2007年11月26日
上り口説を往く7)
6. 又も廻り逢ふ御縁とて招く扇や三重城残波岬も後に見て
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃまにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとにみて)
三重城(みーぐすぃく)
ロワジールホテル裏の駐車場先から上がる三重城
三重城(みーぐすぃく)は那覇港の入り口に作られた台場で、倭寇に対する防御のために16世紀に作られた城塞だったらしい。反対側にも屋良座森城が作られ三重城と対をなしている。後に、船旅の乗客を見送る場所となり見送る人々は三重城までいって船が通過するのを見ながら扇で招くしぐさをしながら無事の帰還を祈った。航海の無事を祈る拝所(ウガンジュ)も作られている。琉球舞踊「花風(はなふう)」の舞台にもなり、那覇の港を船出する愛しい人を見送る女性の姿が描かれた。当時は、海上に伸びる長い突堤の先端にあり、今の通堂町あたりから三重城に至るまで海中道路のようになっていた。
(またんみぐりおーぐゐんとぅてぃまにくおうじやみーぐすぃく ざんぱみさちんあとにみて)
三重城(みーぐすぃく)
ロワジールホテル裏の駐車場先から上がる三重城
三重城(みーぐすぃく)は那覇港の入り口に作られた台場で、倭寇に対する防御のために16世紀に作られた城塞だったらしい。反対側にも屋良座森城が作られ三重城と対をなしている。後に、船旅の乗客を見送る場所となり見送る人々は三重城までいって船が通過するのを見ながら扇で招くしぐさをしながら無事の帰還を祈った。航海の無事を祈る拝所(ウガンジュ)も作られている。琉球舞踊「花風(はなふう)」の舞台にもなり、那覇の港を船出する愛しい人を見送る女性の姿が描かれた。当時は、海上に伸びる長い突堤の先端にあり、今の通堂町あたりから三重城に至るまで海中道路のようになっていた。
Posted by 砂川よしひろ at 02:42│Comments(0)
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