› 黄金の林住期は50から… › 2008年05月2008年05月30日
新たなステージへ

昨日と一変して
かぎやで風(かじゃでふう)
今日(きう)の誇(ふく)らしゃや
なをにじゃたてる
蕾(ちぶ)で居(う)る花ぬ
露ちゃぐとぅ ヨウンナ
ハリ蕾で居る花ぬ 蕾で居る花ぬ
露ちゃぐとぅ ヨウンナ
(この歌詞だけで3分18秒)
きょうのうれしさは何にたとえようか
あたかもつぼんでいた花が露をうけたかのようだ
いいことありました。長い冬のあと1シーズン遅れの春がきそうです。やや大きな仕事をいただきました。ありがとうございます。うんじゅが情どぅ頼まりる。頼(たん)でぃがー頼でぃ。ニフェーデービル(二度も拝むでござります)。野球でもそうだが仕事上でも安易にガッツポーズはしないのが私の流儀。敗れた相手に失礼だから。横綱の品格ならぬビジネスの品格だってある。倒した相手にダメを押したらいかんぜ青さん。ヒットが出たら塁上でイチロー選手のように静かに次の塁、次のヒットを狙う準備にかかりたい。とはいえ、今日のうれしさは隠しきれない。それとは別に偶然にも旧い先輩からもお声がかかった。きょうは久しぶりに那覇で飲むことに。明日も仕事だけどなんとかなる。これまでもなんとかしてきたし、きっとこれからもなんとかなるはずだ。それでも「なんくるないさ」はふだん地味な努力を続けている人が使う言葉だと思っている。みなさん良い週末を!それなりに泣きなさい笑いなさい(どっちよ!)
タグ :かぎやで風
2008年05月29日
もう春です(古いものはすてましょう)
やまない雨はない 台風もいつか去りゆく
夜明け前が一番暗い じっとこらえるときもある
冬の時代ばかりはない、いつか春が来る でも大きな地震はいやだね
もう春です(古いものはすてましょう) 斉藤哲夫 1973
むかし、落ち込み悩み苦しんだときに癒してくれた歌
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=I4cSbYOroBs&feature=related
これでもか!といわんばかりの
『悩み多き者たちへ』 ODA&斎藤哲夫 〜名曲です。歌う哲学者…
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=EqT06txTg5U&feature=related
夜明け前が一番暗い じっとこらえるときもある
冬の時代ばかりはない、いつか春が来る でも大きな地震はいやだね
もう春です(古いものはすてましょう) 斉藤哲夫 1973
むかし、落ち込み悩み苦しんだときに癒してくれた歌
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=I4cSbYOroBs&feature=related
これでもか!といわんばかりの
『悩み多き者たちへ』 ODA&斎藤哲夫 〜名曲です。歌う哲学者…
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=EqT06txTg5U&feature=related
タグ :斎藤哲夫
2008年05月29日
護佐丸展

『護佐丸展』…門中の方はもちろんそうじゃない方も揃って出かけましょう。
場所は名護以南の沖縄本島のほぼ中央、「北中そば屋」の上から入ったところです。
売りたい本は『護佐丸伝』です
2008年05月28日
人の話を真剣に聴く
夜のクラブに行ってきました〜♪♪
浦添市商工会のある「結の街」で開催された
レキオス倶楽部ビジネスネットワーク5月のセミナーへ行ってきたのです。
今回講師の知念常光氏(株式会社ジャパンクレス会長)は講演テーマは
「成長し続ける企業の条件」
講演の中で知念氏は流行る飲食店・スナックの事例を挙げわかりやすく
人の話を真剣に聴くことの重要性を強調していました。
人(お客様)の話を聞くのは5段階あるそうです。
1)音を聞く 2)言葉を聞く 3)内容を聞く 4)意味を聞く…
そして、5)相手の気持ちを考えながら心で聴く…
5段階まで出来たらすばらしいですね。
相手の容姿に左右されず先入観など入れずに素直に聴くという難しさはあるかもしれませんが、努力すればできることですよね。さらに真剣に人の話を聴くことはその人の感性が高まり、そして人間力の向上につながるとも話していました。また真剣に人の話を聴くということは「ストロークを与える」とも言い相手にとって「心の栄養」になるそうです。
むかしトリプルアイの加納先生から念仏のようによく聞かされた話です(特にそれができない私のために?)、いまだになかなかできてないものですなあ。つい最近でも友人の話を半分だけ聞いて小さなけんかしてたような気がします。それでも常に私は日々繰り返し訓練しているところです。人の話を真剣に聴くことを。

人間だけでなく自然や神の声もしっかり聴きましょうね♪
浦添市商工会のある「結の街」で開催された
レキオス倶楽部ビジネスネットワーク5月のセミナーへ行ってきたのです。
今回講師の知念常光氏(株式会社ジャパンクレス会長)は講演テーマは
「成長し続ける企業の条件」
講演の中で知念氏は流行る飲食店・スナックの事例を挙げわかりやすく
人の話を真剣に聴くことの重要性を強調していました。
人(お客様)の話を聞くのは5段階あるそうです。
1)音を聞く 2)言葉を聞く 3)内容を聞く 4)意味を聞く…
そして、5)相手の気持ちを考えながら心で聴く…
5段階まで出来たらすばらしいですね。
相手の容姿に左右されず先入観など入れずに素直に聴くという難しさはあるかもしれませんが、努力すればできることですよね。さらに真剣に人の話を聴くことはその人の感性が高まり、そして人間力の向上につながるとも話していました。また真剣に人の話を聴くということは「ストロークを与える」とも言い相手にとって「心の栄養」になるそうです。
むかしトリプルアイの加納先生から念仏のようによく聞かされた話です(特にそれができない私のために?)、いまだになかなかできてないものですなあ。つい最近でも友人の話を半分だけ聞いて小さなけんかしてたような気がします。それでも常に私は日々繰り返し訓練しているところです。人の話を真剣に聴くことを。

人間だけでなく自然や神の声もしっかり聴きましょうね♪
2008年05月27日
吉祥寺
吉祥寺の近く練馬区上石神井に住んでいたのは1984~86年ころ。
当時はまだ武蔵野の面影を残す畑や林があり、ふるさと那覇より田舎だった。
人の紹介を経て古い木造平屋の半分だが小さな庭もある家に住むことになった。
ゴーヤーとひょうたんを栽培していが、ゴーヤーはうまく成らなかった。
吉祥寺へは自転車で10分ほど…青春の街。焼酎をよく飲んでいた。
多くのアートな人達との出会いがあった。

昭和30年頃の吉祥寺北口「ハーモニカ横丁」
(私が住んでいたのは昭和60年頃です)
歌う哲学者・斎藤哲夫さん
1973年当時LPレコード「バイバイグッドバイサラバイ」に入っていた「吉祥寺」。
レコードの溝がすり切れるほど聴いていた。(CD〜MD世代の子には分かるまい)
高校生の頃から吉祥寺は未だ見ぬあこがれの街だった。
井の頭公園…神田川(神田上水)の源。まさに井の頭であることがわかった、
吉祥寺。思い続けていれば近くに住むこともあるもんだと思った。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=WxBvOpayGAY&feature=related
当時はまだ武蔵野の面影を残す畑や林があり、ふるさと那覇より田舎だった。
人の紹介を経て古い木造平屋の半分だが小さな庭もある家に住むことになった。
ゴーヤーとひょうたんを栽培していが、ゴーヤーはうまく成らなかった。
吉祥寺へは自転車で10分ほど…青春の街。焼酎をよく飲んでいた。
多くのアートな人達との出会いがあった。

昭和30年頃の吉祥寺北口「ハーモニカ横丁」
(私が住んでいたのは昭和60年頃です)
歌う哲学者・斎藤哲夫さん
1973年当時LPレコード「バイバイグッドバイサラバイ」に入っていた「吉祥寺」。
レコードの溝がすり切れるほど聴いていた。(CD〜MD世代の子には分かるまい)
高校生の頃から吉祥寺は未だ見ぬあこがれの街だった。
井の頭公園…神田川(神田上水)の源。まさに井の頭であることがわかった、
吉祥寺。思い続けていれば近くに住むこともあるもんだと思った。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=WxBvOpayGAY&feature=related
2008年05月24日
夢追い人
字遊人・西口賢治先生の『夢言葉』より
〜根性で全部読めたらあなたの夢はかないます〜
(声に出して読むことをお勧めします)
有名人よりも夢のある人になろう。花・夢・舞・心、(Come in my heart)。夢に生き人生に生きる。念ずれば夢ひらく。学問の目的は夢実現。夢一途の生き方に道が開ける。夢は怠け者を嫌う。夢と愛する人、それがあれば何でもできる。夢は勇気を持って明言せよ。夢の輪が人の和を創る。美しい夢・美しい心・美しい愛。夢を明記せよ、そして、心に刻め。徳を積めば夢に力がつく。天に月・地に花・人に夢。Japanese Dream は他者の利益にある。無欲の夢を持って頑張ろう。夢と友達になれば、人生は豊かになる。1年365日、夢を求め続けよう。夢一心 ためらわず、ひるまず、ただ一心に。夢の源はあなたの心の中にある。素直になれば夢は拡がる。夢と無の一致が人生の悟り。夢のある人に人が集まる。世のため人のためが夢への道。誰かと一緒に一生懸命になれば、夢は必ず実現する。夢は念力を育てる。愛と平和、夢実現が人類の夢、求道者に夢が来る。何でもいいから夢を持つ、そこからが第一歩。最強の夢は共通の夢。夢は創造の素。失敗も成功も夢の栄養素。夢に遊び悠々自適に。いつも夢を求める、いつも夢を人に与える、いつも夢を究めていく。前向きの心に夢が咲く。夢のステップアップが人生の妙味。家族の夢を皆で持とう。旅の中に夢を探求する。大物は夢を与える。不死鳥の如く、夢を飛翔させよう。天・地・人は夢ある人に味方する。元気な心は夢を欲する。夢があれば人は生きられる。夢道無限 夢への道は無限である。直向さ・謙虚さ・素直さがあれば夢は実現される。天使は正義の者に夢を運ぶ。愛・因・運・縁・恩は夢の素。夢を求める仲間づくりに情熱を注ごう。夢の魂を育てよう。夢を持つことが基本的人権。私には夢がある、私の心には愛がある。夢・心・愛 無心の愛が人間を作る。夢に感謝・万物に感謝・生命に感謝。生き方の創意工夫が夢を育てる。志高き人は夢を分かち合う。無理・無茶・無駄が大きな夢を達成させる。夢の配分、他者の利益7割・自分の利益3割。無我夢中・無我で夢に熱中しよう。人生毎日、夢舞台。無限の夢こそ人類の歴史。夢は自分自身を創る。夢は与えられるものではなく求めていくもの。小さな夢が大きな夢を生む。夢をイメージできなければ達成もできない。その気・やる気・本気が夢へのステップ。夢は自分の心の中にあるもの。夢が一人歩きしているのではなく、自分が夢中になっているということ。人生観も価値観も夢によって変わってくる。夢のような話が生き方次第で本当になる。あなたの成長が親の夢。愛と勇気と希望が夢の三要素。夢と挫折は青春の友。夢は行動のエネルギー。夢は語るものではなく実現するもの。変化成長の中に夢も拡がる。一枚の絵の中にも夢を見出すことができる。現在・過去・未来、夢は明るく楽しく元気を創る。自分のための夢は儚いもの、人のための夢こそ本当の夢。夢・心に描けば必ずできる。夢の大きさが自分の器の大きさ。打ちひしがれた時、夢が私を支えてくれる。夢の中に無限の可能性が秘められている。夢の達成は自己成長の証。夢の無い人生は目標の無い人生。夢が消えたのはやる気が消えたということ。星の数ほど夢はある。見出すことが自分の使命。夢は心のビタミン剤。夢は命のお守り。心構えが夢を育てる栄養素。天を翔ける、そんな夢を育てたい。人生は一瞬の夢の如し、だから、今を大切に。夢の継続が自分の人間力を養う。奇跡は起きない、夢に打ち込めば機積が起きる。夢はお金では決して買えない。夢のまた夢、他力を戴けばそれが可能になってくる。優情の中に愛と夢が育つ。善を重ね、徳を積めば他人が夢実現の力を貸してくれる。言葉は心を、伝え愛を語るもの・夢は愛と心を育てる。夢一途・愛一途・人生一途。夢を掴む力を日々の学びの中で体得する。愛燦燦、夢凛凛。夢と一緒に私が育つ。一緒懸命になれば夢は叶う。愛と平和が人類の夢。夢の続きを伝えよう。人生は私の夢舞台。毎日新鮮、夢創り。無心・夢欲は天が味方する。海の青さに空のあお 夢の色は自分で描く。小さな幸せ小さな夢 すべてはゼロから始まる。心燃が夢の燃料。お蔭さま・ありがとうの心に夢は味方する。集人力が夢の力。夢を言葉に夢を唱える。心棒の真ん中に夢を置く。グチ・文句・言い訳は夢の敵。自分のためだけの夢は儚く終わる。夢一途 道一途 真っ直ぐに歩む。直向さ素直さ謙虚さが夢を実現させる。夢中になったら私にツキと夢がくる。機を積めば夢が可能に成って来る。夢の分かち合いが、次の夢を生む。心賢さ・真剣さが夢には必要。明るく楽しく元気よく 夢とつきあう。夢は人生の羅針盤。大きな人の和の中で夢は育つ。大夢 is money。人生迎夢 人生は夢を迎えに行く所。馬鹿にしかできない夢がある 馬鹿だからできる夢がある。私の心は夢工場。可能性 夢限大。夢中になったら無心になれる。人生夢舞台の主人公は私です。心はいつも夢中人。夢を口にすれば夢先案内の女神が現れる。できる、できる、を唱えれば必ず夢は実現する。努力は夢の心友。想いもしない夢は叶いもしない。一歩一歩 夢は近づくか遠ざかるかだ!分ち愛・支え愛・守り愛 愛と夢はいつも一緒。夢力(ゆめぢから)これが叶力。
おつかれさまでした。これであなたの夢は50年以内に必ずかなうことになりました。おめでとうございます。さらなる飛躍を期待します。
〜根性で全部読めたらあなたの夢はかないます〜
(声に出して読むことをお勧めします)
有名人よりも夢のある人になろう。花・夢・舞・心、(Come in my heart)。夢に生き人生に生きる。念ずれば夢ひらく。学問の目的は夢実現。夢一途の生き方に道が開ける。夢は怠け者を嫌う。夢と愛する人、それがあれば何でもできる。夢は勇気を持って明言せよ。夢の輪が人の和を創る。美しい夢・美しい心・美しい愛。夢を明記せよ、そして、心に刻め。徳を積めば夢に力がつく。天に月・地に花・人に夢。Japanese Dream は他者の利益にある。無欲の夢を持って頑張ろう。夢と友達になれば、人生は豊かになる。1年365日、夢を求め続けよう。夢一心 ためらわず、ひるまず、ただ一心に。夢の源はあなたの心の中にある。素直になれば夢は拡がる。夢と無の一致が人生の悟り。夢のある人に人が集まる。世のため人のためが夢への道。誰かと一緒に一生懸命になれば、夢は必ず実現する。夢は念力を育てる。愛と平和、夢実現が人類の夢、求道者に夢が来る。何でもいいから夢を持つ、そこからが第一歩。最強の夢は共通の夢。夢は創造の素。失敗も成功も夢の栄養素。夢に遊び悠々自適に。いつも夢を求める、いつも夢を人に与える、いつも夢を究めていく。前向きの心に夢が咲く。夢のステップアップが人生の妙味。家族の夢を皆で持とう。旅の中に夢を探求する。大物は夢を与える。不死鳥の如く、夢を飛翔させよう。天・地・人は夢ある人に味方する。元気な心は夢を欲する。夢があれば人は生きられる。夢道無限 夢への道は無限である。直向さ・謙虚さ・素直さがあれば夢は実現される。天使は正義の者に夢を運ぶ。愛・因・運・縁・恩は夢の素。夢を求める仲間づくりに情熱を注ごう。夢の魂を育てよう。夢を持つことが基本的人権。私には夢がある、私の心には愛がある。夢・心・愛 無心の愛が人間を作る。夢に感謝・万物に感謝・生命に感謝。生き方の創意工夫が夢を育てる。志高き人は夢を分かち合う。無理・無茶・無駄が大きな夢を達成させる。夢の配分、他者の利益7割・自分の利益3割。無我夢中・無我で夢に熱中しよう。人生毎日、夢舞台。無限の夢こそ人類の歴史。夢は自分自身を創る。夢は与えられるものではなく求めていくもの。小さな夢が大きな夢を生む。夢をイメージできなければ達成もできない。その気・やる気・本気が夢へのステップ。夢は自分の心の中にあるもの。夢が一人歩きしているのではなく、自分が夢中になっているということ。人生観も価値観も夢によって変わってくる。夢のような話が生き方次第で本当になる。あなたの成長が親の夢。愛と勇気と希望が夢の三要素。夢と挫折は青春の友。夢は行動のエネルギー。夢は語るものではなく実現するもの。変化成長の中に夢も拡がる。一枚の絵の中にも夢を見出すことができる。現在・過去・未来、夢は明るく楽しく元気を創る。自分のための夢は儚いもの、人のための夢こそ本当の夢。夢・心に描けば必ずできる。夢の大きさが自分の器の大きさ。打ちひしがれた時、夢が私を支えてくれる。夢の中に無限の可能性が秘められている。夢の達成は自己成長の証。夢の無い人生は目標の無い人生。夢が消えたのはやる気が消えたということ。星の数ほど夢はある。見出すことが自分の使命。夢は心のビタミン剤。夢は命のお守り。心構えが夢を育てる栄養素。天を翔ける、そんな夢を育てたい。人生は一瞬の夢の如し、だから、今を大切に。夢の継続が自分の人間力を養う。奇跡は起きない、夢に打ち込めば機積が起きる。夢はお金では決して買えない。夢のまた夢、他力を戴けばそれが可能になってくる。優情の中に愛と夢が育つ。善を重ね、徳を積めば他人が夢実現の力を貸してくれる。言葉は心を、伝え愛を語るもの・夢は愛と心を育てる。夢一途・愛一途・人生一途。夢を掴む力を日々の学びの中で体得する。愛燦燦、夢凛凛。夢と一緒に私が育つ。一緒懸命になれば夢は叶う。愛と平和が人類の夢。夢の続きを伝えよう。人生は私の夢舞台。毎日新鮮、夢創り。無心・夢欲は天が味方する。海の青さに空のあお 夢の色は自分で描く。小さな幸せ小さな夢 すべてはゼロから始まる。心燃が夢の燃料。お蔭さま・ありがとうの心に夢は味方する。集人力が夢の力。夢を言葉に夢を唱える。心棒の真ん中に夢を置く。グチ・文句・言い訳は夢の敵。自分のためだけの夢は儚く終わる。夢一途 道一途 真っ直ぐに歩む。直向さ素直さ謙虚さが夢を実現させる。夢中になったら私にツキと夢がくる。機を積めば夢が可能に成って来る。夢の分かち合いが、次の夢を生む。心賢さ・真剣さが夢には必要。明るく楽しく元気よく 夢とつきあう。夢は人生の羅針盤。大きな人の和の中で夢は育つ。大夢 is money。人生迎夢 人生は夢を迎えに行く所。馬鹿にしかできない夢がある 馬鹿だからできる夢がある。私の心は夢工場。可能性 夢限大。夢中になったら無心になれる。人生夢舞台の主人公は私です。心はいつも夢中人。夢を口にすれば夢先案内の女神が現れる。できる、できる、を唱えれば必ず夢は実現する。努力は夢の心友。想いもしない夢は叶いもしない。一歩一歩 夢は近づくか遠ざかるかだ!分ち愛・支え愛・守り愛 愛と夢はいつも一緒。夢力(ゆめぢから)これが叶力。
おつかれさまでした。これであなたの夢は50年以内に必ずかなうことになりました。おめでとうございます。さらなる飛躍を期待します。
2008年05月23日
伊祖城跡から

私のウォーキングコースに伊祖城跡がある。梅雨入り前の先日久しぶりに汗をかくために歩いた。浦添市伊祖集落の東北丘陵にある伊祖城跡は、英祖王(1260年即位)の父・恵祖世主の居城で、英祖はここで生まれ育ったと伝えられる。眼下に牧港港をひかえ、周辺には地味ゆたかな畑が広がっていたという。現在は住宅地が密集している。伊祖城を謡った「おもろ(沖縄の古謡集)」に、「伊祖の石城、伊祖の金城、いよやに襲て(いよいよ支配して)ちよわれ(ましませ)」「伊祖の戦もい(戦さ上手な)月の数遊び立ち(祝宴して)十百度(いつまでも)若ティダ(英祖王)栄せ」と賞賛された。昭和10年、城門のあったところに鳥居を、また北側の本丸跡に鉄筋コンクリートの神殿を建てて伊祖神社と称し、城内の拝所を合祀した。現在は伊祖城跡公園の中にある。訪れる人は地元の自治会の管理者以外あまりいない。拝殿の裏から続く頂上の物見台に上がるけもの道もあまり知られていない。いま書きながらしみじみと思うのは、私を含めて周りの関係者が経済的によくなってほしいということ。少しでも心にゆとりがなければ日々の暮らしに追われてやつれて、せっかくの沖縄の自然や文化遺産を愛でるゆとりもなくなってしまう。実際に沖縄の宝物を堪能しているのは本土からの方がほとんどのような気がする。なおこのテキスト(原稿)はわざと文字を詰めて控えめに読みにくくしてあります。
2008年05月22日
白銀堂由来記
「意地ぬ出らぁ手引き 手ぬ出らぁ意地引き」の白銀堂由来記

薩摩の武士児玉が鹿児島に着き、真夜中に屋敷に戻ってみるとなんと妻が男と寝ている。怒って刀を抜いたが糸満の漁師美殿のことば「意地(怒り)が出たら手を引け、手が出たら意地を引け」を思い出し刀をおさめた。灯りをつけてよく見ると、妻の側にいるのは男の着物を着て寝ている自分の母親であった。留守中はなにかと用心していたという訳である。児玉はもう少しで自分の母と妻を斬り殺すところだったと胸をなでおろした。そして糸満漁師美殿を命の恩人としてほめ讃えたくさんの褒美を送ったとか。めでたしめでたし。しかし、もし…自分の母親ではなく父親だったら児玉は人間不信に陥ったろう(苦笑)。糸満漁師や白銀堂もどうなったことやら…(怖)〜いい妻や家族でよかったね、という話。

薩摩の武士児玉が鹿児島に着き、真夜中に屋敷に戻ってみるとなんと妻が男と寝ている。怒って刀を抜いたが糸満の漁師美殿のことば「意地(怒り)が出たら手を引け、手が出たら意地を引け」を思い出し刀をおさめた。灯りをつけてよく見ると、妻の側にいるのは男の着物を着て寝ている自分の母親であった。留守中はなにかと用心していたという訳である。児玉はもう少しで自分の母と妻を斬り殺すところだったと胸をなでおろした。そして糸満漁師美殿を命の恩人としてほめ讃えたくさんの褒美を送ったとか。めでたしめでたし。しかし、もし…自分の母親ではなく父親だったら児玉は人間不信に陥ったろう(苦笑)。糸満漁師や白銀堂もどうなったことやら…(怖)〜いい妻や家族でよかったね、という話。
2008年05月21日
栽弘義を偲ぶ会
20日夜かりゆしアーバンリゾート・ナハで「故・栽弘義を偲ぶ会」が催されました。昨年5月に肺炎で亡くなった沖縄水産高校前監督は甲子園通算29勝をあげた復帰後もっとも有名な人物かもしれません。私は野球友人のおつきあい並びに取材も兼ねて参加させていただきました。開宴前から続々県内外の野球関係者が詰めかけ、栽弘義監督の遺影の献杯を捧げる頃には500名を越え、最終的には550名の大宴会になりました。

(左から)小禄高校野球部 高良雅秀監督/豊見城高校野球部 照屋巧巳監督/
沖縄水産高校野球部 宜保政則監督//みなさん現役監督です。

550名を超える野球人らで熱気に包まれた

沖縄水産高校野球部OBの池田卓のライブ
さすがの卓もこわ〜い先輩たちの前で緊張気味

会場の後ろに展示された栽弘義氏の写真や遺品

(左から)小禄高校野球部 高良雅秀監督/豊見城高校野球部 照屋巧巳監督/
沖縄水産高校野球部 宜保政則監督//みなさん現役監督です。

550名を超える野球人らで熱気に包まれた

沖縄水産高校野球部OBの池田卓のライブ
さすがの卓もこわ〜い先輩たちの前で緊張気味

会場の後ろに展示された栽弘義氏の写真や遺品
2008年05月19日
伊集(いじゅ)の白い花
伊集の木の花や あんきよらさ咲きゆり
わぬも伊集のごと真白咲かな
(伊集の花はあんなに綺麗に咲いてとても見事だ、私もあの伊集の花のように真白に咲きたいものだ)琉歌:辺野喜節

安波の真はんたや 肝すかれところ
宇久の松下や ねなしところ
(安波の真はんたは、心すがすがしく眺望のいいところだ。その奥にある松の下は若い男女が愛し合う格好の場である…)琉歌:安波節

昨日、梅雨入り前のヤンバル路を辺戸〜奥〜安波と出かけた。
伊集(いじゅ)の白い花がところどころに咲いていた。いい空気を吸った。
頭の中は仕事半分プライベート半分、しばしば境界線が見えないことも…
若いときから勉強と遊び、仕事と趣味の区別がハッキリなかったようだ。
公私混同は悪い意味でとらわれることもあるが、たとえばイチロー選手、
リフレッシュから睡眠休養、昼食のカレー、移動時間…日々の鍛錬、身体のケア…
すべてヒットを打つための事前準備のようなものだそうだ。
自分はとてもそこまでいかない。比べるのも恐縮する。
だけど、朝起きて目や耳から入るものすべて取材であり、
しごとのネタ探しと活力養成であることはたしかだ。
わぬも伊集のごと真白咲かな
(伊集の花はあんなに綺麗に咲いてとても見事だ、私もあの伊集の花のように真白に咲きたいものだ)琉歌:辺野喜節

安波の真はんたや 肝すかれところ
宇久の松下や ねなしところ
(安波の真はんたは、心すがすがしく眺望のいいところだ。その奥にある松の下は若い男女が愛し合う格好の場である…)琉歌:安波節

昨日、梅雨入り前のヤンバル路を辺戸〜奥〜安波と出かけた。
伊集(いじゅ)の白い花がところどころに咲いていた。いい空気を吸った。
頭の中は仕事半分プライベート半分、しばしば境界線が見えないことも…
若いときから勉強と遊び、仕事と趣味の区別がハッキリなかったようだ。
公私混同は悪い意味でとらわれることもあるが、たとえばイチロー選手、
リフレッシュから睡眠休養、昼食のカレー、移動時間…日々の鍛錬、身体のケア…
すべてヒットを打つための事前準備のようなものだそうだ。
自分はとてもそこまでいかない。比べるのも恐縮する。
だけど、朝起きて目や耳から入るものすべて取材であり、
しごとのネタ探しと活力養成であることはたしかだ。
2008年05月19日
言い訳ばかりの半生に反省!
言い訳ばかりの半生に反省!
「言い訳を一切しない人が、
人生をどんどん切り開く!!」
そうです!
「もし、あなたの口から言い訳が出たなら
あなたは、それを本気で取り組んでいないのである!!」
ですって!
人生はどんどん切り開かれるならば、
何事も真剣に本気で取り組もう!
これまで言い訳ばかりの半生に反省!
P(プラン/PLAN)、D(実行/DO)、C(評価/CHECK)、A(改善/ACT)
P(プラン/PLAN)、D(実行/DO)、C(評価/CHECK)、A(改善/ACT)…
プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、きょう一日念仏のように唱えてみよう!アホにならない程度に。
「言い訳を一切しない人が、
人生をどんどん切り開く!!」
そうです!
「もし、あなたの口から言い訳が出たなら
あなたは、それを本気で取り組んでいないのである!!」
ですって!
人生はどんどん切り開かれるならば、
何事も真剣に本気で取り組もう!
これまで言い訳ばかりの半生に反省!
P(プラン/PLAN)、D(実行/DO)、C(評価/CHECK)、A(改善/ACT)
P(プラン/PLAN)、D(実行/DO)、C(評価/CHECK)、A(改善/ACT)…
プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、プランドゥチェックアクトゥ、きょう一日念仏のように唱えてみよう!アホにならない程度に。
2008年05月18日
青春〜パイプライン
青 春
青春とは
人生のある期間だけでなく
心の持ち方をいう
年を重ねただけで
人は老いない
理想を失うとき
初めて老いる
サムエル・ウルマン「青春」より
〜最近は給油する度に「老いるショック!」〜いちおう(笑)

先日、週末介護の道すがら久しぶりにパイプラインを通った。
浦添伊祖から牧港〜大謝名へ抜ける大きなアップダウンはおもしろい。ジェットコースターのようなスリルの中に解放感があり、今日もドキドキしながら「遊園地よりは安全なコースター」を密かに愉しんだ。もちろん交通量の少ない時に。
むかし(30年ほど前)は、道路のあちこちのど真ん中に、バルブボックスという2m前後のコンクリート製構造物が立っていて、よくそこにブレーキが間に合わず車が突っ込むという悲惨な事故も起きていたようだ。いまそんな構造物はない。現在の車中心社会であったらたいへんだ。
「パイプライン」というと、普通の日本人は石油を運ぶための長い管を想像するだろう。または50代以上では、ベンチャーズの「エレキ・ギター」演奏を連想するだろう。ボーカルもいないのに大ヒットしていた。
パイプラインは那覇軍港から、普天間基地、KADENA AIR BASE等へ油を輸送するために、戦後まもなく米軍が敷設した原油管の上にできた道。
1号線(現国道58号)が緊急時の飛行場ならば、パイプラインは文字どおり、燃料輸送の長い管である。沖縄島全体が不沈空母艦であり、飛行場であり補給施設だったと思えば妙に納得する。
私たちにとってパイプラインとは、原油も運んだかもしれないが、人も車もバスも馬車も通る生活道であった。今でも通勤通学で渋滞する地元民の交通の要所である。
復帰36年、浦添ほど変わった地域はないのではと思う。30年前の風景写真と比べても急速に発展変貌したことがわかる。村から一気に10万都市へ。沖縄県内市町村の中で平均年齢がいま最も高く納税率等も上位である。パイプラインの変貌がうらそえの歴史を物語っている。
昨年から五十代に突入した同期生は実に大半が浦添市民である。昨夜は浦添でミニクラス会、二次会は遅くまで弾けたそうな。私は次の予定もあり一次会で十分堪能できた。パイラインには淡い初恋の思い出もある。同期会はときとして心拍が激しくなる「動悸会」となる (^^;。
今朝もいい天気〜気持ちはヤンバル国頭・58の奥…
青春とは
人生のある期間だけでなく
心の持ち方をいう
年を重ねただけで
人は老いない
理想を失うとき
初めて老いる
サムエル・ウルマン「青春」より
〜最近は給油する度に「老いるショック!」〜いちおう(笑)

先日、週末介護の道すがら久しぶりにパイプラインを通った。
浦添伊祖から牧港〜大謝名へ抜ける大きなアップダウンはおもしろい。ジェットコースターのようなスリルの中に解放感があり、今日もドキドキしながら「遊園地よりは安全なコースター」を密かに愉しんだ。もちろん交通量の少ない時に。
むかし(30年ほど前)は、道路のあちこちのど真ん中に、バルブボックスという2m前後のコンクリート製構造物が立っていて、よくそこにブレーキが間に合わず車が突っ込むという悲惨な事故も起きていたようだ。いまそんな構造物はない。現在の車中心社会であったらたいへんだ。
「パイプライン」というと、普通の日本人は石油を運ぶための長い管を想像するだろう。または50代以上では、ベンチャーズの「エレキ・ギター」演奏を連想するだろう。ボーカルもいないのに大ヒットしていた。
パイプラインは那覇軍港から、普天間基地、KADENA AIR BASE等へ油を輸送するために、戦後まもなく米軍が敷設した原油管の上にできた道。
1号線(現国道58号)が緊急時の飛行場ならば、パイプラインは文字どおり、燃料輸送の長い管である。沖縄島全体が不沈空母艦であり、飛行場であり補給施設だったと思えば妙に納得する。
私たちにとってパイプラインとは、原油も運んだかもしれないが、人も車もバスも馬車も通る生活道であった。今でも通勤通学で渋滞する地元民の交通の要所である。
復帰36年、浦添ほど変わった地域はないのではと思う。30年前の風景写真と比べても急速に発展変貌したことがわかる。村から一気に10万都市へ。沖縄県内市町村の中で平均年齢がいま最も高く納税率等も上位である。パイプラインの変貌がうらそえの歴史を物語っている。
昨年から五十代に突入した同期生は実に大半が浦添市民である。昨夜は浦添でミニクラス会、二次会は遅くまで弾けたそうな。私は次の予定もあり一次会で十分堪能できた。パイラインには淡い初恋の思い出もある。同期会はときとして心拍が激しくなる「動悸会」となる (^^;。
今朝もいい天気〜気持ちはヤンバル国頭・58の奥…
2008年05月17日
立ち読みしたい2)
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の米兵相手のバーの女マリーと沖縄青年の物語
〜冒頭部分より〜
「まもなく那覇空港へ到着の予定です」というアナウンスの声も正照の耳には入らなかった。飛行機が沖縄の北部上空にさしかかったとき、乗客らの間に軽いざわめきが起こった。
座席から身を乗りだし窓に顔を寄せる客や席を立つ人がざわざわ動きだした。気の早い客は身支度をはじめた。正照もちょっと窓に顔を寄せたがすぐ座席に頭を戻し目を閉じた。
あれから何年ぶりであろうか、またそのことが頭を掠めた。羽田を発った時から幾度も指を折り数えたことである。
二十四、五年ぶり、ふとそう思うと大きな溜息が漏れた。
ますます気が重く心が塞がっていた。
具志川市には八十を過ぎていつポックリ逝くかもしれない両親と兄弟それに親戚知人も沢山いた。が彼らとは顔を合わせたくなかった。家を出たまま二十年余にもなる。その間両親や兄弟に一銭の仕送りもしてなかった。それどころか十七、八年前にハガキを二、三枚だしただけである。
その俺がひょっこり現れれば面喰らってしまうであろう。両親はともかく兄弟には不安で迷惑でしかない筈だ。またまったく忘れ去っていた人間が突然すがたを現せば親戚知人は驚き勝手な憶測をして悪い噂を広めるに違いない。その思いが頭の中に渦巻いて正照は息苦しくなっていた。
人目を避けてこっそり用事を済ませたい。
生きて故郷の土は踏めないと思いながらマリーの死を知って心が揺らぎ今度の帰郷となったのである。
正照もすでに五十歳、若いとはいえ老人の仲間に一歩つっこんでいた。今では綾瀬駅近くの六畳一間の木造アパートに息をひそめて暮らしていた。この辺は開発がすすみ次々マンションが建っていたが正照のアパート周辺だけは周囲と不調和な存在になっていた。
陽当たりが悪く土は湿って黒く何かのすえた臭いが漂っていた。五年前移ってきた当時はまだよかった。いつの頃か大家が手を加えなくなりアパートはさびれだした。
一人暮らしというのはとかく不摂生なものである。それのたたりか、それとも「歯、目、魔羅」の時節到来なのか四十四の時、急に歯が痛みだした。一週間程さんざん苦しめられた末、奥歯がポロポロ抜け落ちた。それからというのは体がガタガタになって俄に故障が多くなった。足の痛みが治ると肩や腕に故障が出るという具合で仕事を休む日が多くなった。そうなると家賃のことが不安になる。上野公園や神田あたりの露天宿泊者の姿が目にちらつき不安になってきた。それで引っ越したのがこの安アパートだった。
ここに移ってからは心細さが先にたち酒場やパチンコ屋にも足が向かなくなった。天涯孤独の心境で仕事にも慎重になった。病気すなわち死という観念に取り憑かれていた。生きていても仕様のない人間だが死ぬまでの時間が恐いのだ。そのため収入よりは楽を取りガードマンになった。何事にも慎重になり過ぎると身も心もちぢこまって暗い影がさす。
正照は仕事帰りに仲間と一杯飲るのを避けコソコソと焼酎の二合瓶とチェインストアで二、三品の菜を買って帰った。四〇ワットのうすぼんやりした裸電球の下でテレビを見ながらウーロン割りをチビチビ舐めた。
長い間の一人暮らしのためもあろうが、この頃妙に独り言を呟くのが目立ってきた。二合瓶が底をつく頃になると「ウオッ」とか「ワッ」とかいきなり獣のような叫び声をあげたりする。すると物音一つない隣部屋で人の動く気配がして「人をおどかすんじゃないよ、バカ」と仕切壁の隙間に片目をあてて老婆が怒鳴った。
隣は一人暮らしの老婆がいた。だいぶ齢をとっていたが耄碌もせず暮らしていた。役所の人以外は訪ねる人もいなかった。夏でも戸を閉め切っていてめったに顔を合わせたことがなかった。このアパートの住人は一人暮らしだけであった。
正照は老婆に怒鳴られてコソコソ寝床に入った。
パチンコや遊びごとから遠ざかるとやたら郷里のことを思いだすようになった。テレビに沖縄が映し出されると夢中になる。番組の中で民謡や舞踊があるとうっとりさせられた。若い頃は郷土芸能を小馬鹿にして見向きもしなかったものだ。家には三味線もあったが一度も手に取ったことがなかった。この齢で民謡一つ唄えないのもそのためだ。それでも郷土の民謡ほど心打つものはない。民謡は生まれながらにその土地の人間の血に染まるものなのか、正照はやはり俺は沖縄人だと思うようになった。
高円寺に「花笠」という居酒屋がある。この店は泡盛と沖縄料理が看板で二年前に知った。ガードマン仲間に泡盛好きがいて教えてくれた。彼は泡盛の銘柄を集めるのが趣味でその店に通っていた。この店は度々沖縄の民謡の大家を招いているということであった。
いじけて消極的になっている正照もこの話には心が動いた。そして知らず知らず「花笠」への期待が胸の中で膨らんでいきぜひ行きたいと思うようになった。
土曜日はいつになく表情が明るく張り切っていた。仕事が終わると急いで帰り久しぶりの外出着で高円寺に出掛けた。
店は駅の近くですぐに分かった。意外と大きく三、四十人は入れそうである。早い時間で客はまだ二、三名だった。店内を見廻すとすっかり忘れていた料理の名が並んでいる。
ゴーヤーチャンプル、耳皮刺身、沖縄そば、はてはサーターアンダギー(砂糖天ぷら)まで献立がぐるり壁に貼ってあった。
画面の大きなビデオには、石垣で囲まれた赤瓦の屋根、ブーゲンビレアの真紅の花の咲いている向こうに透明な南国の海の風景が映し出されて民謡が流れていた。
なかなか感じのいい店だった。ひと渡り店内を見廻したあとカウンターに腰掛けた。坐り心地も悪くなかった。通いなれた店のような安らぎがあった。
マスターは三十前であろう。沖縄訛りまるだしで感じのいい男だった。同郷人のなつかしさから正照は二十年ぶりに方言で話した。
聞けばこの店は十数年前からの営業だという。こういう店が東京には沢山あるとも言った。だが正照は一軒も知らなかった。それも仕方のないことでつい四、五年前までは同郷人を避けていたのだ。
ウーロン割りを飲みながらとりとめもない話をマスターと交わした。それが大変楽しく心がはずんだ。次第に饒舌になり忙しいマスターの迷惑など気にも止めず機関銃のようにしゃべりまくった。久しぶりに気持よく酔っ払いアパートに帰った。
高円寺を知ってから仕事仲間が訝しむほどの変わりようだった。とにかく明るい。仲間づき合いもするようになったが土曜日だけは「花笠」に行くため急いで帰る。
土曜日の度に顔を出すので何時の間にか顔馴染みになり冗談を言う間柄になった。
正照が「花笠」に通いだしてからかれこれ七カ月が過ぎていた。
何時ものように指定席のカウンターに腰掛けウーロン割りを飲んでいた。七時半頃で客の少ない時である。
マスターはカウンターの端のレジを前に伝票を整理していた。そこへ四十過ぎのセールスマン風の男が来た。男はマスターと向かい合って坐りしきりに話し込んでいた。
………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。短編ですが衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内大型書店で発売中、好評になるはずです!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
携帯090−4981−8723
戦後沖縄の米兵相手のバーの女マリーと沖縄青年の物語
〜冒頭部分より〜
「まもなく那覇空港へ到着の予定です」というアナウンスの声も正照の耳には入らなかった。飛行機が沖縄の北部上空にさしかかったとき、乗客らの間に軽いざわめきが起こった。
座席から身を乗りだし窓に顔を寄せる客や席を立つ人がざわざわ動きだした。気の早い客は身支度をはじめた。正照もちょっと窓に顔を寄せたがすぐ座席に頭を戻し目を閉じた。
あれから何年ぶりであろうか、またそのことが頭を掠めた。羽田を発った時から幾度も指を折り数えたことである。
二十四、五年ぶり、ふとそう思うと大きな溜息が漏れた。
ますます気が重く心が塞がっていた。
具志川市には八十を過ぎていつポックリ逝くかもしれない両親と兄弟それに親戚知人も沢山いた。が彼らとは顔を合わせたくなかった。家を出たまま二十年余にもなる。その間両親や兄弟に一銭の仕送りもしてなかった。それどころか十七、八年前にハガキを二、三枚だしただけである。
その俺がひょっこり現れれば面喰らってしまうであろう。両親はともかく兄弟には不安で迷惑でしかない筈だ。またまったく忘れ去っていた人間が突然すがたを現せば親戚知人は驚き勝手な憶測をして悪い噂を広めるに違いない。その思いが頭の中に渦巻いて正照は息苦しくなっていた。
人目を避けてこっそり用事を済ませたい。
生きて故郷の土は踏めないと思いながらマリーの死を知って心が揺らぎ今度の帰郷となったのである。
正照もすでに五十歳、若いとはいえ老人の仲間に一歩つっこんでいた。今では綾瀬駅近くの六畳一間の木造アパートに息をひそめて暮らしていた。この辺は開発がすすみ次々マンションが建っていたが正照のアパート周辺だけは周囲と不調和な存在になっていた。
陽当たりが悪く土は湿って黒く何かのすえた臭いが漂っていた。五年前移ってきた当時はまだよかった。いつの頃か大家が手を加えなくなりアパートはさびれだした。
一人暮らしというのはとかく不摂生なものである。それのたたりか、それとも「歯、目、魔羅」の時節到来なのか四十四の時、急に歯が痛みだした。一週間程さんざん苦しめられた末、奥歯がポロポロ抜け落ちた。それからというのは体がガタガタになって俄に故障が多くなった。足の痛みが治ると肩や腕に故障が出るという具合で仕事を休む日が多くなった。そうなると家賃のことが不安になる。上野公園や神田あたりの露天宿泊者の姿が目にちらつき不安になってきた。それで引っ越したのがこの安アパートだった。
ここに移ってからは心細さが先にたち酒場やパチンコ屋にも足が向かなくなった。天涯孤独の心境で仕事にも慎重になった。病気すなわち死という観念に取り憑かれていた。生きていても仕様のない人間だが死ぬまでの時間が恐いのだ。そのため収入よりは楽を取りガードマンになった。何事にも慎重になり過ぎると身も心もちぢこまって暗い影がさす。
正照は仕事帰りに仲間と一杯飲るのを避けコソコソと焼酎の二合瓶とチェインストアで二、三品の菜を買って帰った。四〇ワットのうすぼんやりした裸電球の下でテレビを見ながらウーロン割りをチビチビ舐めた。
長い間の一人暮らしのためもあろうが、この頃妙に独り言を呟くのが目立ってきた。二合瓶が底をつく頃になると「ウオッ」とか「ワッ」とかいきなり獣のような叫び声をあげたりする。すると物音一つない隣部屋で人の動く気配がして「人をおどかすんじゃないよ、バカ」と仕切壁の隙間に片目をあてて老婆が怒鳴った。
隣は一人暮らしの老婆がいた。だいぶ齢をとっていたが耄碌もせず暮らしていた。役所の人以外は訪ねる人もいなかった。夏でも戸を閉め切っていてめったに顔を合わせたことがなかった。このアパートの住人は一人暮らしだけであった。
正照は老婆に怒鳴られてコソコソ寝床に入った。
パチンコや遊びごとから遠ざかるとやたら郷里のことを思いだすようになった。テレビに沖縄が映し出されると夢中になる。番組の中で民謡や舞踊があるとうっとりさせられた。若い頃は郷土芸能を小馬鹿にして見向きもしなかったものだ。家には三味線もあったが一度も手に取ったことがなかった。この齢で民謡一つ唄えないのもそのためだ。それでも郷土の民謡ほど心打つものはない。民謡は生まれながらにその土地の人間の血に染まるものなのか、正照はやはり俺は沖縄人だと思うようになった。
高円寺に「花笠」という居酒屋がある。この店は泡盛と沖縄料理が看板で二年前に知った。ガードマン仲間に泡盛好きがいて教えてくれた。彼は泡盛の銘柄を集めるのが趣味でその店に通っていた。この店は度々沖縄の民謡の大家を招いているということであった。
いじけて消極的になっている正照もこの話には心が動いた。そして知らず知らず「花笠」への期待が胸の中で膨らんでいきぜひ行きたいと思うようになった。
土曜日はいつになく表情が明るく張り切っていた。仕事が終わると急いで帰り久しぶりの外出着で高円寺に出掛けた。
店は駅の近くですぐに分かった。意外と大きく三、四十人は入れそうである。早い時間で客はまだ二、三名だった。店内を見廻すとすっかり忘れていた料理の名が並んでいる。
ゴーヤーチャンプル、耳皮刺身、沖縄そば、はてはサーターアンダギー(砂糖天ぷら)まで献立がぐるり壁に貼ってあった。
画面の大きなビデオには、石垣で囲まれた赤瓦の屋根、ブーゲンビレアの真紅の花の咲いている向こうに透明な南国の海の風景が映し出されて民謡が流れていた。
なかなか感じのいい店だった。ひと渡り店内を見廻したあとカウンターに腰掛けた。坐り心地も悪くなかった。通いなれた店のような安らぎがあった。
マスターは三十前であろう。沖縄訛りまるだしで感じのいい男だった。同郷人のなつかしさから正照は二十年ぶりに方言で話した。
聞けばこの店は十数年前からの営業だという。こういう店が東京には沢山あるとも言った。だが正照は一軒も知らなかった。それも仕方のないことでつい四、五年前までは同郷人を避けていたのだ。
ウーロン割りを飲みながらとりとめもない話をマスターと交わした。それが大変楽しく心がはずんだ。次第に饒舌になり忙しいマスターの迷惑など気にも止めず機関銃のようにしゃべりまくった。久しぶりに気持よく酔っ払いアパートに帰った。
高円寺を知ってから仕事仲間が訝しむほどの変わりようだった。とにかく明るい。仲間づき合いもするようになったが土曜日だけは「花笠」に行くため急いで帰る。
土曜日の度に顔を出すので何時の間にか顔馴染みになり冗談を言う間柄になった。
正照が「花笠」に通いだしてからかれこれ七カ月が過ぎていた。
何時ものように指定席のカウンターに腰掛けウーロン割りを飲んでいた。七時半頃で客の少ない時である。
マスターはカウンターの端のレジを前に伝票を整理していた。そこへ四十過ぎのセールスマン風の男が来た。男はマスターと向かい合って坐りしきりに話し込んでいた。
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〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
でもこれは脚色がされている歴史的な小説です。
たんなる娯楽本の一つです。短編ですが衝撃は大きいでしょう。
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内大型書店で発売中、好評になるはずです!
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画
携帯090−4981−8723
2008年05月16日
ヤンバルはいい
ある配達のしごとがあり、名護〜屋我地〜古宇利島〜大宜味津波・喜如嘉〜国頭奥間・辺土名あたりまで巡った。霧のような雨が降るあいにくの天気だった。それでもヤンバルはいい。大宜味村のはずれでなつかしい友とばったり会った。驚いて互いに開いた口が約2分間しまらなかった。糸満で学校の先生やってたはずの彼が大宜味の小学校でこの4月からの転勤になったというわけだ。それでも雨のヤンバルの人の少ない学校の一画で再会するのは珍しいことだと思う。
ヤンバルはいい。山、川、空、海…無条件にいい。都会には絶滅寸前の純粋な心をもつ人々もヤンバルにはたくさんいそうだ。
ヤンバルはいい。神とかそういう世界に疎い私でもときおり古代のざわめきを感じることがある。疎いとはいっても数年前からそういう精神世界の道の方々のしごとのお手伝いばかりやっている私がいる。縁があるのかもしれない。ただ「飯の種」のしごととして一生懸命やらせてもらっているだけである。霊感とかなんとか嫌いじゃないがべつに好きでもない。泡盛飲んで旨いもの食ってるほうが好きである。
ヤンバルはいい。小雨模様のヤンバル路を駆け抜けた翌日のきょう、突然、大宜味塩屋の方々からしごと上の連絡があった。またまた偶然とは思えないが、来週以降にでも話がまとまれば、しばらくやんばる通いが続くかもしれない。財政状況もよくなればと期待に胸が膨らむ。
ちょうど一年前のメモがパソコンのディスクにあった。ふと目に止まったのも偶然とは思えない。
けっこういいこと書いてるなと一年前の自分と向きあう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「必然」のできごと
世の中には「不思議なめぐり合わせ」に出あうことが、どなたにも年に二つ三つはあるはず。それを偶然ととらえるか、必然ととらえるかはそれぞれの考え方の自由だけど、歳とったせいか、最近の私には「必然」と思えてならない。
40代の後半にさしかかる自分にも最近は、天には精密なコントローラーをあやつる「サムシンググレイト」の存在が見えかくれする。宗教的にいえば「神様のご計画」と言うのか。
私の場合、「必然」と思われる出来事がここ数年多くあった。スーパーで出会う「偶然」も含めて、しごと上、電話、ネット、趣味…数えあげたらきりがない。いま手がけているしごと、男性「霊能力者」の自伝もそうである。
初対面だがある共通する一冊の本、最初にたまたま直接とった一本の電話、いくら沖縄が狭いといっても、その方や家族の生活圏が私の出身小学校の区域であるということ… その他…初めて会う感じはまったくしない、そんなことって、ある。
若いときにも「必然」は多くあったと思うが、青年時代は自意識過剰だったからあまり感じなかった。神様や周りの方の「おかげ」よりも、「俺のおかげ」が強く出ていたと振り返って思う。
沖縄のお年寄りがなにかにつけ手を合わして「ウートートー(あ〜尊い神様〜)」などと言って拝んでいる姿をよく見かける。観光で沖縄に来た人がよく口にする(沖縄の人は)「心があったかい」「宗教心があつい」「神様にいちばん近い島」という形容は理解できる。
つまり、歳とってくると今まで気づかなかったことがわかってきて楽しくなるってこと。
「美しくなかった十代」はむかしのこと。これから「黄金の五十代」が必然的にやってくるような気がする。
2007年5月 記す
ヤンバルはいい。山、川、空、海…無条件にいい。都会には絶滅寸前の純粋な心をもつ人々もヤンバルにはたくさんいそうだ。
ヤンバルはいい。神とかそういう世界に疎い私でもときおり古代のざわめきを感じることがある。疎いとはいっても数年前からそういう精神世界の道の方々のしごとのお手伝いばかりやっている私がいる。縁があるのかもしれない。ただ「飯の種」のしごととして一生懸命やらせてもらっているだけである。霊感とかなんとか嫌いじゃないがべつに好きでもない。泡盛飲んで旨いもの食ってるほうが好きである。
ヤンバルはいい。小雨模様のヤンバル路を駆け抜けた翌日のきょう、突然、大宜味塩屋の方々からしごと上の連絡があった。またまた偶然とは思えないが、来週以降にでも話がまとまれば、しばらくやんばる通いが続くかもしれない。財政状況もよくなればと期待に胸が膨らむ。
ちょうど一年前のメモがパソコンのディスクにあった。ふと目に止まったのも偶然とは思えない。
けっこういいこと書いてるなと一年前の自分と向きあう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「必然」のできごと
世の中には「不思議なめぐり合わせ」に出あうことが、どなたにも年に二つ三つはあるはず。それを偶然ととらえるか、必然ととらえるかはそれぞれの考え方の自由だけど、歳とったせいか、最近の私には「必然」と思えてならない。
40代の後半にさしかかる自分にも最近は、天には精密なコントローラーをあやつる「サムシンググレイト」の存在が見えかくれする。宗教的にいえば「神様のご計画」と言うのか。
私の場合、「必然」と思われる出来事がここ数年多くあった。スーパーで出会う「偶然」も含めて、しごと上、電話、ネット、趣味…数えあげたらきりがない。いま手がけているしごと、男性「霊能力者」の自伝もそうである。
初対面だがある共通する一冊の本、最初にたまたま直接とった一本の電話、いくら沖縄が狭いといっても、その方や家族の生活圏が私の出身小学校の区域であるということ… その他…初めて会う感じはまったくしない、そんなことって、ある。
若いときにも「必然」は多くあったと思うが、青年時代は自意識過剰だったからあまり感じなかった。神様や周りの方の「おかげ」よりも、「俺のおかげ」が強く出ていたと振り返って思う。
沖縄のお年寄りがなにかにつけ手を合わして「ウートートー(あ〜尊い神様〜)」などと言って拝んでいる姿をよく見かける。観光で沖縄に来た人がよく口にする(沖縄の人は)「心があったかい」「宗教心があつい」「神様にいちばん近い島」という形容は理解できる。
つまり、歳とってくると今まで気づかなかったことがわかってきて楽しくなるってこと。
「美しくなかった十代」はむかしのこと。これから「黄金の五十代」が必然的にやってくるような気がする。
2007年5月 記す
2008年05月14日
立ち読みしたい!
ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
〜冒頭部分より〜
今朝になって風向きはすっかり変わっていた。昨日まで空はカラッと晴れて明るく海上を吹き渡る空もさわやかに肌に心地よかった。それが今朝になってみると空気は重たく湿っていた。吹き下ろすような北風である。船の前方を見つめる万次郎の顔が湿った冷たい風に吹かれて赤くなっていた。
船の針路が西から北西に変わっていた。
万次郎はアメリカの捕鯨船に乗ってこの太平洋上で数年間過ごしてきた。その航海の経験から沖縄島が間近になっていることを感じた。いよいよ島に近づいたかと思うと胸に迫ってくるものがある。と同時に名状しがたい動揺も拡がっていった。
十年間のアメリカでの生活、はたして親兄弟は元のままでいるのであろうか……。あるいは大凶変や何かがあったのではないかという不安な思いが去来していた。アメリカにいた時は一日だって家族のことを忘れたことはなかった。だがなんということであろう、沖縄島が近づくにつれて後ずさりしたいような怯えに体は震えていた。捕鯨船に乗ってコツコツ貯め、カルフォルニアの金鉱掘りがお金になると聞けばカルフォルニアに行き、やっと六百ドルを貯めた。これだけあればなんとか四人一緒に日本に帰れると思ってハワイに渡った。ハワイには今でも寅右衛門が一人だけ残っていた。その寅右衛門の顔が万次郎の目に浮かんで消える。
万次郎等五人が無人島に漂着しているのをアメリカの捕鯨船に救助され、半年間航海のあと五人はハワイに上陸した。しかし万次郎だけは四人と別れて救助されたホイットフィルド船長に連れられアメリカに渡った。
万次郎が再びハワイに渡ったのは六年後の二十一歳の時だった。
捕鯨船に乗って航海の途中ハワイに寄港した時のことだった。
伝蔵、重助、五右衛門の三兄弟と寅右衛門がハワイに残っていたが、再会を楽しみに訪ねてみると重助はすでにハワイの土になっていた。数回を共に過ごし四人一緒に帰国の約束をして万次郎は再び航海に出た。
それから数年後、万次郎は六百ドルをたずさえてハワイに渡った。
そして帰国の相談をした。ところが寅右衛門の様子が以前とは変わっていた。今さら郷里に帰っても仕方がない。第一親兄弟が生きているかどうかもわからない。それより住み馴れたハワイに残りたいと三人の誘いを断った。
仕方なく三人だけ帰ることになった。
当時アメリカの捕鯨船は太平洋上で活躍していた。ホノルルの港はそれらの補給基地で港は帆船の帆柱が林立して埋まっていた。
万次郎は捕鯨船に乗っている時、日本まで行ったが上陸することができなかった。一人なら捕鯨船に便乗することもできるが三人ともなれば無理であった。それで貨物船を利用することにした。上海や広東あたりへ行く船が燃料や食料補給のため寄港するからである。相談がまとまると伝蔵と五右衛門は身辺の整理をはじめた。十年もハワイで暮らしているので一日二日で片付くものではなかった。
その間、万次郎は毎日港に出掛けて船の出入りを調べていた。三年六カ月も捕鯨船で生活してきた万次郎にとって港は飽きることのない場所であった。捕鯨船のあの独特な匂いが海風に乗って来る。なつかしい香りだった。昼食は水夫達が出入りするスナックバーで彼等の話を聞きながらサンドウィッチを食べた。
その日もスナックバーでサンドウィッチとコーヒーを注文した。
そして水夫達の話に耳をそば立てていると思わぬニュースが入った。
メキシコから上海へ行くサラリボイド号という船の水夫達が話をしていた。
万次郎は小躍りした。食べかけのサンドウィッチも喉を通らなくなった。サンドウィッチを食べ残して万次郎は店を出た。そして小走りに伝蔵の所へ行った。ちょうど昼食時なので伝蔵と五右衛門はいた。
サラリボイド号の話をすると彼等も食事を投げだしそわそわしはじめた。突然の話にただ落ちつきを失うばかりであった。
とにかく船長に会ってみよう。万事それからのことだと言って三人は出かけた。
サラリボイド号はすぐに分かった。甲板では水夫達がロープの手入れをしていた。
「船長に会いたい」万次郎が声をかけた。
「食料の補給で丘に上がっている。明日の午前中に来い」水夫の一人がそう答えた。
翌日頃合いを見て行くと昨日の水夫がいてすぐに船長室へ案内してくれた。
船長は三人に椅子をすすめ「貴君等のことは昨日聞いた」とまず口をひらいた。
三人の中では万次郎の英語が流暢である。彼はアメリカの学校で正式に勉強していた。それだけに訛もなく一般のアメリカ人よりも発音や言葉遣いが丁寧で美しかった………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
〜冒頭部分より〜
今朝になって風向きはすっかり変わっていた。昨日まで空はカラッと晴れて明るく海上を吹き渡る空もさわやかに肌に心地よかった。それが今朝になってみると空気は重たく湿っていた。吹き下ろすような北風である。船の前方を見つめる万次郎の顔が湿った冷たい風に吹かれて赤くなっていた。
船の針路が西から北西に変わっていた。
万次郎はアメリカの捕鯨船に乗ってこの太平洋上で数年間過ごしてきた。その航海の経験から沖縄島が間近になっていることを感じた。いよいよ島に近づいたかと思うと胸に迫ってくるものがある。と同時に名状しがたい動揺も拡がっていった。
十年間のアメリカでの生活、はたして親兄弟は元のままでいるのであろうか……。あるいは大凶変や何かがあったのではないかという不安な思いが去来していた。アメリカにいた時は一日だって家族のことを忘れたことはなかった。だがなんということであろう、沖縄島が近づくにつれて後ずさりしたいような怯えに体は震えていた。捕鯨船に乗ってコツコツ貯め、カルフォルニアの金鉱掘りがお金になると聞けばカルフォルニアに行き、やっと六百ドルを貯めた。これだけあればなんとか四人一緒に日本に帰れると思ってハワイに渡った。ハワイには今でも寅右衛門が一人だけ残っていた。その寅右衛門の顔が万次郎の目に浮かんで消える。
万次郎等五人が無人島に漂着しているのをアメリカの捕鯨船に救助され、半年間航海のあと五人はハワイに上陸した。しかし万次郎だけは四人と別れて救助されたホイットフィルド船長に連れられアメリカに渡った。
万次郎が再びハワイに渡ったのは六年後の二十一歳の時だった。
捕鯨船に乗って航海の途中ハワイに寄港した時のことだった。
伝蔵、重助、五右衛門の三兄弟と寅右衛門がハワイに残っていたが、再会を楽しみに訪ねてみると重助はすでにハワイの土になっていた。数回を共に過ごし四人一緒に帰国の約束をして万次郎は再び航海に出た。
それから数年後、万次郎は六百ドルをたずさえてハワイに渡った。
そして帰国の相談をした。ところが寅右衛門の様子が以前とは変わっていた。今さら郷里に帰っても仕方がない。第一親兄弟が生きているかどうかもわからない。それより住み馴れたハワイに残りたいと三人の誘いを断った。
仕方なく三人だけ帰ることになった。
当時アメリカの捕鯨船は太平洋上で活躍していた。ホノルルの港はそれらの補給基地で港は帆船の帆柱が林立して埋まっていた。
万次郎は捕鯨船に乗っている時、日本まで行ったが上陸することができなかった。一人なら捕鯨船に便乗することもできるが三人ともなれば無理であった。それで貨物船を利用することにした。上海や広東あたりへ行く船が燃料や食料補給のため寄港するからである。相談がまとまると伝蔵と五右衛門は身辺の整理をはじめた。十年もハワイで暮らしているので一日二日で片付くものではなかった。
その間、万次郎は毎日港に出掛けて船の出入りを調べていた。三年六カ月も捕鯨船で生活してきた万次郎にとって港は飽きることのない場所であった。捕鯨船のあの独特な匂いが海風に乗って来る。なつかしい香りだった。昼食は水夫達が出入りするスナックバーで彼等の話を聞きながらサンドウィッチを食べた。
その日もスナックバーでサンドウィッチとコーヒーを注文した。
そして水夫達の話に耳をそば立てていると思わぬニュースが入った。
メキシコから上海へ行くサラリボイド号という船の水夫達が話をしていた。
万次郎は小躍りした。食べかけのサンドウィッチも喉を通らなくなった。サンドウィッチを食べ残して万次郎は店を出た。そして小走りに伝蔵の所へ行った。ちょうど昼食時なので伝蔵と五右衛門はいた。
サラリボイド号の話をすると彼等も食事を投げだしそわそわしはじめた。突然の話にただ落ちつきを失うばかりであった。
とにかく船長に会ってみよう。万事それからのことだと言って三人は出かけた。
サラリボイド号はすぐに分かった。甲板では水夫達がロープの手入れをしていた。
「船長に会いたい」万次郎が声をかけた。
「食料の補給で丘に上がっている。明日の午前中に来い」水夫の一人がそう答えた。
翌日頃合いを見て行くと昨日の水夫がいてすぐに船長室へ案内してくれた。
船長は三人に椅子をすすめ「貴君等のことは昨日聞いた」とまず口をひらいた。
三人の中では万次郎の英語が流暢である。彼はアメリカの学校で正式に勉強していた。それだけに訛もなく一般のアメリカ人よりも発音や言葉遣いが丁寧で美しかった………………………………
…………………………………………
〜あとは県内大型書店で買って読んでくださいね〜
すべての日本人に
衝撃を与える
琉球近代史の秘話!
小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
NHK大河「篤姫」にも出たジョン万次郎と琉球の関係は?
国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
2008年05月13日
万にいみじくとも
万(よろず)にいみじくとも 『徒然草』第三段より
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉のさかずきの当なきここちぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めず惑ひ歩き、親のいましめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれた方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
<勝手に訳>
すべてに完璧でも、色好まない(恋愛経験のない)男はひどくつまらなく、玉のさかずきの底がない感じさえする。
夜露に濡れつつ、行き先も定まらないまま一晩中ほっつき歩く。親のいましめ、世のそしり(世間の評判)を受けとめる心の隙もなく、あれやこれやと思い乱れ、独り寝で悶々とするばかりの夜(もあろう)。
さりとて、そんなふざけた男でも、想う女に「あの人は並の男ではない」と思われたいものさ。まあそれが望みなのだろうが。
<感想>
兼好は「恋愛至上主義者」だと思う。坊さんなのに恋する心は美しいという姿勢を『徒然草』では最後までつらぬき通しているようだ。
兼好の言う「恋」とは相手を恋い焦がれること。相手を思いながらも忍ぶ恋こそ美しいと兼好は言う。恋は「花は盛に〜」同様、恋愛が成就して異性とイチャイチャする事だけではない。
会いたくて仕方ないのにどうしても会えない、身悶えする程に相手を求めているのに会う事さえできない。相手を求めて燃えるように恋焦がれる…それこそが兼好に言わせれば「恋」なのであろう。
しょせん恋も「望み、欲望」の類である、とやや納得いかないまま兼好この段を結んでいる。
かつて吉田拓郎がデビューする直前に千葉のお寺に籠って歌作りの修行をしていたと聞いたことがある。定かではないが彼は兼好法師の『徒然草』の影響を少なからず受けているように思える。
歌詞の端々に「諸行無常」の思想と煩悩だらけの「恋心」が見え隠れする。『世捨て人』の曲だったか「望みを捨てろ〜」とさえ歌ってはいるのに、いっこうに捨てきれない欲望は拓郎らしいところ。相田みつをにも通じる。「人間だもの〜煩悩だらけの私…」
めったに書かない「恋愛論」。さっき間違えて「霊安論」の文字が出たのでしかんだ(サプライズ)。

戸取りの舞(太陽神「アマテラス」が隠れた場所を覆っている岩戸を取り除く舞)
九州物産店関連「パレットくもじ」にて宮崎高千穂の夜神楽より。最前列の人に棒が当たりそうです。子供は泣き出してました。
※本文とは関係ありません
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉のさかずきの当なきここちぞすべき。
露霜にしほたれて、所定めず惑ひ歩き、親のいましめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるは、独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれた方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
<勝手に訳>
すべてに完璧でも、色好まない(恋愛経験のない)男はひどくつまらなく、玉のさかずきの底がない感じさえする。
夜露に濡れつつ、行き先も定まらないまま一晩中ほっつき歩く。親のいましめ、世のそしり(世間の評判)を受けとめる心の隙もなく、あれやこれやと思い乱れ、独り寝で悶々とするばかりの夜(もあろう)。
さりとて、そんなふざけた男でも、想う女に「あの人は並の男ではない」と思われたいものさ。まあそれが望みなのだろうが。
<感想>
兼好は「恋愛至上主義者」だと思う。坊さんなのに恋する心は美しいという姿勢を『徒然草』では最後までつらぬき通しているようだ。
兼好の言う「恋」とは相手を恋い焦がれること。相手を思いながらも忍ぶ恋こそ美しいと兼好は言う。恋は「花は盛に〜」同様、恋愛が成就して異性とイチャイチャする事だけではない。
会いたくて仕方ないのにどうしても会えない、身悶えする程に相手を求めているのに会う事さえできない。相手を求めて燃えるように恋焦がれる…それこそが兼好に言わせれば「恋」なのであろう。
しょせん恋も「望み、欲望」の類である、とやや納得いかないまま兼好この段を結んでいる。
かつて吉田拓郎がデビューする直前に千葉のお寺に籠って歌作りの修行をしていたと聞いたことがある。定かではないが彼は兼好法師の『徒然草』の影響を少なからず受けているように思える。
歌詞の端々に「諸行無常」の思想と煩悩だらけの「恋心」が見え隠れする。『世捨て人』の曲だったか「望みを捨てろ〜」とさえ歌ってはいるのに、いっこうに捨てきれない欲望は拓郎らしいところ。相田みつをにも通じる。「人間だもの〜煩悩だらけの私…」
めったに書かない「恋愛論」。さっき間違えて「霊安論」の文字が出たのでしかんだ(サプライズ)。

戸取りの舞(太陽神「アマテラス」が隠れた場所を覆っている岩戸を取り除く舞)
九州物産店関連「パレットくもじ」にて宮崎高千穂の夜神楽より。最前列の人に棒が当たりそうです。子供は泣き出してました。
※本文とは関係ありません
2008年05月11日
金武湾ウォーキングフェスタ
第一回環金武湾ウォーキングフェスタ
与那城路に1000人余
健康・長寿・自然散策などをキーワードに、うるま市の与勝地区を歩いて巡る「第一回環金武湾ウォーキングフェスタ」が開催され、もののはずみで私も1日目の島々めぐりに参加させていただいた。
10日(土)1日目のそれぞれのコースは
1)うるまハナリめぐり(伊計島・30km)
2)アマミチュー、シルミチューの旅(浜比嘉島・22km)
3)キャロット愛ランド(津堅島・12km)
4)ジャネーガマ(薮地島・9km)
5)東屋慶名(HYコース・5km)
私が歩いたのは、2)のアマミチュー、シルミチューの旅(浜比嘉島・22km)コース。与那城の運動公園から海中道路を渡って平安座〜浜比嘉と渡り、島をくまなく廻りシルミチュー御嶽を折り返しに往復する。
うらそえ「てだこウォーク」30kmなどで鍛えられている私たちは、比較的年輩者のウォーカーとともに時速6キロの余裕ペースで難なく完歩できました。最近食欲旺盛でちょっとウエイトオーバー気味だったのだが、4時間歩き通せてよかったです。
ただこのコース、せっかくの文化遺産・観光資源もあるにもかかわらず22kmコースの誘導者に大きな問題があった。
「コースマスター」のたすきをかけて誘導する肥満体の先導者?がまるでダメ!日頃歩き慣れてるウォーカーからみると遅すぎてイライラさせる。30代男性らがたった5キロごとに3回も替わりペースを乱す。60代〜70代の健脚自慢の年輩者にたいへん失礼だ。そのうえコースの概要・距離、速度、トイレのポイント、文化財の概要、なにを訊ねても歩くのに息を切らしているのか、満足に答えられない先導者。ハッキリ言ってあなたがたは邪魔だった。
小旗を持ち、たすきをかけて偉そうに人の前を歩くのなら、それなりの準備をしてこい!といいたい。でなければ最後尾を歩くか、折り返し地点でスタンプ持って立っててほしい。
さらに極めつけは、後半15キロ地点で半ば強制的に休憩させ、あろうことか島の特産品らしき食材が出されたテントで食事をするように促すという大失態!!前代未聞!いったいだれの指示??
レース中にどんぶり食わすのか!(しかも有料!)
その時点であと5kmを残しウォーキングイベントは先導者によってはぶちこわし。集団は乱れて流れ解散に近い状態。先頭集団にいた私たちはしばらく様子をみていたが、あまりのお粗末さにあきれはてて初老の男性と抜け出して先頭でゴールへと向かった次第。後半のあやはし道路には一人としてスタッフはいない。最後の16〜20キロ地点は最もつらく気分の悪くなるものが出やすい危険箇所にもかかわらず案内版の一枚もない。ゴール地点には不必要と思われる大勢のスタッフが配置されているというのに。
またこの大会には浦添のようなマッサージサービスはない。シャワーもなければトイレの水も止められていることはショック!
2階でやっと手を洗えたが。
このことはあとで実行委員会の役員らしき方にも提言として述べたが、レース途中で食事をとらせて歩かせる身体に悪い運営は、役員らがウォーキングの経験がなさ過ぎるからであろう。食べて歩くのは最も身体に悪い。レベルの高いウォーカーは時速6〜7キロとかなりのスピードである。
途中で地元の特産品を買わせて食べさせて儲けさせようという狙いもあるのだろうか、これはスポールイベントである。保育園の遠足とは違う。健康・自然、大会趣旨から大きくはずれた22キロコースは、役員の運営に問題があると思う。参加料を返してほしいところだ。「第1回だからねえ」と言う役員さん、朝から座ってないであんたも少しは歩いてよ!お願いします。
せっかくの大会に水をさすようだが、2日目もあるし、大会役員(地元の公務員?)反省しなさそうな態度に怒りさえ覚えたのであえて提言した。
写真もたくさんとったが公開する気になれない。それでもなんとか一枚だけ。

次回から日頃歩き慣れている仲間と自由に歩きたいと思う。
久々の更新だが怒ってはいません。あきれただけ。美しい景色を見ながら22キロ歩き通せた満足感は自分の中にあります。ただあの先導者さえ前にいなければもっと楽しかったはずだったので。
与那城路に1000人余
健康・長寿・自然散策などをキーワードに、うるま市の与勝地区を歩いて巡る「第一回環金武湾ウォーキングフェスタ」が開催され、もののはずみで私も1日目の島々めぐりに参加させていただいた。
10日(土)1日目のそれぞれのコースは
1)うるまハナリめぐり(伊計島・30km)
2)アマミチュー、シルミチューの旅(浜比嘉島・22km)
3)キャロット愛ランド(津堅島・12km)
4)ジャネーガマ(薮地島・9km)
5)東屋慶名(HYコース・5km)
私が歩いたのは、2)のアマミチュー、シルミチューの旅(浜比嘉島・22km)コース。与那城の運動公園から海中道路を渡って平安座〜浜比嘉と渡り、島をくまなく廻りシルミチュー御嶽を折り返しに往復する。
うらそえ「てだこウォーク」30kmなどで鍛えられている私たちは、比較的年輩者のウォーカーとともに時速6キロの余裕ペースで難なく完歩できました。最近食欲旺盛でちょっとウエイトオーバー気味だったのだが、4時間歩き通せてよかったです。
ただこのコース、せっかくの文化遺産・観光資源もあるにもかかわらず22kmコースの誘導者に大きな問題があった。
「コースマスター」のたすきをかけて誘導する肥満体の先導者?がまるでダメ!日頃歩き慣れてるウォーカーからみると遅すぎてイライラさせる。30代男性らがたった5キロごとに3回も替わりペースを乱す。60代〜70代の健脚自慢の年輩者にたいへん失礼だ。そのうえコースの概要・距離、速度、トイレのポイント、文化財の概要、なにを訊ねても歩くのに息を切らしているのか、満足に答えられない先導者。ハッキリ言ってあなたがたは邪魔だった。
小旗を持ち、たすきをかけて偉そうに人の前を歩くのなら、それなりの準備をしてこい!といいたい。でなければ最後尾を歩くか、折り返し地点でスタンプ持って立っててほしい。
さらに極めつけは、後半15キロ地点で半ば強制的に休憩させ、あろうことか島の特産品らしき食材が出されたテントで食事をするように促すという大失態!!前代未聞!いったいだれの指示??
レース中にどんぶり食わすのか!(しかも有料!)
その時点であと5kmを残しウォーキングイベントは先導者によってはぶちこわし。集団は乱れて流れ解散に近い状態。先頭集団にいた私たちはしばらく様子をみていたが、あまりのお粗末さにあきれはてて初老の男性と抜け出して先頭でゴールへと向かった次第。後半のあやはし道路には一人としてスタッフはいない。最後の16〜20キロ地点は最もつらく気分の悪くなるものが出やすい危険箇所にもかかわらず案内版の一枚もない。ゴール地点には不必要と思われる大勢のスタッフが配置されているというのに。
またこの大会には浦添のようなマッサージサービスはない。シャワーもなければトイレの水も止められていることはショック!
2階でやっと手を洗えたが。
このことはあとで実行委員会の役員らしき方にも提言として述べたが、レース途中で食事をとらせて歩かせる身体に悪い運営は、役員らがウォーキングの経験がなさ過ぎるからであろう。食べて歩くのは最も身体に悪い。レベルの高いウォーカーは時速6〜7キロとかなりのスピードである。
途中で地元の特産品を買わせて食べさせて儲けさせようという狙いもあるのだろうか、これはスポールイベントである。保育園の遠足とは違う。健康・自然、大会趣旨から大きくはずれた22キロコースは、役員の運営に問題があると思う。参加料を返してほしいところだ。「第1回だからねえ」と言う役員さん、朝から座ってないであんたも少しは歩いてよ!お願いします。
せっかくの大会に水をさすようだが、2日目もあるし、大会役員(地元の公務員?)反省しなさそうな態度に怒りさえ覚えたのであえて提言した。
写真もたくさんとったが公開する気になれない。それでもなんとか一枚だけ。
次回から日頃歩き慣れている仲間と自由に歩きたいと思う。
久々の更新だが怒ってはいません。あきれただけ。美しい景色を見ながら22キロ歩き通せた満足感は自分の中にあります。ただあの先導者さえ前にいなければもっと楽しかったはずだったので。
2008年05月08日
護佐丸は徳の高いすばらしい人物
このところひたすら外での書店廻りです。
『ジョン万次郎と牧志朝忠』配本しています。小中学校への印刷納品物の配布もやってます。けっこう多忙ですが即売上に反映されるわけではありません。そのチャンスが多くなったとはいえます。
『護佐丸伝』新垣正男著(大正11年生)中城伊集の方が書かれています。読めば読むほど護佐丸が他の英雄よりも人間的にすぐれていることが理解できます。同時に中城城跡の遺跡などの写真・図版などたいへん資料性の高い本です。終始「護佐丸を称えた本」だから当然といえば当然ですが、それでも護佐丸はホントに琉球の行く末を案じた素晴らしいリーダーだったと思います。沖縄にとって大切な人だったのです。それは戦乱の最中にわずかに生き延びた子孫がのちに繁栄して、現在どの門中よりも数的に多いことからも伺い知れます。本は売るだけたくさんあります。

『護佐丸伝』
人物・業績に関する新しい評価〜新垣正男著
A5判上製本520頁(本体2800円)
護佐丸は、
沖縄人でもっともすぐれた人物かもしれない
沖縄人ですぐれた人物 といえば…
5/8は、復帰後の沖縄でもっとも有名な人物の一周忌です。
大胆細心
甲子園通算29勝〜強い沖縄を全前に出してくれました。
栽弘義さん
いまは私たち県民の心の監督です。
参考までに仲間のブログ↓
http://tomi11.ti-da.net/
『ジョン万次郎と牧志朝忠』配本しています。小中学校への印刷納品物の配布もやってます。けっこう多忙ですが即売上に反映されるわけではありません。そのチャンスが多くなったとはいえます。
『護佐丸伝』新垣正男著(大正11年生)中城伊集の方が書かれています。読めば読むほど護佐丸が他の英雄よりも人間的にすぐれていることが理解できます。同時に中城城跡の遺跡などの写真・図版などたいへん資料性の高い本です。終始「護佐丸を称えた本」だから当然といえば当然ですが、それでも護佐丸はホントに琉球の行く末を案じた素晴らしいリーダーだったと思います。沖縄にとって大切な人だったのです。それは戦乱の最中にわずかに生き延びた子孫がのちに繁栄して、現在どの門中よりも数的に多いことからも伺い知れます。本は売るだけたくさんあります。
『護佐丸伝』
人物・業績に関する新しい評価〜新垣正男著
A5判上製本520頁(本体2800円)
護佐丸は、
沖縄人でもっともすぐれた人物かもしれない
沖縄人ですぐれた人物 といえば…
5/8は、復帰後の沖縄でもっとも有名な人物の一周忌です。
大胆細心
甲子園通算29勝〜強い沖縄を全前に出してくれました。
栽弘義さん
いまは私たち県民の心の監督です。
参考までに仲間のブログ↓
http://tomi11.ti-da.net/
2008年05月04日
おきなわ堂
沖縄病患者に特効薬!!
那覇空港に着いたらおきなわ堂からが先にいこう!(先島風言葉)
普通の本屋さんには置いてない沖縄の本を中心に三線やいろいろグッズ、
お菓子まで沖縄関係の物ならたいていはあります。イベント情報も!!
郷土書専門店
おきなわ堂
(合資会社 いしだ文栄堂直営店)
那覇市首里石嶺町4−317(098)884-5181
首里石嶺と浦添前田の間(モノレールいつの日か開通予定!)
儀保交差点から西原入口向け1879m(琉球処分)くらい
昨日からそこに置いてます↓↓↓↓ぜひ1冊以上お買い求めくださいませ。

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
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国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
ゼロに戻った
夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月3日より遊びにもいかないで県内主な書店等で営業開始!なお、作者の地元・石川の大城書店を皮切りに、宮脇書店浦添店、戸田書店浦添前田店など配本中、ほか宮脇さん県内全店、田園書房・いしだ文栄堂・BOOKきょうはん各店、上江洲書店、ほか…まもなく置きます置かせていただきとうございます(汗)。。。
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画 砂川090-4981-8723
夜は北名城ビーチにいますが本は積んでアルイテます。
那覇空港に着いたらおきなわ堂からが先にいこう!(先島風言葉)
普通の本屋さんには置いてない沖縄の本を中心に三線やいろいろグッズ、
お菓子まで沖縄関係の物ならたいていはあります。イベント情報も!!
郷土書専門店
おきなわ堂
(合資会社 いしだ文栄堂直営店)
那覇市首里石嶺町4−317(098)884-5181
首里石嶺と浦添前田の間(モノレールいつの日か開通予定!)
儀保交差点から西原入口向け1879m(琉球処分)くらい
昨日からそこに置いてます↓↓↓↓ぜひ1冊以上お買い求めくださいませ。

ジョン万次郎と牧志朝忠
〜明治維新は南から〜
アジアの中の琉球に現れたアメリカ近代国家の足音
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国際舞台で活躍した通訳官・牧志朝忠は何者?
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夫の生命保険に秘められたある夫婦の不思議な話
兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の中北部の街が舞台。悲しい男女の物語

作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年(昭和14)読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄・東京で様々なビジネスを手がける。仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。現住所:沖縄県うるま市石川436番地
四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月3日より遊びにもいかないで県内主な書店等で営業開始!なお、作者の地元・石川の大城書店を皮切りに、宮脇書店浦添店、戸田書店浦添前田店など配本中、ほか宮脇さん県内全店、田園書房・いしだ文栄堂・BOOKきょうはん各店、上江洲書店、ほか…まもなく置きます置かせていただきとうございます(汗)。。。
お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画 砂川090-4981-8723
夜は北名城ビーチにいますが本は積んでアルイテます。


日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!
