2008年01月12日

やんばるの歌碑20)

二見情話の碑

やんばるの歌碑20)

(男)二見女童や だんじゅ胆清らさ
   海山ぬ眺み 余所に勝さてぃよ

  (二見の娘は本当に心が美しい
   二見の海山の眺めもすばらしい)


(女)二見村嫁や ないぶしゃやあしが
   辺野古崎坂ぬ 上り下りよー

  (二見村の嫁には なりたいけれど
  辺野古崎の坂の 上り下りの辛さよ)


(男)行逢たしや 久志小
(女)語たしや 辺野古
(男)思てぃ通ゆたしや 花ぬ二見よ
(逢ったのは 久志 語りあったのは 辺野古
  思いつめて通ったのが 花の二見


(男)待ちかにてぃ居たる 首里上いやしが
(女)出ぢ立ちゅる際や別りぐりしゃよ
(待ちかねていた 首里上りだけど
旅立つ際の 別れの辛さよ)


(男)行かい
(女)行ぢ来よと 交わす云言葉や
(男)ぬがし胆内に 思い残ちよ
(「行ってくるよ」「行ってらっしゃい」と交わす
 言葉はなぜか心の中に 想いが残るよ。)


(男女)戦場(いくさば)ぬ哀り 何時が忘りゆら
忘れりがたなさや 花ぬ二見よ
(戦場の悲しさは いつかは忘れられるが
忘れがたい 花の二見よ)


やってきました宜野座の先、名護東海岸・花の二見。辺野古のアップダウンは昔の村嫁を苦しめたきつい坂だったんだね。

二見情話は戦後できた島唄の中でも男女掛け合いで歌うデュエット曲の代表格。やや本土の民謡の旋律も感じられれ、やんばるの歌の中でも多くの人に歌われ親しまれている。

二見は、普天間基地の「移設候補」の隣・歌に出てくる男女が語り合った辺野古と隣接する静かな村。ジュゴンが海草を食べに来る大浦湾の目の前。戦場(いくさば)の哀れはけっして忘れてはならない。繰り返してならない。子々孫々に語り継がれていくもの。ただしいやさしいであれ。悲しみはいらない。


やんばるの歌碑20)
二見公民館前の石に刻まれた歌詞




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Posted by 砂川よしひろ at 04:46│Comments(3)歌碑巡り
この記事へのコメント
二見情話の歌い手、第一人者は『玉城安定』でしょう。
故玉城氏は、私と同じ城前に住んでおられて、家の前を通ると、いつも三線の音が響いていました。彼の息子が私とバンドを組み、今も良き相棒として、私の曲作りを支えています。
玉城安定は、城前の誇りです。
Posted by 内間満 at 2008年01月12日 15:16
内間満さん>
サンキュー! ナイスタイミングのコメントです。
歌のジャンルを超えたコザチャンプルー文化の一端を感じる。
玉城安定さんは語り継がれるべきシマの宝ですな。!♪♪
Posted by すながー at 2008年01月12日 17:18
碑文に作詞・作曲名が書いてあるが、まちがいで、「二見情話」は、昭和7年、古賀政男作曲になるもので、古賀政男が著作権を持ちます。


『二見情話』は、沖縄には珍しい東北民謡のような、哀調を帯びた、「嘆きの夜曲など「古賀メロディ」のメロディラインのいい歌です。

なおJASRACには、「嘆きの夜曲」、「二見夜曲」(無断作詞作品名)、「二見情話」パッケージで信託されている。

(参  考) 
決定盤 古賀政男全集(上) 国民的名曲のすべて ~丘を越えて~ (日本コロムビア COCP-37091-3)
DISC1 06 二見情話* / 知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版)
http://store.shopping.yahoo.co.jp/toemifc/88092.html

《二見情話》 (コロムビア 昭和7年)
作 詞   西岡水朗 
補作詞  照屋朝保
作 曲   古賀政男
編 曲   佐々永治
歌  知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版 1975)
Posted by ヤマとん at 2012年07月24日 10:34
 
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