2008年09月13日

兵隊とハンバーガー

兵隊とハンバーガー
戦後沖縄の混沌とした兵隊相手の飲食店が舞台

たいへんに残念なことに作者の伊波氏が
先頃お亡くなりになられて最後の作品(遺作)となってしまいました。
享年70歳。
慎んでお冥福を祈りいたします。



〜冒頭部分より〜


「まもなく那覇空港へ到着の予定です」というアナウンスの声も正照の耳には入らなかった。飛行機が沖縄の北部上空にさしかかったとき、乗客らの間に軽いざわめきが起こった。
 座席から身を乗りだし窓に顔を寄せる客や席を立つ人がざわざわ動きだした。気の早い客は身支度をはじめた。正照もちょっと窓に顔を寄せたがすぐ座席に頭を戻し目を閉じた。
 あれから何年ぶりであろうか、またそのことが頭を掠めた。羽田を発った時から幾度も指を折り数えたことである。
 二十四、五年ぶり、ふとそう思うと大きな溜息が漏れた。
 ますます気が重く心が塞がっていた。
 具志川市には八十を過ぎていつポックリ逝くかもしれない両親と兄弟それに親戚知人も沢山いた。が彼らとは顔を合わせたくなかった。家を出たまま二十年余にもなる。その間両親や兄弟に一銭の仕送りもしてなかった。それどころか十七、八年前にハガキを二、三枚だしただけである。
 その俺がひょっこり現れれば面喰らってしまうであろう。両親はともかく兄弟には不安で迷惑でしかない筈だ。またまったく忘れ去っていた人間が突然すがたを現せば親戚知人は驚き勝手な憶測をして悪い噂を広めるに違いない。その思いが頭の中に渦巻いて正照は息苦しくなっていた。
 人目を避けてこっそり用事を済ませたい。
 生きて故郷の土は踏めないと思いながらマリーの死を知って心が揺らぎ今度の帰郷となったのである。

 正照もすでに五十歳、若いとはいえ老人の仲間に一歩つっこんでいた。今では綾瀬駅近くの六畳一間の木造アパートに息をひそめて暮らしていた。この辺は開発がすすみ次々マンションが建っていたが正照のアパート周辺だけは周囲と不調和な存在になっていた。
 陽当たりが悪く土は湿って黒く何かのすえた臭いが漂っていた。五年前移ってきた当時はまだよかった。いつの頃か大家が手を加えなくなりアパートはさびれだした。
 一人暮らしというのはとかく不摂生なものである。それのたたりか、それとも「歯、目、魔羅」の時節到来なのか四十四の時、急に歯が痛みだした。一週間程さんざん苦しめられた末、奥歯がポロポロ抜け落ちた。それからというのは体がガタガタになって俄に故障が多くなった。足の痛みが治ると肩や腕に故障が出るという具合で仕事を休む日が多くなった。そうなると家賃のことが不安になる。上野公園や神田あたりの露天宿泊者の姿が目にちらつき不安になってきた。それで引っ越したのがこの安アパートだった。
 ここに移ってからは心細さが先にたち酒場やパチンコ屋にも足が向かなくなった。天涯孤独の心境で仕事にも慎重になった。病気すなわち死という観念に取り憑かれていた。生きていても仕様のない人間だが死ぬまでの時間が恐いのだ。そのため収入よりは楽を取りガードマンになった。何事にも慎重になり過ぎると身も心もちぢこまって暗い影がさす。
 正照は仕事帰りに仲間と一杯飲るのを避けコソコソと焼酎の二合瓶とチェインストアで二、三品の菜を買って帰った。四〇ワットのうすぼんやりした裸電球の下でテレビを見ながらウーロン割りをチビチビ舐めた。
 長い間の一人暮らしのためもあろうが、この頃妙に独り言を呟くのが目立ってきた。二合瓶が底をつく頃になると「ウオッ」とか「ワッ」とかいきなり獣のような叫び声をあげたりする。すると物音一つない隣部屋で人の動く気配がして「人をおどかすんじゃないよ、バカ」と仕切壁の隙間に片目をあてて老婆が怒鳴った。
 隣は一人暮らしの老婆がいた。だいぶ齢をとっていたが耄碌もせず暮らしていた。役所の人以外は訪ねる人もいなかった。夏でも戸を閉め切っていてめったに顔を合わせたことがなかった。このアパートの住人は一人暮らしだけであった。
 正照は老婆に怒鳴られてコソコソ寝床に入った。
 パチンコや遊びごとから遠ざかるとやたら郷里のことを思いだすようになった。テレビに沖縄が映し出されると夢中になる。番組の中で民謡や舞踊があるとうっとりさせられた。若い頃は郷土芸能を小馬鹿にして見向きもしなかったものだ。家には三味線もあったが一度も手に取ったことがなかった。この齢で民謡一つ唄えないのもそのためだ。それでも郷土の民謡ほど心打つものはない。民謡は生まれながらにその土地の人間の血に染まるものなのか、正照はやはり俺は沖縄人だと思うようになった。
 高円寺に「花笠」という居酒屋がある。この店は泡盛と沖縄料理が看板で二年前に知った。ガードマン仲間に泡盛好きがいて教えてくれた。彼は泡盛の銘柄を集めるのが趣味でその店に通っていた。この店は度々沖縄の民謡の大家を招いているということであった。
 いじけて消極的になっている正照もこの話には心が動いた。そして知らず知らず「花笠」への期待が胸の中で膨らんでいきぜひ行きたいと思うようになった。
 土曜日はいつになく表情が明るく張り切っていた。仕事が終わると急いで帰り久しぶりの外出着で高円寺に出掛けた。

 店は駅の近くですぐに分かった。意外と大きく三、四十人は入れそうである。早い時間で客はまだ二、三名だった。店内を見廻すとすっかり忘れていた料理の名が並んでいる。
 ゴーヤーチャンプル、耳皮刺身、沖縄そば、はてはサーターアンダギー(砂糖天ぷら)まで献立がぐるり壁に貼ってあった。
 画面の大きなビデオには、石垣で囲まれた赤瓦の屋根、ブーゲンビレアの真紅の花の咲いている向こうに透明な南国の海の風景が映し出されて民謡が流れていた。
 なかなか感じのいい店だった。ひと渡り店内を見廻したあとカウンターに腰掛けた。坐り心地も悪くなかった。通いなれた店のような安らぎがあった。
 マスターは三十前であろう。沖縄訛りまるだしで感じのいい男だった。同郷人のなつかしさから正照は二十年ぶりに方言で話した。
 聞けばこの店は十数年前からの営業だという。こういう店が東京には沢山あるとも言った。だが正照は一軒も知らなかった。それも仕方のないことでつい四、五年前までは同郷人を避けていたのだ。
 ウーロン割りを飲みながらとりとめもない話をマスターと交わした。それが大変楽しく心がはずんだ。次第に饒舌になり忙しいマスターの迷惑など気にも止めず機関銃のようにしゃべりまくった。久しぶりに気持よく酔っ払いアパートに帰った。
 高円寺を知ってから仕事仲間が訝しむほどの変わりようだった。とにかく明るい。仲間づき合いもするようになったが土曜日だけは「花笠」に行くため急いで帰る。
 土曜日の度に顔を出すので何時の間にか顔馴染みになり冗談を言う間柄になった。
 正照が「花笠」に通いだしてからかれこれ七カ月が過ぎていた。
 何時ものように指定席のカウンターに腰掛けウーロン割りを飲んでいた。七時半頃で客の少ない時である。
 マスターはカウンターの端のレジを前に伝票を整理していた。そこへ四十過ぎのセールスマン風の男が来た。男はマスターと向かい合って坐りしきりに話し込んでいた。


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すべての日本人に
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小説仕立て 短編小説3篇
伊波興健 作



ジョン万次郎と牧志朝忠
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兵隊とハンバーガー
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作者プロフィール
伊波興健(いはこうけん)
1939年読谷村喜名生まれ。幼少期に沖縄戦に巻き込まれ戦中から主に石川市に住む。石川高校中退後、沖縄〜東京で様々なビジネスを手がける一方、仕事の傍ら山本周五郎文学などに熱中し影響を受ける。自らの体験に加え近代〜現代の隠された沖縄の歴史にスポットを当てる。いまなお続く沖縄の戦後と琉球のもつ異風な体験をベースに独特な文学世界を展開。

すごい小説です。おどろきます。一気に読めます。
こんな街や人たちが日本のお膝下にあったのです!
日本の近現代を根底から揺さぶりかねません。
 


四六判160頁 1,260円(税込)
2008年5月より県内大型書店で発売中 !

お問い合わせ(098)888-2323 ユニバース企画


伊波興健さま(享年70)
平成20年9月10日にお亡くなりになりました。
慎んでお冥福を祈りいたします。


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