やんばるの歌碑23)

砂川よしひろ

2008年01月22日 05:00

恩納節の碑(うんなぶしのひ)

恩納松下に 
 禁止の牌のたちゆす
戀しのぶまでの
 禁止やないさめ





読み)うんなまちしたに ちぢぬひぬたちゅし
   くいしぬぶまでぃん ちぢやねさみ
   

意味)恩納番所(役場)前の松の木の下に、いろいろな禁止事項の立て札が立っているようだが、まさか恋することまで禁止したものはないでしょう!


尚敬王代(1713〜1751)、首里王府による男女の風俗取締が厳しかったらしい。当時地方の農村では、若い男女の毛遊びがさかんに行われていたが、そのような「風紀の乱れ」を、名所巡りでやってくる中国からの観光団(冊封使一行)には見せたくないという役人の大きなお世話から、風俗取締が立て札が立った。

それを見た恩納ナビィがいささかの皮肉をこめてこの歌を詠んだという。情熱の歌人・恩納ナビィの碑は、いまでは観光名所となり県内外から訪れる人も多い。恩納ナビィら当時の若者は相当なアシバー?だったという話である。

風俗取締の立て札とはどのようなものだったのか? 現在の字恩納公民館裏の松下にその立て札はなく。ナビィの歌碑だけが残っていること自体、なんともおおらかさを感じる。その恩納ナビィはイラストでキャラクター化され、恩納村の観光大使的な役割を見事なまでに果たすようになった。

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北国では冷凍庫よりも寒いというのに沖縄では小雨模様のあたたかい朝。
今日は旧暦の12月15日、ことしも残りわずかですね。そうそう火の神お忘れなく!
夜は月が見えるかな?

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