圧倒的努力 見城徹

砂川よしひろ

2016年01月11日 03:37

「圧倒的努力」 幻冬舎代表 見城徹 の言葉


かつて私も東京時代から印刷出版業の編集者のはしくれ、いや他のしごと(塾経営)などをしていてもいまなお、生涯一編集者だと思っている。朝起きてから夜寝るまでの間はすべて取材と編集といってもよい。

きびしい出版業界でコンスタントにヒット作品を出す幻冬舎社長の見城徹氏の言葉を拾った。

●僕は、こいつとは友達になれそうだと思った人に、必ず言う言葉がある。「友情は、ギブアンドテイクだからね」 自分を刺激してくれない友達や、新しい地点に連れて行ってくれない友達は、僕はいらない。

●今日も明日も明後日も、昨日と同じだと思うことは、油断であり怠慢である。それが積み重なって、いつか失敗どころか、大崩壊を起こす。成功体験に寄りかかり、スムーズに事を運んだため破滅した事業家を、僕はこれまで何人も見てきた。

●ビジネスは、一瞬たりとも気を緩めてはいけない。常に緊張を継続し、戦闘体制で臨まなければならない。

●大きな障壁を乗り越えるには、並々ならぬ精神力が必要だ。集中は、人から無駄をそぎ落とす。その時、人は、最も美しい。

●何かにハマった経験がない人は、平板だ。熱中することは、その時何の利益がないとしても、やがて実りをもたらしてくれる。アニメでも、ゲームでもいい。オタクと呼ばれても、気にすることはない。とにかく、何かにハマってみるべきだ。

●僕は、「この人は」と思う人の「お願い」は、たいてい聞くことにしている。中には、ほとんど不可能と思えるものもある。それでも僕は、引き受ける。受ける「お願い」は、こちらが苦しいものでないと、意味がない。難しいことを実現してこそ、頼まれた僕の存在意義が生まれるからだ。

●トレーニングは、決して楽しいことではない。始める前は、憂鬱でしようがない。でも僕は、自分を苦しめていない奴はだめだと思う。自分を追い込み、憂鬱なことを乗り越える。そうすると、仕事をする時の姿勢に、大きな影を及ぼす。そもそも仕事とは、憂鬱なものだ。

●僕は、仕事がしたい人物がいると、その人の全作品について、僕なりの感想をしたため、手紙を送る。もはや手紙とは言えないような、おびただしい枚数になることもある。相手によっては、怪訝に思われることもある。でも、それでいい。誠意はいつか必ず通じるからだ。

●僕は常に何かに熱狂していないとダメなのだ。そうでないと切なくなる。僕がこれほど仕事に情熱を注いでいるのは、生きることの切なさを埋めるためなのかもしれない。

●誰でも命は一番大事である。しかし、それを捨てる覚悟を決めた瞬間、人は何かに縛られていたことに気づく。そこから解放された時、人は不可能を可能にする力を得るのだ。

●「神は細部に宿る」という建築家の言葉は、仕事にもあてはまる。つい、見過ごしてしまうものにこそ、事を左右する鍵が

●「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」という考え方は、ぶれやすい心に安定をもたらす。それは過不足のない、とても現実的な考え方だ。

●ギャンブルには手を出すなという人がいる。確かに、ギャンブルには魔力がある。のめり込みすぎて、身を滅ぼす人もいるだろう。でも僕は、ギャンブルはやるべきだと思う。身銭を切り、賭けることでしか、学べないことがあるからだ。

●覚悟を決めるとは、命を賭けることだ。経験したことのない人には、とても辛いことに思うかもしれない。しかし、覚悟を決めて、一つのプロジェクトを圧倒的努力でやり終えると、実際はとても清々しく、気持ちがいい。覚悟が定まった時、自分の限界を超え、道は開ける。

●大企業だからとか、安定しているからという理由で勤め先を決めるなど、馬鹿げている。見栄や安定で、熱狂できない仕事を選ぶことは、ひどく退屈で辛いことだ。熱狂は退屈も苦痛も、はねのけてくれる。そして必ず、他の追随を許さない大きな実りをもたらしてくれる。

●僕は、どんなに前日の夜が遅くても、朝六時には目を覚ます。特に五十歳を過ぎてからは、ゆっくり朝寝することなどなくなった。冬であれば、外はまだ真っ暗だ。洗顔し、熱いシャワーを浴びることから、僕の一日は始まる。

●何の報いも期待されず、何かを与えられた者は、どう思うだろう? 何としても相手に多く返したいと思うにちがいない。そこに人を動かす力の本質がある。

●思考は、思いのほか、生理に影響されるものだ。それは、経験的に誰もが知っている。いい考えを持ちたければ、肉体をコントロールしなければならない。

●僕はよく若者へのメッセージを求められることがある。その時はただ一言。「恋愛をしろ」 もっと高尚な言葉が欲しかった相手は、目を白黒させる。

●僕は、筋金入りの不眠症である。小学校高学年から今まで、布団に入って三十分以内に眠れたことなどない。横になって目をつぶりながら、くよくよと今日一日の反省をするからである。

●やりたいことを全部してから死ねば、満足だろう。しかし、そんな人間はいるわけがない。何一つ悔いのない人生など、ありえない。

●売れた本は、いい本である。しかし、いい本が売れるとは限らない。それだけが真実なのだ。そのことを常に自分に言い聞かせていなければならない。本だけでなく、商品やサービスを提供するすべてのビジネスマンに通じることだ。そしてヒットした製品には、他社のものであろうと、敬意を払うべきだ。

●真心を忘れ、形式的に世間と同じことを繰り返すのは、愚の骨頂である。

●十万部を出せば、その経験はスキルとして蓄積され、次にまた十万部のヒットを出せるようになる。しかし、三十万部のヒットを出すためには、新たな苦しさを味わわなければならない。そうやって、ヒットメーカーは成長してゆくのだ。一回三十万部を出せば、次も出せる。百万部も同じである。

●恩返しはこちらの立場が危うくなるほど極端にする。そうでなければ、相手の心に響かないからだ。ほどほどの恩返しをされた時ほど白けることはない。中途半端な恩返しなら、しないほうがいい。恩返しほど人間力の差がつくものはない、と僕は信じている。

●本当の勝利は、秩序に従っているだけでは獲得できない。秩序とは、現在支配している者の都合によって成り立っているからだ。新しい秩序を作るため、今の秩序を破壊するのは、並大抵ではできない。

●自分とは全く違う異物には、誰でも動揺や反発を感じるものだ。気持ちの揺れが収まった時、視界にようやく対象が本来の姿を現す。異物を飲み込むのは辛いけれど、それを消化できた時、想像を絶する結果が待っている。

●僕は部下を見ていてよく思う。基礎と格闘している奴は、その時は時間がかかっても、いつか必ず結果を出す。基礎と格闘せず、早道を行こうとする奴は、たいてい失敗する。表面だけで、根本がないからだ。

●大勢で話し合ったからといって、物事は必ずしも解決に近づかない。互いの考え方に注意を払いながら、理解を深め合うには、むしろ対話のほうが優れている。

●身を挺し、自分を切り刻まなければ、本当の人間関係は成立しない。感想を伝えるという行為は簡単なようで難しい。表面的ではない言葉が、相手の心に響いた時、初めて真っ当な関係の礎が築かれるのだ。

●まだ互いをよく知らない人間と、カラオケに行くなど、愚の骨頂だ。聴きたくもない歌を歌い合い、お決まりの拍手をし合って、どうなるというのだろう?

●何か事をなすためには、身体を張らなければならない。もし誰かが、うまくいかないと嘆いていたら、「君は身体を張ったのかい?」と問いたい。身体を張って七転八倒しながら、リスクを引き受けて、憂鬱な日々を過ごす。そうやって初めて、後悔のない、清々しい気持ちになれる。

●ノー・ペイン、ノー・ゲイン。苦しみ抜いて得られたものにだけ、価値はあるのだ。

●この人と友達でよかったと思えるのは、単なる損得では計れない”ギフト”を得られた時だ。それは精神的なものであることもあれば、現実的なものであることもある。どちらか一方が得るだけだったり、助けられるだけだったりする関係は長続きしない。

●ローマ人が、徹底して道路を整備したのは、辺境にすみやかに派兵するためだ。人間関係でも、多方面に円滑なルートを作れば、ローマ帝国のような安泰を築ける。

●「考える」という行為は、どうしても近視眼的になりやすい。知らず知らずのうち、落とし穴にはまっていることもよくある。その危険を、決して忘れてはならない。

●やりたいことを全部してから死ねば、満足だろう。しかし、そんな人間はいるわけがない。何一つ悔いのない人生など、ありえない。


●僕にとって何より重要なのは「極端」であることだ。「極端」であれば、振り切れている。突き抜けたオリジナリティーを獲得している。だから、明快であり、新しい。

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