上り口説を往く2)

砂川よしひろ

2007年11月20日 18:01

2)袖に降る露押し払ひ 大道松原歩みゆく 行けば八幡崇元寺
(すでぃにふるつぃゆうしはらゐ うふどーまつぃばらあゆみゆく ゆきばはちまんすーぎーじ)

大道松原(うふどーまつぃばら)は、現都ホテル付近から松川坂下〜大道まで続く松並木の呼称である。現沖縄ホテル裏手に大道毛(うふどーもう・だいどうやま)と呼ばれる丘があるが(実は大道で生まれ育った私の少年時代の格好の遊び場)、又吉道路沿いに建つ那覇市の案内版には1501年尚真王は円覚寺修理用の材木としてこの丘に松の苗1万株を植えさせ「指帰(サシカエシ)松尾の碑文」を建立した、とある。王国時代後期、見事な松並木が続いていたことが想像できるが、廃藩置県・琉球処分(1989年)後、松並木は切り倒され、1945年の沖縄戦で碑文も消滅、戦前戦後の宅地開発などで道路の形も道筋も大きく変わった。また明治〜大正期に軽便鉄道の線路の盛土用に大道毛の一部を削りとったという形跡がある。いずれにしても美しい「大道松原」は影も形もなく復元しようという話もない。


わずかに緑地が残る大道毛から松川坂下を臨む


沖縄ホテルの東・道路沿いに建つ「大道松原」の案内版


産業王といわれた戦後沖縄経済の偉人・宮城仁四郎(故人)邸は大道毛の中腹にある

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