人たちなのかな、と疑問が残る。八重山環境調査ツアーの報告も、ただ(公費?)でシマの海岸に遊びに出かけた身分の高い方々の自慢話のように聞こえた。アースデイ初日に私はとても気分悪くして帰ったので、恐れながら勝手に連動して書き留めた次第。悪しからず。これでいいのかアースデイ?
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水(いわしみず)を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
(現代語訳) 仁和寺にいたある法師は、年寄りになるまで、石清水八幡宮に参詣したことがなかったので、これを残念に思い、ある日思い立って、ただひとり歩いて参拝に出かけた。ところが、石清水八幡宮のふもとの極楽寺や高良神社などを拝んで、これだけのものだと思い込み、そのまま帰ってきてしまったという。(山の上にある石清水には行かなかったんだ) そして、仲間に向かって、「長年思い続けてきたことをようやく果たしました。八幡宮はうわさに聞いたのよりまさって、まことに尊い御様子でした。それにしても、参拝の人たちがみな山へ登っていったのはどうしてなのでしょうかねえ。知りたかったけれども、神社へ参拝するのが本来の目的であると思い、山までは登ってみませんでした」と言った。 ちょっとしたことにも、案内役はあってほしいものである。
(感想)
五十二段は中学校の国語の教科書にも取り上げられた有名なお話。ただの「知ったかー(知ったかぶり)の坊主」もいう見方もあるが、参拝目的で「遊びで山登りはしなかった」というところは真面目な様子も伺える。道を歩いている人に聞けばいいのにと思うけど、エラい人ほどプライドが邪魔して人に尋ねないってことはある。
「知ったかー」は、たとえば中学時代、どこのクラスでも一人二人はいただろう。私がそうだった。でも必死に調べたし人の行動に疑問を感じたら取材して廻っていたと思う。「知ったかー」は」けっして悪いことばかりではない。知ってると言ってしまった手前、目標を高く上げて見えない努力を普通はするもの。それなりの準備や事前学習、最悪な状況まで想定して物事に当たれば結構楽しいものだ。たとえ道に迷って時間がかかってとしても意外な場所を覚えたり、新たな副産物の発見があったりする。肝心なことは事前準備や謙虚な取材能力であろう。
(話しは違うが)
4/22はアースデイ。那覇である大きな集会に参加したが、環境問題のリーダーたちのあまりの配慮のなさにがっかりした。渡された新聞資料の誤字の多さ(沖縄関係の固有名詞)、実行委員のほとんど偉いナイチャー(内地の方)のせいか、美しい女性司会者が紹介する地元の首長、地方議員の名前のほとんどがまともに読めてない、たとえば桃原議員をモモハラさんお願いします〜とか、アシトミ?ヤスフミ? トウメ、マ?議員?かぎやで風を「次は沖縄の風でふのおどりです?」、と紹介??ハ?、しかも演目の後半に「かじゃでふう」はないでしょう。出羽(んじふぁー・前奏)が大事なのに司会者が音楽テープ止めたので踊り手は驚いて一度引っ込んださあ。ほかにもいろいろあきれることばかり…。
参加費千円もぼったくりでは? チケットも半券も誰がいくら払ったか記録したようすもなし。渡されたのは小さな缶入りウォーターと団扇だけ。水ぐらいコップで飲むよ!と言いたい。狭い舞台は地方議員の自慢話と子供や地元婦人会の素人踊りに終始。
それぞれの首長や議員さんは自分の話が終わったら人の前から次々と足早に会場を立ち去るばかり。司会者や主催者は演壇の最中に打合せに集中してほとんど人の話を聞いてない。暑苦しいスーツや派手な化粧…ホントに環境問題に取り組んでいる人たちなのかな、と疑問が残る。八重山環境調査ツアーの報告も、ただ(公費?)でシマの海岸に遊びに出かけた身分の高い方々の自慢話のように聞こえた。アースデイ初日に私はとても気分悪くして帰ったので、恐れながら勝手に連動して書き留めた次第。悪しからず。これでいいのかアースデイ?
2008年04月21日
久志観音
土曜日、仕事でさーっと東海岸を走り抜けました~
が、しかし、
どうしても立寄りたい場所があります。

久志観音堂
ちゃんと拝みました。
久志間切の最初の総地頭となった豊見城王子朝良と久志親方助豊が1688年、堂を建て観音石像を奉安したという。村じゅうの人が毎月18日に祈願した。間切全体で祭祀をおこなっていたが、明治の置県後は久志区が中心になって旧暦1月18日と9月18日に祭祀している。地元では観音堂を「ティラ」とよんでいる。石像の高さは約1m、古いため磨滅している。堂は赤瓦ぶき、チャーギ材の柱で、1973年に修復された。
日頃は無人の「ティラ」だが、朝夕に雨戸の開け閉めや清掃など管理されている方がいるようだ。
これ以上北部の自然を壊したり海を埋め立てないでほしいと観音様は願っていると思われてならない。先祖から受け継いだ宝物。

辺野古崎坂(ヒラ)ぬ 上り下りよ〜
が、しかし、
どうしても立寄りたい場所があります。

久志観音堂
ちゃんと拝みました。
久志間切の最初の総地頭となった豊見城王子朝良と久志親方助豊が1688年、堂を建て観音石像を奉安したという。村じゅうの人が毎月18日に祈願した。間切全体で祭祀をおこなっていたが、明治の置県後は久志区が中心になって旧暦1月18日と9月18日に祭祀している。地元では観音堂を「ティラ」とよんでいる。石像の高さは約1m、古いため磨滅している。堂は赤瓦ぶき、チャーギ材の柱で、1973年に修復された。
日頃は無人の「ティラ」だが、朝夕に雨戸の開け閉めや清掃など管理されている方がいるようだ。
これ以上北部の自然を壊したり海を埋め立てないでほしいと観音様は願っていると思われてならない。先祖から受け継いだ宝物。
辺野古崎坂(ヒラ)ぬ 上り下りよ〜
2008年04月19日
いにしえ
徒然草 第二段いにしへ
いにしへのひじりの御代の政をも忘れ、民の愁、国のそこなはるるをも知らず、万にきよらを尽くしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。
「衣冠より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ九条殿の逝誡にも侍る。順徳院の、禁中の事ども書かせた給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。
<現代語訳>
いにしえの時代の聖人が行った善政を忘れて、人心や国の行く末にも知らんふりし、全てに究極の美しさを求め国の予算を使い尽くすのが良いと思い、狭い場所に閉じこもっている施政者は考えが足りなく見える。
「着物に冠、馬や牛車にいたるまで、あるもので間に合わせよ。美しく贅沢な物を求めてはいけない」 と(昔のエラい)九条殿の書き残した子孫への家訓書にも書いてありますぞ。順徳院様が、宮中の事などを書かれた書物にも 「天皇の着物は、おろそかなぐらいがちょうど良い」と、書かれてございますゆえ。
<感想>
第二段で兼好法師は、人の上に立つ人間が贅沢ばかりして、本業の政(まつりごと)を忘れるようじゃ駄目だと言っています。贅沢は素敵だ、ということですね。大きな家に住んで、いい服着て、おいしい物を食べて、それでいて太らずに毎日を優雅に過ごせれば、それは最高だ。でもそれらのお金の元が国民の税金だとしたら、巷の民衆や高齢者までが生活に困り、重税にあえいでいるとしたらただ事じゃない。
『いにしへのひじりの御代(みよ)の政(まつりごと)をも忘れ、民の愁(うれひ)、国のそこなはるるをも知らず、万(よろず)にきよらを尽くしていみじと思ひ、所せきさましたる人』新聞に向かって音読している私です。ところで兼好にダメ出しされている人たちは具体的に誰のことでしょうか?厚労省や防衛省の一部役人?…ぼやく総理?国も地方も選挙のときは皆さんいいこと言うんだよなあ。

南無八幡大菩薩〜(安里八幡宮)
………………………………………………………………………………………………………………
泡瀬を語る会 4月20日(日)午後3時〜5時
〜小橋川共男さんと泡瀬の海・写真を語るつどい〜
南風原町文化センター(南風原町役場近く・小学校南側)
いにしへのひじりの御代の政をも忘れ、民の愁、国のそこなはるるをも知らず、万にきよらを尽くしていみじと思ひ、所せきさましたる人こそ、うたて、思ふところなく見ゆれ。
「衣冠より馬・車にいたるまで、あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」とぞ九条殿の逝誡にも侍る。順徳院の、禁中の事ども書かせた給へるにも、「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。
<現代語訳>
いにしえの時代の聖人が行った善政を忘れて、人心や国の行く末にも知らんふりし、全てに究極の美しさを求め国の予算を使い尽くすのが良いと思い、狭い場所に閉じこもっている施政者は考えが足りなく見える。
「着物に冠、馬や牛車にいたるまで、あるもので間に合わせよ。美しく贅沢な物を求めてはいけない」 と(昔のエラい)九条殿の書き残した子孫への家訓書にも書いてありますぞ。順徳院様が、宮中の事などを書かれた書物にも 「天皇の着物は、おろそかなぐらいがちょうど良い」と、書かれてございますゆえ。
<感想>
第二段で兼好法師は、人の上に立つ人間が贅沢ばかりして、本業の政(まつりごと)を忘れるようじゃ駄目だと言っています。贅沢は素敵だ、ということですね。大きな家に住んで、いい服着て、おいしい物を食べて、それでいて太らずに毎日を優雅に過ごせれば、それは最高だ。でもそれらのお金の元が国民の税金だとしたら、巷の民衆や高齢者までが生活に困り、重税にあえいでいるとしたらただ事じゃない。
『いにしへのひじりの御代(みよ)の政(まつりごと)をも忘れ、民の愁(うれひ)、国のそこなはるるをも知らず、万(よろず)にきよらを尽くしていみじと思ひ、所せきさましたる人』新聞に向かって音読している私です。ところで兼好にダメ出しされている人たちは具体的に誰のことでしょうか?厚労省や防衛省の一部役人?…ぼやく総理?国も地方も選挙のときは皆さんいいこと言うんだよなあ。
南無八幡大菩薩〜(安里八幡宮)
………………………………………………………………………………………………………………
泡瀬を語る会 4月20日(日)午後3時〜5時
〜小橋川共男さんと泡瀬の海・写真を語るつどい〜
南風原町文化センター(南風原町役場近く・小学校南側)
2008年04月17日
こんにちは泡瀬干潟
きょうの午後、ふとひかれるように南風原文化センターに立ち寄りました。
「こんにちは泡瀬干潟」
写真展があることは新聞で知ってはいましたが空時間で飛び込みました。


必見です。きれいです。海の上からではわかりません。干潟は生きています。宝です。
うまく表現できません。母の胎内のような人類のふるさとのような美しさがあります。
埋め立て計画がだいぶ前からあることは知っています。基地あるがゆえに内陸部が発展しずらいという悩みもあるでしょう。仕事が少ない県内業者や地元の利権が大きくからんでいることもあります。いつでも経済の問題がたちはだかります。かつて強権力によって占領され質草にされたのですから大きな声で文句もいいにくいところです。
ある情報筋からの話ですが、1950年代頃の米軍沖縄占領計画の中に「沖縄島じゅうの周辺海域を埋め立てて北部から中南部にかけて一大飛行場計画」が素案としてあったらしいです。にわかに信じがたい話ですが、当時、詩人・山之口獏さんに「浮沈母艦沖縄」と言わせたことと一致します。西海岸沿いの58だってもとは軍用道路1号線。中南部にかけて緊急飛行場の機能を有してたというのは周知の事実です。拡張可能な巨大航空母艦沖縄島はどこへ行くのでしょう?
さて「どうする泡瀬干潟」
まずは目でみて耳で聞いてみては。自分の足で現実をみては。
非現実的で引きこもり屋的な霊感はあやしすぎてあてにならんし。
小橋川共男写真展(入場無料)
とき:2008年4月11日〜20日(日)
午前10時〜午後6時
南風原文化センター(098-889-7399)
水曜休館
泡瀬を語る会 4月20日(日)午後3時〜5時
〜小橋川共男さんと泡瀬の海・写真を語るつどい〜
南風原文化センター(南風原役場近く・小学校南側)
千葉のOさん、16日に南風原にいらしてたんですね。
「こんにちは泡瀬干潟」
写真展があることは新聞で知ってはいましたが空時間で飛び込みました。


必見です。きれいです。海の上からではわかりません。干潟は生きています。宝です。
うまく表現できません。母の胎内のような人類のふるさとのような美しさがあります。
埋め立て計画がだいぶ前からあることは知っています。基地あるがゆえに内陸部が発展しずらいという悩みもあるでしょう。仕事が少ない県内業者や地元の利権が大きくからんでいることもあります。いつでも経済の問題がたちはだかります。かつて強権力によって占領され質草にされたのですから大きな声で文句もいいにくいところです。
ある情報筋からの話ですが、1950年代頃の米軍沖縄占領計画の中に「沖縄島じゅうの周辺海域を埋め立てて北部から中南部にかけて一大飛行場計画」が素案としてあったらしいです。にわかに信じがたい話ですが、当時、詩人・山之口獏さんに「浮沈母艦沖縄」と言わせたことと一致します。西海岸沿いの58だってもとは軍用道路1号線。中南部にかけて緊急飛行場の機能を有してたというのは周知の事実です。拡張可能な巨大航空母艦沖縄島はどこへ行くのでしょう?
さて「どうする泡瀬干潟」
まずは目でみて耳で聞いてみては。自分の足で現実をみては。
非現実的で引きこもり屋的な霊感はあやしすぎてあてにならんし。
小橋川共男写真展(入場無料)
とき:2008年4月11日〜20日(日)
午前10時〜午後6時
南風原文化センター(098-889-7399)
水曜休館
泡瀬を語る会 4月20日(日)午後3時〜5時
〜小橋川共男さんと泡瀬の海・写真を語るつどい〜
南風原文化センター(南風原役場近く・小学校南側)
千葉のOさん、16日に南風原にいらしてたんですね。
2008年04月17日
あだし野
第七段 あだし野
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
<現代語訳>
あだし野の露消える時なく、鳥部山(墓場)の煙立ち去ることがなく、住み果てる習いならば、いかにもののあわれもなかろうか。世は定めないからこそおもしろいものだ。
命あるものを見ると人間ほど長生きはいない。かげろうが朝生まれて夕べに死に、夏の蝉は春秋を知らないものだ。つくづくと一年を暮らすほどさえも、このうえなく忙しいものだ。飽きず、惜しいと思えば、千年を過すとも、一夜の夢の心地がする。住み果てぬ世に(年老いた)みにくき姿を持ち歩いて、何をしようというのか。命長ければ恥も多い。長くても四十足らずで死ぬほうがちょうどいい。
四十過ぎれば、姿かたちを恥じる心もなく、人前にワンカラワンカラしゃしゃり出て、夕べの陽に子孫を愛して、栄えゆく末を見るまでの命を見届ける、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあわれも知らなくなりゆくのは、あさましいことさ。
<感想>
兼好は、人は四十過ぎたらずーずーしく恥じる心も少なくなるから、いっそ死んだほうがいいと書いている。鎌倉時代に市場のセールで人を押しのけてまで商品を貪るオバサンやオジサンの姿を見てきっと嫌気がさしていたのでしょう。四十前にこの「七段」を書いて、その後も数十年間生き抜いて百段余りまで書き連ねた兼好法師本人こそ当時としては結構長生きしたと伝えられている。ですから四十歳すぎのあなた、そう気にせんでもいいでしょう。私は五十になってしもうたし、あと半世紀ほど生存する予定。確かにたいていの生き物は生殖能力・出産能力が減退すると静かに世を去るのが一般的である。人間だけがその後も長々と生かされるのはきっと知恵を持った生き物であり、子孫を作れなくても後輩や子孫のためになることがあり、けっこう世のため地球のために役立つことが多いからであろう。どうか皆さん、年金が続く限り、たとえ宙に浮いたとしても、たとえ足腰が立たなくなっても、百年(むむとぅし)過ぎても生きていてください。
目指せ!後期さらに延長高齢者!!

なぜかごっぱち
車の流れはたえずしてしかももとのカーにあらず
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を持ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。
<現代語訳>
あだし野の露消える時なく、鳥部山(墓場)の煙立ち去ることがなく、住み果てる習いならば、いかにもののあわれもなかろうか。世は定めないからこそおもしろいものだ。
命あるものを見ると人間ほど長生きはいない。かげろうが朝生まれて夕べに死に、夏の蝉は春秋を知らないものだ。つくづくと一年を暮らすほどさえも、このうえなく忙しいものだ。飽きず、惜しいと思えば、千年を過すとも、一夜の夢の心地がする。住み果てぬ世に(年老いた)みにくき姿を持ち歩いて、何をしようというのか。命長ければ恥も多い。長くても四十足らずで死ぬほうがちょうどいい。
四十過ぎれば、姿かたちを恥じる心もなく、人前にワンカラワンカラしゃしゃり出て、夕べの陽に子孫を愛して、栄えゆく末を見るまでの命を見届ける、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあわれも知らなくなりゆくのは、あさましいことさ。
<感想>
兼好は、人は四十過ぎたらずーずーしく恥じる心も少なくなるから、いっそ死んだほうがいいと書いている。鎌倉時代に市場のセールで人を押しのけてまで商品を貪るオバサンやオジサンの姿を見てきっと嫌気がさしていたのでしょう。四十前にこの「七段」を書いて、その後も数十年間生き抜いて百段余りまで書き連ねた兼好法師本人こそ当時としては結構長生きしたと伝えられている。ですから四十歳すぎのあなた、そう気にせんでもいいでしょう。私は五十になってしもうたし、あと半世紀ほど生存する予定。確かにたいていの生き物は生殖能力・出産能力が減退すると静かに世を去るのが一般的である。人間だけがその後も長々と生かされるのはきっと知恵を持った生き物であり、子孫を作れなくても後輩や子孫のためになることがあり、けっこう世のため地球のために役立つことが多いからであろう。どうか皆さん、年金が続く限り、たとえ宙に浮いたとしても、たとえ足腰が立たなくなっても、百年(むむとぅし)過ぎても生きていてください。
目指せ!後期さらに延長高齢者!!
なぜかごっぱち
車の流れはたえずしてしかももとのカーにあらず
2008年04月15日
をりふしの移り変わり
徒然草十九段「折節(をりふし)の移り変るこそ」 吉田兼好
折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、よろずに、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひ捨てがたきこと多し。
(後略) 兼好法師・作
(現代語訳)
をりふしの移り変わりこそ、ものごとにしみじみとした趣があるものだ。「もののあわれは秋こそ勝る」と人ごとに言うけれど、それもそうなのだが、今ひときわ心も浮き立つものは、春のけしきであろう。鳥の声などもことのほかに春めいて、のどやかな日ざしに、垣根の草萌え出るころより、やや春ふかく、かすみわたって、花もようよう色めきだす時期でこそある、折しも、雨・風うち続いて、心あわただしく散り過ぎる、青葉になりゆくまで、すべてに、ただ、心をのみだ悩ます。花橘(たちばな)こそ名を背負う、なお、梅の匂いにだ、昔の事も、立ち返り恋しく思い出される。山吹の清らかさに、藤のおぼつかない様してる、すべて、思い捨てがたきこと多い。
感想)
捨てなければ得られないものがある

東京 神田川
折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、よろずに、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひ捨てがたきこと多し。
(後略) 兼好法師・作
(現代語訳)
をりふしの移り変わりこそ、ものごとにしみじみとした趣があるものだ。「もののあわれは秋こそ勝る」と人ごとに言うけれど、それもそうなのだが、今ひときわ心も浮き立つものは、春のけしきであろう。鳥の声などもことのほかに春めいて、のどやかな日ざしに、垣根の草萌え出るころより、やや春ふかく、かすみわたって、花もようよう色めきだす時期でこそある、折しも、雨・風うち続いて、心あわただしく散り過ぎる、青葉になりゆくまで、すべてに、ただ、心をのみだ悩ます。花橘(たちばな)こそ名を背負う、なお、梅の匂いにだ、昔の事も、立ち返り恋しく思い出される。山吹の清らかさに、藤のおぼつかない様してる、すべて、思い捨てがたきこと多い。
感想)
捨てなければ得られないものがある

東京 神田川
2008年04月14日
ヤギフン350円

蒸し暑くなった昼下がり
ヤギフン
売ります 350円
(真和志高校近く)
※真和志小学校と中学校と高校は
全然ちがう場所にあるからややこしい
私は
これから高速に乗ってでかけるところ
ヤギフンがどんなに上等でも
たとえタダでも今はいりません…
季節はうりずんの候
植物が芽吹いてやっかいな虫たちも
飛び回る時期になった
一気に夏へと突き走ろうと思う
タグ :うりずん
2008年04月11日
同じ心ならん人と
『徒然草』十二段より「同じ心ならん人と〜」
作:兼好法師(吉田兼好)
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
自分と、同じ心を持っている人と、しみじみと話し合ったり、楽しいと思っていることや、世の中のはかないことも、つつみかくしなく語り合うことができるのならば、それはそれで幸せなことなのだけど、そのような人はめったになく、少しも違ってはいけないと相手に迎合して、にやけながら向かい合うだけの関係だったら、なんだかひとりぼっちな気持ちがするだろうね。
お互いに意見を言いたいと思ったなら「そうなんだ」と聞いてみる価値もあるけれど、それとは少し違った意見のある人の場合は「オレはそうじゃないと思う」などと反抗的な態度をしてみせ「そういう考え方でいるから、そういった結果になるわけさー!」ってじっくり話し合うことができたら、それはそれで退屈な気持ちも解放されるだろう。
実際には、自分の言いたいことや愚痴を少しも受け止めてくれそうにない人と話したとしたら、あたりさわりない話をしていればいいけど、魂まで交流できる友達と比べたら、宇宙の彼方にいる人と話しているようで、切なくなってしまうさあね。(よけいむずかしい現代語訳:すながー/主観あり)
……………………………………………………………
まめやかな心の友=魂まで交流できる友達=ソウルメイト?
人によっては会わないほうがいい場合もある。
(…むかしと大きく異なる初恋の人?やメル友、昔の文通仲間…)
写真(おまけです)

伊祖神社(浦添市)コーラー会社の近くにある
土日、宜野座辺でなにかの修行してます〜
名護の研修所で宿泊予定
日曜以降の新聞で明らかに…なる
作:兼好法師(吉田兼好)
同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、たゞひとりある心地やせん。
たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。
自分と、同じ心を持っている人と、しみじみと話し合ったり、楽しいと思っていることや、世の中のはかないことも、つつみかくしなく語り合うことができるのならば、それはそれで幸せなことなのだけど、そのような人はめったになく、少しも違ってはいけないと相手に迎合して、にやけながら向かい合うだけの関係だったら、なんだかひとりぼっちな気持ちがするだろうね。
お互いに意見を言いたいと思ったなら「そうなんだ」と聞いてみる価値もあるけれど、それとは少し違った意見のある人の場合は「オレはそうじゃないと思う」などと反抗的な態度をしてみせ「そういう考え方でいるから、そういった結果になるわけさー!」ってじっくり話し合うことができたら、それはそれで退屈な気持ちも解放されるだろう。
実際には、自分の言いたいことや愚痴を少しも受け止めてくれそうにない人と話したとしたら、あたりさわりない話をしていればいいけど、魂まで交流できる友達と比べたら、宇宙の彼方にいる人と話しているようで、切なくなってしまうさあね。(よけいむずかしい現代語訳:すながー/主観あり)
……………………………………………………………
まめやかな心の友=魂まで交流できる友達=ソウルメイト?
人によっては会わないほうがいい場合もある。
(…むかしと大きく異なる初恋の人?やメル友、昔の文通仲間…)
写真(おまけです)
伊祖神社(浦添市)コーラー会社の近くにある
土日、宜野座辺でなにかの修行してます〜

名護の研修所で宿泊予定
日曜以降の新聞で明らかに…なる
2008年04月10日
浦添グスク


自宅屋上から見える浦添グスク北側斜面。(ケータイで撮影)
新たに復元された「ようどれ」が右。
左端、墓団地の上に為朝岩とも呼ばれる頭突き出た岩・離瀬(ハナレジー)が見える。
足場が悪いので今は入れないかもしれないが、為朝岩の位置から東海岸が一望できる。
冬至の日の朝は、久高島から太陽が昇るようになっているという。
沖縄の地形やグスクの位置は神様によってうまく設計されているなと感服する。
六十三年前の今頃は日米両軍の地上での戦いが行われていたところ。
嘉数高台を突破され、前田高地、浦添城趾に陣をしいた日本軍は、
圧倒的な火器、戦車、砲弾を有する米軍に激しく抵抗したがまもなく一掃され南部に撤退する。
米軍上陸地点から摩文仁まで戦跡巡りをするツアーに参画し、勉強してたのは二十五年位前。
4月から6月にかけてたえず沖縄戦の憂鬱が頭をよぎる。
うりずんの候、家庭訪問の候、いろいろもの思ふ季節
2008年04月08日
友とするにわろき者
徒然草第117段
(原文)
友とするにわろき者、七つあり。
一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身つよき人。四つには酒をこのむ人。五つには武(たけ)く勇める兵(つはもの)。六つにはそらごと(虚言)する人。七つには慾ふかき人。
善き友三つあり。一つにはものくるゝ友。二つにはくすし(醫師)。三つには智惠ある友。
(訳)
友とするのに良くない者、七つあり。
一つには身分が高く重々しい人。二つには若き人。三つには病なく身体の強健な人。四つには酒を好む人。五つには勇猛な兵士。六つには虚言をする人。七つには慾ふかき人。
善き友三つあり。一つには物をくれる友。二つには医者。三つには智惠ある友。
………………………………………………………………
(感想)
兼好法師は友とするのに良くない者として「病なく身つよき人」をあげている。確かに健康な肉体の持ち主は、ともすると優しさ、思いやりに欠けるところがあるかもしれない。私もそうだった。自分が病気になるまでは。但したんなる不摂生で年中体調悪くしてる方は生活習慣の見直しを。
優しさ、思いやりのない人は良き友にはならない。その流れとしては、身分高く重々しい人、勇猛な兵士もそうかもしれない。四つめの酒、少しはいいと思う。
善き友で「物くれる友」は、相手をみて判断したい。中にはあとのお返しが負担になる場合も。医者、智惠ある友はもちろんOK。
きょう旧暦3月3日 浜下り 男はとくに海に行かない日
(原文)
友とするにわろき者、七つあり。
一つには高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには病なく身つよき人。四つには酒をこのむ人。五つには武(たけ)く勇める兵(つはもの)。六つにはそらごと(虚言)する人。七つには慾ふかき人。
善き友三つあり。一つにはものくるゝ友。二つにはくすし(醫師)。三つには智惠ある友。
(訳)
友とするのに良くない者、七つあり。
一つには身分が高く重々しい人。二つには若き人。三つには病なく身体の強健な人。四つには酒を好む人。五つには勇猛な兵士。六つには虚言をする人。七つには慾ふかき人。
善き友三つあり。一つには物をくれる友。二つには医者。三つには智惠ある友。
………………………………………………………………
(感想)
兼好法師は友とするのに良くない者として「病なく身つよき人」をあげている。確かに健康な肉体の持ち主は、ともすると優しさ、思いやりに欠けるところがあるかもしれない。私もそうだった。自分が病気になるまでは。但したんなる不摂生で年中体調悪くしてる方は生活習慣の見直しを。
優しさ、思いやりのない人は良き友にはならない。その流れとしては、身分高く重々しい人、勇猛な兵士もそうかもしれない。四つめの酒、少しはいいと思う。
善き友で「物くれる友」は、相手をみて判断したい。中にはあとのお返しが負担になる場合も。医者、智惠ある友はもちろんOK。
きょう旧暦3月3日 浜下り 男はとくに海に行かない日
2008年04月06日
君の便りは南風
君の便りは南風
昨日の土曜日は所用が続き、金武〜石川へ。帰りにコザによる予定がちょっとあって祭りにもいけずそのまま事務所籠り。今朝、日曜の朝は南部で早朝野球試合をこなしそのあと仕事場へ。野球では1打席目でヒットが出て守りもミスなくてよかった。このところ3試合連続安打で調子は上向き。来週は宜野座で大きな大会。
仕事場は一両日にチェックしなければならない原稿や書類が山積みなだが、いそがしくてホクホクというわけでもない。ただ高校野球にかまけてサボっていたので業務がたまってるだけである。夕方からお世話になっている先生の関係で読谷の告別式場へ向かう予定。帰ったら家の仕事をこなしまた仕事場へ…寸時も休む暇はない。
3年くらい風邪もひいてない。ひくことさえ忘れたようだ。それでもなにかムズムズしてきたかなと感じたら運動公園を走って汗かいて卵酒飲んでんで寝る。野球でケガ以外でここ数年体調不良もない。それでもあんまり無理して10年ほど前に脳出血で倒れた経験もある。投薬養生はしているつもり。日日是決戦である。息抜きは酒、これは薬である。栄養価の高い野菜ものの肴を食す。いい音楽を聴いてすぐ寝る。45分もたない。無の境地、なにも考えてないから。
昨日、埼玉と鹿児島の友人からそれぞれ「沖尚おめでとう、あなたも頑張れ」メールが届く、「やーが、がんばれ!」である。ちなみに首里高校は県大会で3位に浮上した。地元の同級生や野球の仲間から元気な電話。体育会系は高校球児のようにいくつになってもさわやかである。乱暴な言葉使いも愛情表現が下手なだけである。
金武のある方から「からし高菜漬け」などおいしい酒肴の贈り物。ピリッと効いてて最高の美味である。「君の便りは南風」のように私を元気させてくれる。毎朝午前4時起きは新聞屋さんか豆腐屋さんの生活リズム。午前7時までにその日のたいていのことは済ませるのは1年間新聞配達をやってた学生時代からの習慣。健康の秘訣は不健康なことをしない考えない。心身共にいいことだけをやる。私流いまだけかもしれない健康の秘訣。
昨日の土曜日は所用が続き、金武〜石川へ。帰りにコザによる予定がちょっとあって祭りにもいけずそのまま事務所籠り。今朝、日曜の朝は南部で早朝野球試合をこなしそのあと仕事場へ。野球では1打席目でヒットが出て守りもミスなくてよかった。このところ3試合連続安打で調子は上向き。来週は宜野座で大きな大会。
仕事場は一両日にチェックしなければならない原稿や書類が山積みなだが、いそがしくてホクホクというわけでもない。ただ高校野球にかまけてサボっていたので業務がたまってるだけである。夕方からお世話になっている先生の関係で読谷の告別式場へ向かう予定。帰ったら家の仕事をこなしまた仕事場へ…寸時も休む暇はない。
3年くらい風邪もひいてない。ひくことさえ忘れたようだ。それでもなにかムズムズしてきたかなと感じたら運動公園を走って汗かいて卵酒飲んでんで寝る。野球でケガ以外でここ数年体調不良もない。それでもあんまり無理して10年ほど前に脳出血で倒れた経験もある。投薬養生はしているつもり。日日是決戦である。息抜きは酒、これは薬である。栄養価の高い野菜ものの肴を食す。いい音楽を聴いてすぐ寝る。45分もたない。無の境地、なにも考えてないから。
昨日、埼玉と鹿児島の友人からそれぞれ「沖尚おめでとう、あなたも頑張れ」メールが届く、「やーが、がんばれ!」である。ちなみに首里高校は県大会で3位に浮上した。地元の同級生や野球の仲間から元気な電話。体育会系は高校球児のようにいくつになってもさわやかである。乱暴な言葉使いも愛情表現が下手なだけである。
金武のある方から「からし高菜漬け」などおいしい酒肴の贈り物。ピリッと効いてて最高の美味である。「君の便りは南風」のように私を元気させてくれる。毎朝午前4時起きは新聞屋さんか豆腐屋さんの生活リズム。午前7時までにその日のたいていのことは済ませるのは1年間新聞配達をやってた学生時代からの習慣。健康の秘訣は不健康なことをしない考えない。心身共にいいことだけをやる。私流いまだけかもしれない健康の秘訣。
2008年04月04日
符合しすぎる数字
符合しすぎる数字
4月4日は明治12年に沖縄県が誕生した日 一方では一時的に藩となった琉球(國)の滅亡の日でもある
琉球処分ともいう 県は1945年米軍の沖縄占領で消滅した
1945年+27=1972年(5月15日)
(戦後米軍統治下からの脱却 再び沖縄県へ)
27は、9回×3 たまたま何かの定数?
1972年+27=1999年4月4日(沖縄尚学初優勝!)
行進テーマ曲 キロロ 「長い間」
♪長い間、待たせてごめんね♪
(27年×2回ほど待たされた)
1958年+50=2008年
(沖縄勢初の甲子園出場から半世紀)
きょう さっき
2008年 4月4日(沖縄尚学2度目の優勝!)
RBCiラジオで上原さんが話してた内容に
独自の数字を加えた
今年の4月4日は清明の入り
ご先祖も大喜びの お墓でパーティー♪
つらい話になるが4月1日から4月4日頃まで…
1609年の薩摩の琉球侵攻→首里城制圧
1945年の米軍上陸→中北部の軍事占領
符合しすぎる数字
来年から4月4日は特別な日になる?
朝からそわそわ なにげなく 7:0のスコアが目に浮かぶ。
今朝のブログに予想を書いた。結果 9:0の中当たり〜!
符合しすぎる数字
自分で書いてて怖くなって身震いしてきた

ウートートー、勝たせてありがとう!
4月4日は明治12年に沖縄県が誕生した日 一方では一時的に藩となった琉球(國)の滅亡の日でもある
琉球処分ともいう 県は1945年米軍の沖縄占領で消滅した
1945年+27=1972年(5月15日)
(戦後米軍統治下からの脱却 再び沖縄県へ)
27は、9回×3 たまたま何かの定数?
1972年+27=1999年4月4日(沖縄尚学初優勝!)
行進テーマ曲 キロロ 「長い間」
♪長い間、待たせてごめんね♪
(27年×2回ほど待たされた)
1958年+50=2008年
(沖縄勢初の甲子園出場から半世紀)
きょう さっき
2008年 4月4日(沖縄尚学2度目の優勝!)
RBCiラジオで上原さんが話してた内容に
独自の数字を加えた
今年の4月4日は清明の入り
ご先祖も大喜びの お墓でパーティー♪
つらい話になるが4月1日から4月4日頃まで…
1609年の薩摩の琉球侵攻→首里城制圧
1945年の米軍上陸→中北部の軍事占領
符合しすぎる数字
来年から4月4日は特別な日になる?
朝からそわそわ なにげなく 7:0のスコアが目に浮かぶ。
今朝のブログに予想を書いた。結果 9:0の中当たり〜!
符合しすぎる数字
自分で書いてて怖くなって身震いしてきた

ウートートー、勝たせてありがとう!
2008年04月04日
沖尚、おめでとう!
沖尚、おめでとう! 感無量です。

首里高校が沖縄から初の甲子園。持ち帰ろうとした土は、植物検疫法で海中に捨てられた。
(1958年8月)「沖縄県発行『沖縄50年の歩み』より」
パスポート持参、鹿児島経由、船と列車の長旅…あこがれのニッポンの甲子園…
同情されて出させてもらって大敗して帰ることが多かった。
あれから50年…
まさか優勝するとは。
次は沖尚他のチームで夏の制覇を!!

首里高校が沖縄から初の甲子園。持ち帰ろうとした土は、植物検疫法で海中に捨てられた。
(1958年8月)「沖縄県発行『沖縄50年の歩み』より」
パスポート持参、鹿児島経由、船と列車の長旅…あこがれのニッポンの甲子園…
同情されて出させてもらって大敗して帰ることが多かった。
あれから50年…
まさか優勝するとは。
次は沖尚他のチームで夏の制覇を!!
2008年04月04日
高校野球ファン
今、ほとんどの県民が沖尚の快進撃に盛り上がっている最中、私的には北谷野球場で行われている春季高校野球大会、準決勝で浦添商業と対戦する首里高校も気になっていました。結果は残念ながら完敗。決勝進出は果たせなかったようです。明日5日には三位決定戦に臨みます。首里は野球部員八十人以上の大所帯です。新学期からは百名以上になるでしょう。毎年いい選手が次々と入部しているようです。県内外との練習試合、遠征試合も数多くこなし、いまでは中部商業、沖尚とも互角に近いところまで力がついたと聞いています。沖尚を含めて県で3〜4位の実力がついたことはたいへんな収穫です。今春季大会準々決勝で、昨年甲子園で活躍した選手が残る興南高校を下したことは圧巻でした。今日4月4日は甲子園球場センバツ決勝戦の沖尚高、明日は北谷野球場三位決定戦の首里高です。ひょっとすると首里高は夏の県予選で沖尚・東浜くんを打ち崩して甲子園に行くかもしれません。野球に絶対はありません。東浜くんも昨年夏の興南戦準決勝で最終回にとつぜん足の痙攣を起こし、マウンドを下りたあと、結果延長で負け涙を飲みました。あの悔しさが今のセンバツの活躍につながっています。東北楽天イーグルスだって大方の予想に反して現在パリーグで首位です。ヤクルトも快進撃を続けています。今年の野球はおもしろいです。ここ40年近く甲子園から遠のいている首里もおおいに期待できます。なにがあるかわからないです。ところで今日の沖尚は7:0の大差で勝つと思います。優勝祝賀会のあと、明日からまた夏の予選にむけて激戦を勝ち抜くための試練が待っています。チバリよー首里と沖尚!
2008年04月02日
沖尚勝った〜!
沖尚勝ちよったなあ〜 よかった〜



30年数前は「とみしろ、また勝ちよったな〜」
が見知らぬ人どうしでも挨拶代わりだった。
国際通りの三越向かいあたりに街頭テレビがあってビデオ再生なる新型機械が導入して
終わったはずの試合を一日中くりかえし放送していたのを見てタマシヌガシタことがある。
私事かつて浪人時代だったと思うが、運転学校(沖縄では「ジレン」という。内地ではジレンという単語はない)の仮免教習中に指導官と高校野球の実況に夢中になって、1号線に車をずっと止めて練習にならなかった思い出もある。
1970年代まで国際通りでは99%の人が沖縄の高校生の野球に心一つになって熱狂した。
(現在、ひめゆり通りから西側は「ヤマト自治区」みたいだからどうだろう?)

あたらしいパソコン富士通FMV、テレビが見れるというふれこみはあったが操作がわからなかった。今日はじめてワンセグチューナーとかいうアンテナを使って受信に成功した。人間、必要に迫れればなんとかなるものである。時代は急速に進んでいることを体感!
ちなみに那覇の旧真和志・首里〜南風原は先住民中心自治区です。
浦添は富裕民地区でコザ十字路はまだ15世紀です。もちろん例外もあり。
※上原くんの先発を予想してました(マイビジネスブログ参照)。だけどストライク入らんからこっちが緊張したさあ。 結果的に勝ててよかったけど!
上原くん期待してるぞ。明日は最初からビシッといって完封するはずよ〜。




30年数前は「とみしろ、また勝ちよったな〜」
が見知らぬ人どうしでも挨拶代わりだった。
国際通りの三越向かいあたりに街頭テレビがあってビデオ再生なる新型機械が導入して
終わったはずの試合を一日中くりかえし放送していたのを見てタマシヌガシタことがある。
私事かつて浪人時代だったと思うが、運転学校(沖縄では「ジレン」という。内地ではジレンという単語はない)の仮免教習中に指導官と高校野球の実況に夢中になって、1号線に車をずっと止めて練習にならなかった思い出もある。
1970年代まで国際通りでは99%の人が沖縄の高校生の野球に心一つになって熱狂した。
(現在、ひめゆり通りから西側は「ヤマト自治区」みたいだからどうだろう?)
あたらしいパソコン富士通FMV、テレビが見れるというふれこみはあったが操作がわからなかった。今日はじめてワンセグチューナーとかいうアンテナを使って受信に成功した。人間、必要に迫れればなんとかなるものである。時代は急速に進んでいることを体感!
ちなみに那覇の旧真和志・首里〜南風原は先住民中心自治区です。
浦添は富裕民地区でコザ十字路はまだ15世紀です。もちろん例外もあり。
※上原くんの先発を予想してました(マイビジネスブログ参照)。だけどストライク入らんからこっちが緊張したさあ。 結果的に勝ててよかったけど!
上原くん期待してるぞ。明日は最初からビシッといって完封するはずよ〜。


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